『悪魔が世界を統治している』(九評編集部)

人権

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第三章 東側での大虐殺

     内  容 
 序文
1.共産党の凶暴な本質
 a.ソビエト共産党の台頭
 b.中国共産党の誕生
2.労働者階級の虐殺
 a.ソビエト―弾圧された農民と労働者
 b.ソビエトモデルを模倣した中国共産党
3.共産党の残虐行為
 a.ソ連共産党の殺戮(さつりく)
 b.中国共産党の殺戮
4.赤色テロの輸出

序文

共産党がソビエト政権を樹立してからすでに1世紀が過ぎた。米連邦議会議事録によると、共産主義国家が殺害した人数は少なくとも1億人に上る。【1】その殺人の歴史については、『共産主義黒書』(The Black Book of Communism)が克明に伝えている。【2】

ソ連や東欧共産圏の崩壊に伴い、多くの機密文書が公開された。また、中国と北朝鮮で行われた政治運動の被害者の記録などから、人々は共産党の凶暴性について、ある程度は認識しているだろう。

共産党の独裁政治はナチスと比較されることが多い。もちろん、酷似している部分もあるが、一つだけ決定的に異なる点がある。ナチスはユダヤ人の根絶を目的としていたが、共産党の目的は肉体的な殺戮を超えたものである。

神を信じる人々にとって、肉体の死は本当の死ではない。人間の魂は天国に昇ったり、あるいは再びこの世に転生したりする。共産党は虐殺という手段で人々の心に恐怖を植えつけ、邪悪なイデオロギーを押し付ける。人々の道徳を堕落させ、最終的に彼らを地獄へと突き落とす。共産党は人間の肉体だけではなく、魂をも破壊しようとしているのだ。

共産党の特徴は内部闘争の激しさと、その過程で最も残虐なリーダーが選ばれることである。時に共産党は、非常に忠実なメンバーに対しても、些細な事を理由に打倒し、残酷な罰を与える。野蛮で常軌を逸した共産党の行為は、一般人の理解を超えている。

その凶暴性の理由の一つは、本能に由来する。共産党は神と人類に反逆しているため、いつ消滅されるかも知れぬという恐怖を抱いている。従って、共産党は己を強化するために、常に道徳心や善悪の基準を放棄した人間を見つけて補充する必要がある。これらの人間は大虐殺の過程で優れた能力を発揮するため、指導層へと上り詰める。共産邪霊は残酷な人物をリーダーに据え、この世で独裁政権を維持するのである。

1989年、ある中国共産党幹部は六四天安門事件の武力弾圧に参加しなかったとして排除された。一方、同事件で残酷に学生を弾圧した江沢民が共産党のトップに躍り出た。1999年、法輪功弾圧を開始した江沢民は、羅幹(らかん)と周永康(しゅうえいこう)を抜擢し、自分の腹心に据えた。この二人が最も残虐に法輪功を迫害したからである。

共産党が殺害を繰り返す理由は、文革でも使われた手口だが、一般社会から人材を見つけるためである。同党が殺害や犯罪を行うと、大衆も巻き込まれて共犯者になる。その過程で、最も野蛮な加害者が、党の忠実なメンバーとなる。今日に至っても、一部の元紅衛兵は文革の時に犯した罪を後悔していないと話す。彼(彼女)らは、若い時の野蛮な行為について、全く悔恨の念はないと言う。

また、共産党は公に被害者を殺害することで、市民を服従させることができる。

上記に述べた理由から、一つの法則が見えてくる。つまり、歴史を通して、殺戮は独裁政権下、あるいは戦時下に起こる。なぜならば、そこには倒すべき敵がいるからだ。一方、共産党が存続するためには、敵がいなければならない。もし敵がいない時は、でっちあげる必要がある。そうしなければ、共産党は殺害し続けることができないからだ。

