『悪魔が世界を統治している』(九評編集部)

人権

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第十二章:教育の破壊

     内  容 
序文
1.欧米の大学に潜む共産邪霊
a. 大きく左傾化する大学
b. 伝統的な学問を共産主義イデオロギーで変形する
c. 新しい学問を開拓し、イデオロギーを浸透させる
d. 急進的な左翼思想の推進
e. アメリカの偉大な伝統文化を否定する
f. 西洋文明の古典に挑戦する
g. 教科書とリベラル・アーツ(人文科学)を占拠する
h. 大学での「再教育」:洗脳と道徳の破壊
2.小学校と中学校に潜む共産主義の影
3.最終的なゴール:東洋と西洋における教育の破壊

序文

教育は個人の幸福と成長を促し、社会や国家の安定を維持するうえで不可欠な要素である。歴史上の偉大な文明は常に教育を重視していた。

教育の目的は、人類の道徳水準を維持し、神が与えた文化を保持することである。教育が人々に知識や技術を伝え、社会生活を送る手段を授ける。

古代、教育の高い人物は天を敬い、神を信じ、徳を養う努力を惜しまなかった。彼らは伝統文化の知識に富み、自身が従事する仕事に精通していた。仕事に専心し、他人には親切に対応した。彼らは社会の大黒柱であり、国家のエリートであると同時に、文明の保護者でもあった。彼らのずば抜けて優れた人格が神に認められ、恵みを受けたのである。

共産邪霊は人類を壊滅させるため、人間と神の絆を断ち切ろうとした。従って、伝統文化を堕落させることは、邪霊にとって欠かせない計画だった。共産主義は異なる戦略を用いて東洋と西洋の教育を破壊した。

伝統文化が深く根付いた東側の国々において、嘘やでっち上げで人々を騙すことは難しい。そのため、東側では伝統文化を担うエリートたちを肉体的に抹消し、次世代への文化の継承を途絶えさせる必要があった。その後、残った大衆は絶え間ないプロパガンダにさらされた。

一方、西洋文化を誇る欧米は歴史やルーツが比較的に単純であり、共産主義が教育を転覆し、こっそりと社会を汚染させるのに適した土壌があった。実際、中国の若者に比べて、欧米の若者はより深刻に堕落している。

2016年の米大統領選では、多くの若者たちが大変なショックを受けた。メディアによる保守派候補の悪口、選挙前に行われた誤解を招く世論調査などから、大学生たちにとって保守派候補の当選は予想外だった。

ドナルド・トランプが当選すると、全米の大学でおかしな現象が起こった。一部の学生は選挙戦による恐怖、疲労、感情のトラウマを訴え、授業の取り消しや試験の延期を要求した。学生たちのストレスや不安を癒すため、一部の有名大学は粘土や積み木、色塗り、シャボン玉遊びを含むさまざまなイベントを企画した。ある大学では、学生たちに癒しの対象として猫や犬をペットとして貸し出した。また、多くの大学がカウンセラーを設置し、「選挙後の回復」や「選挙後の資源と支援」などを立ち上げた。【1】

通常の民主主義が、自然災害やテロリストよりも彼らに恐怖を与えたのである。アメリカの教育制度が全くの失敗であることが、ここに露呈した。成熟し、合理的であるはずの大学生が、社会の変化や災難に直面し、寛大さの欠如と幼稚さをさらけ出したのである。

アメリカの教育制度が完全に破壊されたことは、過去数十年間にこの国で起きた最も悲惨な現象の一つである。これは、共産主義による欧米社会への浸透が成功したことを物語る。

この章はアメリカに焦点を当て、自由社会の教育が共産主義によってどのように破壊されたのかを検証する。読者は、同じ論理から、それぞれの国の教育制度がどの程度破壊されたのかを分析できるだろう。

共産主義によるアメリカの教育制度への浸透は、少なくとも次の5つの分野に現れている。

若者の間に共産主義のイデオロギーを拡散する 共産主義イデオロギーが欧米の伝統的な学問に徐々に浸透し、共産主義に由来する新しい科学が既存の学問に取って代わった。文学、歴史、哲学、社会科学、人類学、法学、メディアなどすべてが種々雑多なマルクス理論で充満している。ポリティカル・コレクトネスが大学での自由な思想を検閲するようになった。