悠久の歴史と豊かな文化を擁する中国のような国で、共産党が支配するには殺戮を続ける必要があった。5千年の文化を継承した中国人は、神を冒涜する野蛮な共産党を簡単に信じたりはしない。従って、中国共産党はソ連で試したように、大虐殺によって独裁政権を維持したのである。

1. 共産党の凶暴な本質

邪霊を体現した共産主義は、その誕生も破廉恥で不名誉なものだった。カール・マルクスが「幽霊がヨーロッパを徘徊している―共産主義という名の幽霊が」と宣言した後、盗賊や悪党どもがパリ・コミューン(パリ市の革命自冶体)を設立した。これらの粗暴な連中が、フランスの卓越した芸術と文化を破壊し、都を荒廃させたのである。

ロシアと中国では、共産党は卑劣な陰謀と殺人によって政権を掌握した。

a. ソビエト共産党の台頭

1917年2月、食糧不足と劣悪な労働条件に不満を持った産業労働者たちがストライキを起こした。暴動が広がると、ロシア皇帝ニコライ2世は退位し、ロシア臨時政府が設立した。革命勃発の知らせを受けたレーニンは、ただちに亡命先のスイスからロシアへ帰国した。

ドイツ誌「デア・シュピーゲル」が2007年に掲載した記事によると、当時ロシアと交戦していたドイツはレーニンにドイツの通行を許可しただけでなく、彼に資金や武器をも提供したという。レーニンが帰国すれば、ロシアの政局が不安定になるとにらんだため、ドイツはこの移動に同意した。1917年末までに、レーニンはドイツから2600万マルクを受け取った。【3】

ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)は、レーニンに便宜を図ったドイツについて述べている。「彼ら(ドイツ)は、ロシア生まれの最強の武器を使った。レーニンが乗った封印列車は、まるでペスト菌をロシアへ運んでいるようなものだった」【4】

1917年10月25日、レーニンは革命を起こして臨時政府を打倒し、共産主義政権の誕生を宣言した。しかし、憲法制定議会の選挙が11月に実施されたものの、第一党は得票率40%を得た社会革命党となり、レーニン率いるボルシェビキは得票率24%にとどまった。

翌年1月5日、レーニンは自身が開催を求めていたはずの憲法制定会議を開会直後に退席し、議会を「人民の敵」と罵った。ボルシェビキは事前に用意していた軍隊を動員して議会を解散させ、ロシアにおける民主政治を破壊した。

10月革命と、その後レーニンが行った数々の略奪政策が、20世紀に起きた共産主義の原点である。彼が共産主義運動に火をつけ、世界中に災禍をもたらした。

b. 中国共産党の誕生

1917年に誕生したソビエト政権は、中華民国が第三インターナショナル(コミンテルン)に加入したという名目で、中国へ革命を輸出した。

ソビエトはグリゴリー・ヴォイチンスキー(Grigori Voitinsky)を中国に派遣し、中国共産党を設立した。後にソビエトは中国国民党との友好関係を強化するという名目で、工作員のミハイル・ボロディン(Mikhail Borodin)を中国に派遣した。生まれたばかりの共産党は国民党と戦いながら、徐々に成長していった。

第二次世界大戦中、日本軍と最前線で戦っていたのは国民党だった。一方、中国共産党は後方の非戦闘地域で着々と勢力を伸ばし、兵力を増強した。日本軍が侵攻した当時、紅衛兵は壊滅寸前だった。しかし、日本が敗戦すると、共産党は132万人の兵士と260万人の軍隊が勝利に導いたと豪語した。その後も、中国共産党は表向き国民党に合作(協力関係)を提案しながら、密かにその勢力を増大させていった。

その後、中国共産党の外交政策が功を奏し、国民党軍はアメリカとソビエト両方から援助を打ち切られ、敗北した。この時、世界一邪悪な共産党政権が中国で誕生したのである。

中国とロシアは世界最大の人口と領土を保有する国家である。この二国を掌握した共産主義は、世界の3分の1を支配したことになる。後に共産主義はヨーロッパ、アジア、アフリカ、南米へと広がり、多くの国々が共産党と同盟を結んだ。