若者を伝統文化から遠ざける 伝統文化、正統な思想、歴史の真実、古典文学を中傷し、さまざまな学問分野から排除する。

幼稚園や小学校の頃から学業の基準を下げる 指導基準が加速的に下げられ、次世代の若者たちの国語や算数の能力が極端に下がってしまった。彼らの知識は制限され、問題点を見る能力が失われた。これらの学生たちが生命や社会に関する重要な問題について、理論的に、率直な態度で議論することは難しく、ましてや共産主義のでっち上げを見抜くなどなおさらである。

歪んだ概念を若者たちに植えつける これらの子どもたちが成長すると、歪んだ概念が強固になり、それを認識したり、正したりすることは、ほぼ不可能となる。

学生たちをわがまま、貪欲、放縦にさせる 子どもたちを伝統や権威に反抗するよう仕向け、彼らのエゴと権利意識を増大させ、理解する能力を奪う。このような若者は異なる意見に対する寛大さに欠け、精神的な成長も見られない。

共産主義は、この5つの分野において、ほぼ目的を達成したといえるだろう。左翼のイデオロギーがアメリカの大学の主流である。異なる見解を持つ学者は指導者の立場を追われ、伝統的な価値観を訴えることを制限されている。

4年間におよぶ集中的な教化を受け、大学生たちはリベラルや進歩主義の人間になって卒業する。彼らは無神論、進化論、物質主義を何の疑いもなく受け入れる。彼らは狭量で常識に欠けた「スノーフレイク」(異なる意見を持つ人にすぐキレるタイプ)であり、快楽的な生活を送り、自分の行動に責任を持つこともない。彼らは知識が浅く、狭い世界観しかなく、アメリカの歴史についてはほんの少しだけ、あるいは全く知らない場合もある。彼らが共産主義の主な標的である。

世界から見れば、アメリカは今でも世界有数の教育大国である。過去一世紀に渡り、アメリカは政治、経済、軍事において最強だった。この国が教育にかける莫大な費用は他国のそれを遥かに上回る。第二次世界大戦後、アメリカの民主主義と物質的な豊かさは世界中の優秀な人材を惹きつけた。アメリカのSTEM(科学・技術・工学・数学)教育と専門学校のレベルは、他国の追随を許さない。

しかし、危機は内部から起こっている。STEMプログラムを履修しているのはアメリカ人より海外留学生が多く、その差は年々開いている。【2】 これは、全米の小学校、中学校、高校の崩壊が招いた結果である。学習レベルを故意に引き下げ、子どもたちを愚鈍にしたのである。これが、今われわれが直面している現実であり、さらに悪い結果が後で待っているだろう。

第五章で詳述したように、元KGB(ソ連国家保安委員会)のユーリ・ベスメノブ(Yuri Bezmenov)は1980年代初期に、共産主義によるアメリカ浸透工作がほぼ達成していたことを暴露している。「たとえ今から、この瞬間から、新しいアメリカ世代の教育を始めたとしても、現実に対するイデオロギーの観念を正常に戻すには、15~20年はかかるだろう…」【3】

ベスメノブが取材に応じてから、すでに30年が過ぎた。この期間にソ連と東欧の社会主義が崩壊したが、共産主義による欧米への浸透は少しもなくなっていなかった。欧米に侵入した共産主義は教育を主な標的とし、照準を定めた。共産主義はすべての組織を乗っ取り、家庭教育を指導し、歪んだ教育理論と指導法を推進した。

ここで強調しておくが、1960年代以降に大学へ進学した人は、多かれ少なかれ共産主義の影響を受けている。その中でも人文科学と社会科学が最も深刻である。この分野を学んだ人は、知らないうちに教化されている。

故意に共産主義イデオロギーを推進している人間はごく一部である。ここで、われわれは共産主義の目的を暴露する。そうすれば、読者は共産主義の歪んだ思想を認識し、それを避けることもできるだろう。