第二次世界大戦では多くの命が失われた。しかし、目もくらむような速さで膨張を続ける共産主義については、当時誰も予想していなかった。

2.労働者階級の虐殺

マルクス理論、あるいは共産党政権が掲げるスローガンにしろ、それらはすべて労働者と農民の利益を守ると主張する。しかし、共産主義のもとで多大な苦しみを受けたのは、まさにこれらの労働者階級である。

a. ソビエト―弾圧された農民と労働者

1918年、レーニンが民主政治を無視して憲法制定議会を解散させた後、共産党に最初に反抗したのは労働者たちだった。議会解散に対して抗議する数万人の労働者たちがデモ行進を行った。ボルシェビキの軍隊が彼らに発砲し、ペトログラードとモスクワの道路は血に染まった。

ロシア最大の労働組合「鉄道従業員の全ロシア連邦労働組合」(the All-Russian Union of Railwaymen)がボルシェビキ革命に抗議してストライキを行い、ほかの労働組合もそれに続いた。ソビエト共産党は武力でストライキを鎮圧し、鉄道従業員を含むすべての独立した労働組合を禁止した。

そのほかの労働組織も、徐々に共産党の監視下に置かれるようになった。1919年春、飢えに苦しむロシア中の労働者たちが、赤軍と同等の配給、言論の自由、民主的な選挙、共産党の政治特権の廃止を要求し、何度もストライキを行った。チェーカー(秘密警察)がこれらの運動を鎮圧し、抗議者たちを厳しく取り締まった。

1918年夏、長引く内戦によってロシアは深刻な食糧難に陥った。同年6月、国全体が飢饉寸前の状態になると、レーニンは穀倉地帯のヴォルガ流域から穀物を奪うようヨシフ・スターリン(Josef Stalin)に命じた。

ヴォルガ地域の農民は激しく抵抗した。1918年8月、ペンザ州の農民が武装して反乱を起こし、暴動はすぐに周辺地域へと広がった。レーニンは軍隊を派遣して暴動を鎮圧し、ボルシェビキ・ペンザ支部に電信を打った。以下は、イギリスの歴史家ロバート・W・サーヴィス(Robert Service)が翻訳した電信文の内容である。

「絞首刑だ(それから、絞首刑は人々からよく見える場所で公開すること)。著名な地主、金持ち、搾取者たちを捕まえ、その人数は100人を下回らないように」
「彼らの名前を公表すること」
「すべての穀物を彼らから奪うこと」
「昨日の電信に従って、人質を指名すること」

周辺数百キロの地域で、このやり方で行えば、人々はそれを見て、怯え、認識し、叫ぶだろう…【5】

10月革命以前、タンボフはロシアで最も豊かな州の一つだった。ソビエト政府はその地域に「穀物徴収部隊」を派遣し、穀物を略奪した。タンボフの農民5万人が決起し、武力で徴収部隊に抵抗した。

1921年6月、元帥のミハイル・トゥハチェフスキー(Mikhail Tukhachevsky)は農民蜂起を鎮圧するため、ソビエト政府から勧められた毒ガスを使用した。反乱に参加した約10万人のタンボフの農民とその家族たちが投獄され、あるいは追放された。およそ1万5千人が死亡し、タンボフの地は荒廃した。

ソ連中に広がった粛清の嵐は、中国共産党によい手本を示した。中国共産党は、ソ連と同じ手口で労働者と農民を弾圧したのである。

b. ソビエトモデルを模倣した中国共産党

5千年の歴史に育まれた中国は、豊かで奥深い文化を有している。中国人は神を敬い、天を崇敬する。共産邪霊が、陰謀だけでこの悠久の伝統文化を破壊することは不可能だった。そこで、この悪魔は暴力を系統的に用いたのである。

中国共産党は文化の継承者である社会のエリート層を標的にし、中国文明の建築物を破壊した。さらに、共産党は中国人と、この民族に文化を授けた神々との絆を断ち切った。中国の伝統文化が破壊された後、中国人に「党文化」が埋め込まれた。党文化に教育された若者たちは「狼の子」となり、邪霊の人質として、人類社会を破壊する道具となった。