1.欧米の大学に潜む共産邪霊

a. 大きく左傾化する大学

学生たちが社会主義や共産主義イデオロギーを崇拝したり、フェミニズム(女権拡張運動)や環境保護(後章で詳述する)の影響を受けたりする主な理由の一つは、米大学の職員の大部分が左寄りだからだ。

2007年に発表された「アメリカ人教授の社会的、政治的な見解」という研究によると、フルタイム勤務の大学職員1417人のうち、44.1%はリベラル派であることを自認し、46.1%が穏健派で、保守派は9.2%に留まった。また、公立2年制大学(コミュニティ・カレッジ)では保守派が若干多く19%、リベラル派は全体的に少し下がる傾向で37.1%だった。芸術大学では61%の学部がリベラル派であり、保守派は3.9%と少数だった。また、退職直前の大学職員は、新しい職員よりも、より強固なリベラル派であることが分かった。50~64歳の年齢層のうち、17.2%は左翼活動家であることを自認している。さらに、同研究によれば、ほぼ全ての学部が同性愛と堕胎の権利を支持している。【4】

2007年以降に行われた研究も、4年生大学に勤める多くの教授が左派であると結論づけている。経済誌「Econ Journal Watch」は2016年、全米の大学40校の歴史学部と社会科学部に勤める教授に対し、大統領選についてのアンケート調査を行った。それによると、回答者7243人のうち、3623人が民主党を支持し、共和党派は314人に留まり、実に11.5対1の割合だった。アンケートに答えた5つの学部のうち、35対1の割合で最も差が開いたのは歴史学部だった。1968年の時の調査と比較してみよう。当時の歴史学部教授たちの場合、民主党と共和党の割合は、2.7対1だった。【5】

2016年に実施された4年生大学に対する別の調査がある。それによると、歴史学部における政治傾向の差が顕著な州はニューイングランドだった。2014年のデータによると、全米の大学や2年制大学に勤める教授のうち、リベラル派と保守派の割合は6対1である。しかし、ニューイングランド州では28対1だった。【6】 2016年のピュー研究所の発表によると、大学の卒業生のうち31%はリベラルであり、23%がリベラルの傾向がある。一方、保守的な見解を持つ人は10%で、17%は保守派の傾向があると回答した。また、1994年以降、より多くの大学卒業生がリベラルの見解を持つようになっている。【7】

アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所のセミナーに出席した学者によると、アメリカの社会科学者のうち18%がマルクス主義者であることを自認し、自身を保守的だと思う人は5%である。【8】

米国上院議員のテッド・クルーズ(Ted Cruz)は、自身が通った由緒ある大学の法律学部(ロースクール)について、「(この学部には)自称・共産主義者の方が、共和党派より多かった」とコメントしている。また、「もし彼らに、この国は社会主義になるべきかと質問したら、80%がイエスに投票し、10%は、それは保守的すぎる、と答えるだろう」と述べている。【9】

共産主義は、アメリカに根を下ろした時から、この国の教育制度を侵し始めた。20世紀初頭から、多くのアメリカ知識人たちが共産主義の概念やファビアン(英国の社会主義運動)の変種などを受け入れた。【10】

1960年代のカウンターカルチャー(対抗文化運動)は、伝統に反対する多くの若い学生を生み出した。彼らは成長期にマルクスやフランクフルト学派の影響を受けた。1973年、ニクソン大統領がベトナムから米軍を撤退させると、反戦運動に参加した学生団体も徐々に解散した。しかし、大勢の学生がこの時期に養った急進主義は消滅しなかった。

その後、急進的な学生たちは大学院に残り、社会や文化の学問を選択した。ジャーナリズム、文学、哲学、社会学、教育、文化などである。学位を取得すると、彼らは大学、メディア、政府機関、NPOなど、社会や文化において最も影響力のある組織に就職した。当時、彼らを誘導したのはイタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci)が提唱する「制度内への長征」(the long march through the institutions)である。この「長征」は、西洋文明の重要な伝統を変革するというものである。