中国共産党が政権樹立後すぐに行ったのは、エリートたちを敵とみなし、殺害することだった。地方では地主や上流階級が標的にされた。都市部では資本家が殺された。中国共産党は国中で殺戮を行い、恐怖の雰囲気を作り上げ、市民の富を奪っていった。

中国共産党は農民たちに、地主や「富裕な農民」を殺すようそそのかし、同時に彼らに土地を与えることを約束した。地主らが殺害された後、共産党は「集産農業」にするために、土地を国有化すると宣言した。しかし結局、農民は土地を所有できなかった。

1950年3月、中国共産党は「反革命要素を厳格に抑制する指令」を発表した。これは、地方の地主や富裕な農民を殺害せよという命令だった。中国共産党は、1952年末までに、240万人以上の「反革命分子」を一掃したと発表した。実際には、全人口の1%にあたる500万人以上の中国人が殺害された。

地主と富農を一掃した後、都会人を標的とした三反五反運動が始まった。不完全な統計によると、運動の間に、上海だけでも876人が自殺したという。多くの資本家たちが家族と共に自殺した。

中国共産党は、地主や資本家の粛清だけでは飽き足らなかった。農民や小売業者、職人からも富を略奪した。大量虐殺の後、残された労働者階級の人々は貧窮した。

3. 共産党の残虐行為

a. ソビエト共産党の殺戮

グラーグ―ヒトラー型の強制収容所

1918年9月5日、レーニンはソロヴェツキー諸島へのグラーグ(強制収容所)建設を命じた。10月革命に反対した者や政治犯を投獄し、拷問して殺害するための収容所である。これを受けて、共産党はソビエト中に強制収容所を建設した。これが、スターリン時代の悪名高いグラーグである。

共産党の政治テロや粛清が拡大するにつれて、グラーグも巨大化していった。1953年にスターリンが死亡するまで、ソビエトには3万を超えるグラーグが建てられ、その管理事務所が170存在した。まさに、ソ連の作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン(Aleksandr Solzhenitsyn)が「収容所群島」と描写した通りである。

ソルジェニーツィンのルポルタージュは、ソビエトの秘密警察が囚人に自白を強いる31の手法を明かしている。【6】

グラーグの囚人たちは凍えるような寒さの中、食事や服も満足に与えられず、12~16時間の過酷な労働を強いられる。多くの人々は家族と共に連れてこられ、夫が収容され、妻は追放される。80代の老人も容赦なく迫害された。収容所には、党の高級幹部、リーダー、軍司令官などのエリート層から、宗教信者、エンジニア、技術者、医師、学生、教授、工場労働者、農民など一般市民までが含まれていた。劣悪な状況の中で、多くの人々が死亡した。

強制収容所は、ナチスが最初に造ったと思う人が多い。しかし、共産圏でも非共産圏でも、世界中でこの種の迫害が行われるようになったのは、グラーグが最初である。歴史家でソ連の諜報員だったヴィクトル・スヴォーロフ(Viktor Suvorov)によると、第二次世界大戦前、ヒトラーはゲシュタポ(ドイツの秘密警察)をロシアへ派遣し、グラーグを視察させていたという。

保守的な推定によると、第二次世界大戦前の1930年から大戦中の1940年にかけて、およそ50万人の囚人が死亡した。グラーグは1960年に廃止された。2013年のロシア政府の発表によると、1500万人以上の人々がグラーグに投獄され、150万人以上が死亡した。

大飢饉による殺害

共産党政権は、時に飢饉を起こして人々を殺害する。1932~33年の間に、ソビエト政権はウクライナ地方に「ホロドモール」と呼ばれる大飢饉を起こし、大勢の人々を殺害した。

ソビエト政権は、「集団農業化」に反対するウクライナの自営農家(クラーク)たちの抵抗にあった。これを受けて、ソ連政府はクラークを弾圧し、西シベリアや中央アジアへ追放した。このクラークの消失がウクライナにとって大きな打撃となり、1932年の生産量は激減した。

1932~33年の冬、ソ連政府はウクライナへの食糧供給を停止し、国境に柵を建てた。ウクライナの農民たちは貯蔵していたジャガイモで飢えを凌いでいたが、すぐに共産党幹部によって徴収され、食料は底をついた。大勢のウクライナ人が餓死した。後に人々は猫や犬を含む家畜、また人間の肉を掘り起こして食べるまでに至り、ウクライナの飢饉は凄惨を極めた。

農民たちは食料を求めて都市に出ることも許されず、多くは路上で餓死した。100万人以上の孤児が残され、子どもたちは物乞いをしながら路上で生活した。スターリンの命令により、警察が子どもたちを銃殺して町から一掃した。

ホロドモールによる死亡者数は、推定で250万~480万人に上る。ウクライナの都市ハルキウでは、路上のあちこちに餓死者の死体が放置されていた。

大粛清されたソビエトのエリートたち

共産邪霊の目的は、すべての人類を壊滅させることであり、もちろんその中には共産党支持者たちも含まれている。これが如実に現れたのが、党内で起きた粛清の嵐である。1928年初め頃から、スターリンは共産党の上級幹部を標的にし、粛清を始めた。

1934年の第17回ソビエト大会に出席した1966人のうち、1108人が反革命活動の罪で逮捕された。同大会で選出された中央委員会メンバー139人に関しては、5人のうち4人が射殺された。

1919~35年にかけて、ソ連共産党政治局は31人のメンバーを選出したが、そのうちの20人はスターリンによって粛清された。秘密警察のトップだったラヴレンチー・ベリヤ(Lavrentiy Beria)は、「名前を言ってくれれば、私がそいつの罪名をみつけます」とスターリンに語ったとされる。スターリンを除く政治局メンバー、レフ・カーメネフ、グリゴリー・ジノヴィエフ、アレクセイ・ルイコフ、ミハイル・トムスキー、レフ・トロツキーが1940年までに処刑あるいは暗殺された。

軍部や政府だけでなく、あらゆる社会層も大粛清に見舞われた。宗教、科学、教育、学問、芸術などあらゆる分野の人々が粛清された。スターリンによる大粛清の主な被害者はソビエトの一般市民である。

スターリンの大粛清によって逮捕、殺害、投獄、追放された被害者の人数はどれくらいに上るだろうか。今日でも正確な数字は分かっていない。1991年、ソ連解体の前夜、ウラジーミル・クリュチコフKGB議長(Vladimir Kryuchkov)は1920~53年の間に、420万人が「弾圧」され、そのうち200万人が大粛清の時に死亡したと話している。

政治家のアレクサンドル・ヤコヴレフ(Alexander Yakovlev)は、2000年に行われたインタビューで、スターリンの弾圧により死亡した人数は少なくとも2千万人に上ると答えている。【7】

b. 中国共産党の殺戮

中国共産党は1949年に政権を樹立してから1966年までに、反革命分子を抑圧するキャンペーン、三反五反運動、大躍進などを発動し、大飢饉を起こして大勢の人々を殺害した。

この時期が過ぎると、すぐに共産党内部で粛清が始まった。共産党政権下で「狼の子」に改造された若者たちが成熟すると、共産邪霊は彼らを使ってさらに苛烈な迫害を始め、実に中国5千年の伝統文化を破壊しようと企んだ。

中国の大飢饉

1959~62年にかけて、中国では世界最大の人工的な大飢饉に見舞われた。しかし、中国共産党は、その悲劇を「3年間の自然災害」と主張している。

1958年、中国共産党は人民公社運動と大躍進運動を開始した。この無分別な計画は穀物の在庫を大量に消費させ、中国の農業生産に打撃を与えた。都市部と地方の党幹部は数字を改ざんして報告したため、深刻な状況は党中央に伝わらなかった。共産党はこれらの報告書を根拠として農民から穀物、種、動物飼料を徴収した。