フランクフルト学派のヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)は反抗的な欧米の学生たちから「精神的なゴッド・ファーザー」と呼ばれた。1974年、彼は、新左翼は死んでいないと述べ、「大学で復活するだろう」と宣言した。【11】 実際、新左翼は何とか生き延びただけでなく、「制度内への長征」を経て、大成功を収めたのである。ある急進派の教授は次のように書いている。

「ベトナム戦争の後、われわれの多くはただ文学の世界に這い戻ったわけではない。われわれの多くは教授職に就いた。戦争が終わり、われわれは視界を失った。それはまるで、しばらくの間(別に気にしてもいない人から見れば)われわれが消滅したかのようだった。しかし、われわれには在任期間、つまり本格的に大学を改革する仕事を与えられた」【12】

ロジャー・キンボール(Roger Kimball)は彼らを「終身雇用の急進派」(tenured radicals)と呼び、1989年に同じ題名の本を出版した。この急進派とは、反戦、公民権、フェミニズム運動などに活発に参加した学生で、後に大学に戻り、1980年代に教職に就いた人々のことである。彼らは教壇に立ち、自分の政治制度に対する価値観を学生たちに徹底的に叩き込む。その結果、新たな急進派世代が生まれた。

一部の急進派は大学の部門長や学部長に就任しているが、彼らの学究活動は真実を探求するためではなく、学界を利用して西洋文明と伝統を破壊するためである。彼らの目的は、自分たちと同じ革命家を育て、主流社会と政治システムを破壊することである。

終身在職権を与えられた教授たちは、自分が所属するさまざまな委員会で絶大な権力を持つ。新しい大学職員を推薦したり、その分野の学問基準を設けたり、あるいは卒論のテーマを決め、研究の方向性を決定したりする。彼らはいとも簡単に、自分のイデオロギーに反する人間を排除できるのである。そのため、伝統的な思考に沿って研究する人々が次々と除け者にされた。老年期の教授たちが引退した後、そのポストに就くのは共産主義に染まった左翼の学者たちである。

「制度内への長征」という言葉を造語したグラムシ(Gramsci)は、知識人を二つのグループに分類した。一つは伝統的な知識人で、もう一つは有機的知識人である。前者は社会秩序を維持し、伝統文化を担う大黒柱である。後者は、新興の社会層あるいはグループに属し、そのグループあるいは階級に存在するヘゲモニー(覇権を持つ人たち)と闘争する過程で、創造的な役割を果たす。【13】 「プロレタリアート」は、有機的知識人を利用して文化を支配し、最終的には政治的なヘゲモニー(覇者)を征服する。

多くの終身雇用の教授たちは、自分たちが現行システムに反対する「有機的知識人」であると認識している。グラムシのように、彼らはマルクスの原理に従っているのである。「哲学者たちは、さまざまな方法で世界を解釈しただけにすぎない。しかし、その要点は、変革するためである」【14】

つまり、左翼にとって教育とは、人類文明の智慧を伝えることではなく、生徒たちに急進的な政治、社会活動、あるいは「社会正義」を刷り込むことである。生徒たちは大学を卒業し、社会人になると、伝統文化に反対したり、破壊的な革命を呼びかけたりして、現行制度に対する不満のはけ口を求めるようになる。

b. 伝統的な学問を共産主義イデオロギーで変形する

共産主義国家において、教育の指導要領はすべてマルクス・レーニン主義である。一方、西洋では学問の自由が最優先事項である。一般的な道徳水準や学問の規範を守るのはもちろんのこと、流行りの知識を特別扱いすることは許されないはずである。しかし、1930年代、社会主義、共産主義、マルクス主義、フランクフルト学派がアメリカの大学に押し寄せ、人文科学と社会科学をおびただしく変形させた。

アメリカの人文科学を占拠した革命的な論文

ブルース・バワー(Bruce Bawer)は著書『被害者の革命:アイデンティティー研究の勃興とリベラルマインドの終結』(The Victims’ Revolution: The Rise of Identity Studies and the Closing of the Liberal Mind)の中で、ペンシルベニア大学の歴史学者チャールズ・カーズ(Charles Kors)に、アメリカの人文科学に最も深く影響を与えた3人の人物は誰かと聞いた。カーズは3つの書籍を挙げた。アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci)の『獄中ノート』、パウロ・フレイレ(Paulo Freire)の『被抑圧者の教育学』、フランツ・ファノン(Frantz Fanon)の『地に呪われたる者』である。【15】