共産党はチームを地方へ派遣し、貧しい農民たちを拷問にかけ、食料を絞り取った。食料を求めて都市部へ向かった農民を禁止したソ連のやり方に倣い、中国共産党は大勢の家族を殺し、村全体を全滅に追いやることもあった。人喰いが横行し、餓死者の遺体が散乱した。飢えを凌ぐために盗みを働いた農民は処刑された。

農民から奪った穀物は、ソビエト製の武器や金と交換された。中国共産党は、借金を返すために中国人の命を犠牲にしたのである。わずか3年間で、中国で起きた大飢饉は数百万人の命を奪った。

文化大革命―狂気的な殺人と文化の抹消

1966年5月16日、中国共産党中央委員会からの告知により、文化大革命が発令された。同年8月、中国共産党幹部の子弟たちを中心に、北京市の中高生たちが紅衛兵を組織した。彼らは北京市を荒し回り、恐喝や殺害を続けた。8月だけで数千人が北京で殺害された。

北京市大興区では8月27日から9月1日の間に、6日間で325人が殺害された。被害者は生後38日の赤ん坊から80歳の老人にまでおよび、22家族が全滅した。被害者は殴られ、ナイフで刺され、首を絞められた。紅衛兵は赤ん坊の足を踏みつけ、もう片方の足を握って引きちぎった。

共産邪霊に操られた人々は殴打と殺人を繰り返し、「敵を酷寒の冬のように残酷無比に扱う」というスローガンのもとで、人間性を失っていった。極悪非道な罪を犯すたびに、共産党は人々から伝統文化と道徳的価値観を奪っていく。代わりに「党文化」を植え付けられた人々が、さらなる殺人マシーンとなる。

なぜ一国の政権が、血に飢えた残虐行為を繰り広げたのか。多くの人は、その理由が分からず苦しむだろう。実際には、邪霊に操られた低次元の悪霊と邪悪な生命が憑いていたからである。

文化大革命時の被害者数を推定するのは難しい。多くの研究によれば、最低でも200万人が死亡したとされている。大虐殺について研究したアメリカの教授R.J.ランメル(R. J. Rummel)は、著書『中国の血塗られた世紀』(China’s Bloody Century)の中で、文化大革命により773万人が殺害されたと指摘している。

中国山東大学の助教授・董宝訓(とうほうくん)と中国共産党山東省歴史資料室の丁竜嘉(ちょうりゅうか)は、共同で『無実者の潔白を証明する―違法に逮捕された人たちの社会復帰』(Exonerate the Innocent – Rehabilitate the Wrongly Accused and Sentenced)を執筆した。彼らは、1978年12月13日に開催された中央労働大会閉幕式でスピーチした中央委員会副主席の葉剣英(ようけんえい)の言葉を紹介している。「中央委員会は2年7カ月におよぶ包括的な調査を行った。その結果判明したのは、文化大革命時、2千万人が死亡し、1億人以上が政治的な迫害に遭い…8千億元を浪費した」

「鄧小平(とうしょうへい)選集」(Selected Works of Deng Xiaoping)には、1980年8月21~23日に行われた鄧小平へのインタビューが載せられている。

イタリア人記者オリアーナ・ファラーチ(Oriana Fallaci)が聞いた。「文化大革命では、何人亡くなったのですか?」

鄧:「何人亡くなったかだって? それは天文学的な人数だし、推定することはできないだろう」

鄧小平は、被害の典型的な例として次のエピソードを語った。中国秘密警察のトップで毛沢東の片腕だった康生(こうせい)は、雲南省の党幹部・趙健民(ちょうけんみん)を国民党スパイとして逮捕し、投獄した。その後、雲南省では趙だけでなく、1万7千人が迫害により死亡し、6万人が身体に障害が残るまで殴打された。