グラムシはイタリア人のマルクス主義者である。彼については前章で詳しく紹介したので、ここでは省略する。

フレイレはブラジルの教育者で、レーニン、カストロ、毛沢東、チェ・ゲバラを崇拝していた。1968年に出版された彼の著書『被抑圧者の教育学』は、2年後には英語に翻訳され、アメリカ学術界の必読の書となった。

バワーは、教育者ソル・スターン(Sol Stern)の言葉を引用している。スターンによると、『被抑圧者の教育学』は、具体的な教育問題に関心があるわけではなく、むしろ「資本主義のヘゲモニー(覇者)を転覆させ、無階級の社会を実現しようと呼びかける、空想主義の政治パンフレット」である。【16】 フレイレは著書の中で、彼の見解を繰り返すだけである。つまり、世界には抑圧者と被抑圧者という二種類の人々がいる。被抑圧者は抑圧者による教育を拒否し、自分が置かれた悲惨な状況を認識し、反乱に目覚めるべきである。

ファノンはカリブ海に浮かぶマルティニク島で生まれ、フランス支配に対するアルジェリア独立運動に参加した。彼の著書『地に呪われたる者』の序文を書いたのは、フランス実存主義者で共産主義者のジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)である。サルトルは彼の理論を次のように要約している。西洋の植民地支配者は邪悪の体現である。反対に、非西洋人は植民地支配を受け、搾取されていることから、本質的に高貴である。

ファノンは人々に、支配者に抵抗することを主張し、暴力行為を呼びかけた。彼は、個人レベルでは、暴力が浄化の力になると言った。「それ(暴力)は、原住民を劣等感(コンプレックス)、絶望、不活動から解放する。それは彼らを不敵にし、自尊心を復活させる」【17】

サルトルは序文で述べている。「革命の初日から、お前たちは殺さなければならない。ヨーロッパ人を銃殺することは、一石二鳥である。抑圧者と彼が抑圧する全てを同時に破壊するのだから。そこに残るのは殺された男と、自由になった男だ。生存者はそこで初めて、足元にある国家の土を感じる」【18】

グラムシ、フレイレ、ファノンの主張は、歴史と社会を階級闘争という色眼鏡で認識するよう人々を誘導する。心に階級闘争の火がつくと、学生たちは現行の制度に不満を持つようになり、社会問題を解決する方法は反乱と革命しかないと思いこむようになる。

アメリカの大学の人文科学や社会科学に最も強い影響を与えた学者、あるいは学派は何か、という問いについては諸説ある。しかし、マルクス主義、フランクフルト学派、フロイト理論、ポストモダン(脱近代主義のこと。共産主義と共に文化や道徳の破壊を試みる運動)などが、学問の分野を支配していることは確かである。

共産主義理論が浸透する学問の世界

1960年代以降、アメリカにおける文学研究は劇的に変化し、その影響は英語、フランス語、比較文学などさまざまな分野に波及した。伝統的に、文学批評家は古典作品に描写されている道徳や美的価値観を高く評価していた。彼らは、文学が人々の視野を広げ、道徳を向上させ、知性を発達させることを理解していた。実際、重要なのは文学自体であって、評論はただその理解や解釈を助けるためのものに過ぎない。

1960年代のカウンターカルチャー(対抗文化運動)の時期、哲学、心理学、文化などは大衆的な流行に染まり、さまざまな文学理論が生まれた。この時期、文学と理論の上下関係が逆転し、実際の作品が、まるで現代的な解釈を承認するための資料となってしまった。【19】

これらの「文学理論」の中身は何だろうか? 総合すると、それらの理論は伝統的な学問、つまり哲学、心理学、社会学、精神分析学などを、自分たちの歪んだ考えによって滅茶苦茶にしたものである。まさに文学学者のジョナサン・カラー(Jonathan Culler)が述べたように、「理論とはケンカ好きな批判家の、常識に対する概念である。さらに、理論とは、われわれが「当たり前」と思っている事象が、歴史の積み重ねであるとわれわれに思わせようとする試みである。ある理論については、われわれにとってごく自然に感じるため、それが理論であることが分からなくなるくらいだ」【20】

正誤、善悪、美醜の基準は、伝統的な家族、宗教、信仰、倫理に由来するものである。しかし、現代の学問はそれらの基準をけなし、逆転させ、破壊し、代わりにポジティブな価値観を持たない邪悪なシステムを作り上げた。

複雑怪奇な学問の扉を開くと、いわゆる「理論」というものが、単なる新旧あわせたマルクス主義、フランクフルト学派、精神分析学、脱構築主義、ポスト構造主義、ポストモダン(脱近代主義)をごちゃ混ぜにした代物に過ぎないことが分かる。それらは一緒になって人類文明を破壊し、共産主義が欧米の学問を乗っ取ろうとしているのを覆い隠す。1960年代から、共産主義は文学、歴史、哲学の分野に急速に浸透し、人文科学と社会科学を完全に支配した。

「理論」とは、多かれ少なかれ、「批判理論」のことである。それは法律、民族、ジェンダー(性別)、社会、科学、薬学に対する、新しく台頭してきた批判的研究である。その普及の程度を見れば、共産主義が学問と教育分野に絶大な影響力を及ぼしていることが分かる。それは学生たちを歪んだ思想で汚染し、最終的に人類を壊滅する道へと誘導している。

文学研究を政治化する

マルクス主義の文学批評家にとって、文学とは文章に内在する価値観にあるのではない。彼らは、上流階級のイデオロギー(例えばフェミニズムや民族など)や、彼らが支配するようになった経緯の描写を気にする。彼らにとって、古典作品に内在する価値観などは存在しない。著名なアメリカのマルクス主義者で文学批評家の人物は公に、「政治的な見方」が、「全ての文学作品に対する絶対的な思考と解釈」を構成すると主張した。【21】 つまり、すべての文学作品を政治的な寓意として扱い、文章の奥底にある階級、民族、ジェンダー、性別による抑圧などを読み取った人は、より洞察力があり、有能であるということである。

共産主義国家から来た人々にとって、この種の教義的な文学批評はおなじみである。毛沢東は中国四大名著のひとつ『紅楼夢』を「四つの家族、激しい階級闘争、数十人の人生がある」と評価した。

共産主義国家において、文学論争は常に洗練された象牙の塔で行われるわけではない。それは、時に血みどろの闘争に発展することもある。

明朝の清廉な政治家・海瑞(かいずい)を模範にせよという毛沢東の号令が出ると、歴史家の呉晗(ごがん)は京劇戯曲『海瑞罷官(海瑞の免官)』を書いた。1965年11月10日、上海の新聞社は、呉晗の作品を激しく批判する記事を載せた。記事は姚文元(ようぶんげん)と、毛沢東の4番目の妻・江青(こうせい)、急進的な批評家・張春橋(ちょうしゅんきょう)が計画したもので、「海瑞の免官」が大躍進政策を批判した彭徳懐(ほうとくかい)を暗示していると主張したのである。これが導火線となり、十数年におよぶ残虐な文化大革命が始まった。

中国共産党の文学批評は非常に粗雑であり、すべての作品を階級闘争で解釈しようとする。一方、欧米諸国の大学における文学批評は非常に巧妙であり、それがここ数十年間の傾向である。

欧米の新マルクス主義者の文学批評は、まるで日ごと強力になり、半永久的に変貌を遂げるウィルスのようである。彼らはさまざまな理論で武装し、人類文明の偉大な作品(古典ギリシャ、ローマ文学、ダンテ、シェークスピア、ビクトリア朝の小説など)を手術台に載せ、切り刻み、再定義しているだけである。これらの批評が難解な専門用語を生み出し、見せかけの洗練さを与えるが、その典型的な議論の中身は権利をはく奪された階級(女性や少数民族など)に対する偏見の告発である。