史上最大の邪悪:法輪功への迫害

数十年に渡る殺人と暴力、さらに共産党が押し付けた無神論によって、社会の価値観はズタズタに引き裂かれた。人々は、神が定めた道徳基準から逸脱し、はるか下へと滑落した。信心深い人々さえ、共産党が作り上げた偽の宗教を崇拝しているだけであり、真の信仰とは何かを分かっていない。歴史上のあらゆる経典が預言しているように、もしこのような堕落が続くならば、人類は完全に壊滅するだろう。

1992年春、社会道徳を回復し、人類を済度するべく李洪志(りこうし)氏が法輪功という精神修養法を伝えた。これは、真・善・忍を理念とする伝統的な修煉法である。

法輪功は簡単で学びやすく、数年で中国全土に広まった。病気治癒や健康増進だけでなく、心の鍛錬によるメリットを受け、その人気は爆発的に広がった。法輪功が説く精神的な向上に啓発され、社会は道徳を取り戻しつつあった。

しかし、共産邪霊は創造主が人間を救い済度することを阻んでいた。人間が済度されないように、邪霊は社会の伝統文化を破壊し、道徳を堕落させたのである。当然、邪霊にとって法輪功は目障りだった。

1999年7月、当時の共産党主席・江沢民(こうたくみん)は、系統的に法輪功を迫害するよう指示を下した。中国共産党は中国全土を巻き込み、あらゆる手段を用いて修煉者を弾圧した。「彼らの肉体を滅ぼし、経済を破綻させ、名誉を汚せ」。これが、江沢民の指令である。

共産党の宣伝機関は、法輪功への憎悪と中傷に満ちた報道を繰り返し、人々は徐々に洗脳された。中国人は法輪功が説く真・善・忍を捨て、代わりに虚偽、邪悪、闘争を受け入れた。

共産邪霊はさらに社会の道徳水準を引きずり下ろした。憎しみと抑圧の雰囲気が充満し、中国人は周りで起こっている迫害に沈黙し、神仏を裏切った。一部の人々は良心に背き、法輪功への迫害に加わった。その行為は、自らを地獄へ突き落としているのだとも知らずに。

共産邪霊が迫害を行ったのは中国だけではない。海外の自由社会は、中国国内で起きている狂気的な投獄、殺人、拷問に目をつぶった。経済的な利益を理由に、自由社会は共産党の暴挙に対して見て見ぬフリをしていたのである。

法輪功への迫害はさらにエスカレートした。共産党は、生きている修煉者からの臓器摘出を始めた。臓器ドナーとして収容されている修煉者たちはいつでも要求に応じて殺害される。彼らの臓器は政府の医療機関や軍病院で摘出され、数百万ドルで取引される。

2006年7月7日、カナダの弁護士デービッド・マタス(David Matas)とカナダ前アジア太平洋局局長デービッド・キルガー(David Kilgour)は、『戦慄の臓器狩り:臓器のために殺される法輪功学習者』(Bloody Harvest: The Killing of Falun Gong for Their Organs)を出版した。彼らは18種類の方法で証拠を検証し、中国共産党による邪悪な仕業を暴露した。二人は、臓器狩りを「嫌悪すべき邪悪の形…この地球上で初めてである」と述べている。

2016年6月、マタスとキルガーは、国際調査員と協力してまとめた『戦慄の臓器狩り』更新版を発表した。680ページからなる膨大な調査書は2400の参照情報を含む。中国で臓器狩りが確実に、しかも空前のスケールで行われていることは疑いの余地がない。

2016年6月13日、米下院議会は全員一致で法輪功修煉者およびその他の良心の囚人からの強制的な臓器摘出を停止するよう中国共産党に要求する決議案343を可決した。

臓器売買は、莫大な利益を上げるビジネスである。このシステムが法輪功迫害を維持し、また多くの臓器移植患者が世界中から中国へ集まってくる。しかし、中国で臓器移植に関わった人は、大量虐殺の共犯者となる。

中国共産党は政権を握った当初から、宗教者への弾圧を緩めたことはなかった。この問題については、さらに第6章で詳しく検証する。

4.赤色テロの輸出

『共産主義黒書』(The Black Book of Communism)によると、世界の共産主義国家における概(おおむ)ねの死亡者数は合計9400万人で、内訳は下記の通りである。

ソビエト連邦    ― 2000万人
中国        ― 6500万人
ベトナム      ― 100万人
北朝鮮       ― 200万人
カンボジア     ― 200万人
東欧        ― 100万人
南米(主にキューバ)― 15万人
エチオピア     ― 170万人
アフガニスタン   ― 150万人
国際的な共産主義運動、あるいは共産党(政権を掌握していない)による死者― 1万人【8】

ロシアや中国はもちろん、弱小の共産主義政権もその邪悪さにかけては負けていない。カンボジアでの悲劇は、共産主義政府が行った凄まじい大殺戮の極端なケースである。推定によれば、ポルポト率いるクメール・ルージュに殺害された人数は140万~220万人とされる。実にカンボジアの3分の1の人口が抹殺されたのである。

1948~87年にかけて、北朝鮮の共産主義政府は強制労働、処刑、収容所送りなどにより、およそ100万人を殺害した。1990年代、24万~42万人が飢饉に見舞われて餓死した。1993~2008年の間に、非自然的な理由で60万~80万人の北朝鮮人が死亡した。金正恩は政権に就くと、高官や自分の親戚を含む多くの人々を大胆に殺害するようになった。彼は核武装し、世界を脅かしている。

ロシアに共産主義政権が誕生してから1世紀が過ぎた。邪霊が共産主義国家で殺害した人数は、二つの世界大戦時における犠牲者数を遥かに超えている。共産主義の歴史は殺人の歴史であり、全ページは被害者の血で書かれている。

参考文献

[1] “Remembering the Victims of Communism.” Remarks by Rep. Christopher Smith before the House of Representatives on Nov. 13, 2017.  https://www.congress.gov/congressional-record/2017/11/13/extensions-of-remarks-section/article/E1557-2.
[2] Stéphane Courtois, ed., The Black Book of Communism: Crimes, Terror, Repression. Translated by Jonathan Murphy. Cambridge: Harvard University Press, 1999.
[3] Der Spiegel, “Revolutionär Seiner Majestät” (“Revolutionary of His Majesty”). Dec. 10, 2007.  http://www.spiegel.de/spiegel/print/d-54230885.html.
[4] Winston S. Churchill, The World Crisis, Vol. 5. 1931.
[5] Robert Service, translation of “the hanging order,” Lenin, a Biography (London: Macmillan, 2000), 365.
[6] Aleksandr Solzhenitsyn, The Gulag Archipelago: 1918–1956. 1973.
[7] Interview with Alexander Yakovlev (1992–2005), translated by Chinese Academy of Social Sciences.
[8] Stéphane Courtois, ed., The Black Book of Communism: Crimes, Terror, Repression, trans. Jonathan Murphy (Cambridge: Harvard University Press, 1999), 4.

【引用元】https://www.epochtimes.jp/p/2019/07/39054.html

【序章】
【第一章】 人類を壊滅する邪悪の陰謀
【第二章】 始まりはヨーロッパ
【第三章】 東側での大虐殺
【第四章】 革命の輸出
【第五章】 西側への浸透
【第六章】 神に対する反逆
【第七章】 家族の崩壊
【第八章】 共産主義が引き起こした政治の混乱
【第九章】  共産主義がしかけた経済的な罠
【第十章】 法律を利用する邪悪
【第十一章】 芸術を冒涜する
【第十二章】 教育の破壊
【第十三章】 メディアを乗っ取る
【第十四章】 大衆文化―退廃と放縦
【第十五章】 テロリズムのルーツは共産主義
【第十六章】 環境主義の裏にいる共産主義
【第十七章】 グローバル化の中心は共産主義
【第十八章】 中国共産党のグローバルな野望
【おわりに】