現代の批評家たちにとって、これらの作品は支配階級に属するものである。これらが大衆を麻痺させ、彼らが革命的な階級意識を持つことを阻害していると主張する。イギリスの哲学者ロジャー・スクルートン(Roger Scruton)は、「新文学批評家の手法は、転覆を図る本当の武器である。人類の教育を内部から破壊し、われわれが文化と繋がるための共感を断ち切ろうとする」と語っている。【22】

マルクス主義のイデオロギー

「イデオロギー」は、マルクスの影響を受けた人文科学の中心的な概念である。マルクスは、道徳、宗教、形而上学のすべてをイデオロギーと捉える。彼は階級社会を支配しているイデオロギーとは、支配階級のためのイデオロギーであって、その中身は現実をそのまま写すものではなく、その逆であると考えた。【23】

20世紀の新マルクス主義者らは、文化の破壊を革命のための大事なステップであると考え、彼らのイデオロギーを文学にたくさん取り入れた。ハンガリーのマルクス主義者ルカーチ・ジェルジュ(Georg Lukács)は、イデオロギーを「虚偽意識」と呼び、実際の「階級意識」とは反対であると唱えた。フランスのマルクス主義者ルイ・アルチュセール(Louis Althusser)は、「国家のイデオロギー装置」という概念を提唱し、宗教、教育、家族、法律、政治、労働組合、通信、文化などすべてが、国家という脅しの装置のもとで働くと指摘した。

イデオロギーには、狡猾な詭弁があることが分かる。すべての社会制度には落ち度があり、それは明確にして正されるべきだが、アルチュセールやその他のマルクス主義者たちは、具体的な問題について全く関心を持っていない。その代わりに、彼らは制度すべてを根本から否定する。その根拠は、つまり現行の制度は支配階級によって作られ、彼らの利益を守るように維持されているからである。

井戸の水に毒を入れ、イデオロギーを強化するのもマルクス主義の重要な側面であることは、アルチュセールの複雑なイデオロギー論を見れば分かる。彼らは、ある問題について、事実に基づいた利点を検証するのではなく、あくまでも敵を糾弾することを最重要事項とする。彼らの動機は往々にして、何らかの下心や思惑であったり、背景を分かっていなかったりすることから生ずる。毒入りの井戸の水は飲めないように、特定の人物を噂などで世論がバッシングすれば、人々はその人物を受け入れられなくなる。たとえ、その人物の言っていることが全うで論理的だとしても、である。

アルチュセールの包括的な「国家のイデオロギー装置」という概念には、共産主義による人類社会への憎悪が現れている。すべてを容認できず、あるのは完全な否定と破壊である。これこそ、共産主義が人類文明の破壊を目的としていることの現れである。

マルクス主義者のイデオロギーに対する概念は、抽象的かつ一般的で、とって付けたような誤った命題を提示する。その目的は、伝統的な道徳的価値観を排除するためである。彼らは真の目的を隠しながら、見せかけの道徳的な憤慨を表明する。マルクス主義者は大勢の人々を騙し、絶大な影響を与えているのである。

ポストモダン(脱近代)マルクス主義

1960年代、あるフランスの哲学者たちは、マルクスや共産主義を強力に推進するイデオロギーを発明し、それは後にアメリカへと波及した。ポストモダンと呼ばれる哲学の代表者はジャック・デリダ(Jacques Derrida)、ミシェル・フーコー(Michel Foucault)であり、彼らの影響は今日まで続いている。2007年、フーコーは文系科目では(2521回)最も引用された著者である。2番目に多いのはデリダで、1874回の引用があった。【24】 ポストモダンとマルクス主義には、目を見張るような関係がある。【25】 われわれはそれらをまとめてポストモダン・マルクス主義と定義してしまいがちだ。

言語は時にあいまいで多層的な意味合いを持つ。文章に異なる解釈があることは、古代ギリシャや遥か昔の中国の頃から認識されている。

デリダが提唱した「脱構築」(Déconstruction)という概念は、無神論と相対主義を入念に混ぜ合わせた欺瞞である。それは言語のあいまいさを誇張し、文章がすでに明確に定義しているにもかかわらず、それをさらに崩していく手法である。

従来の無神論者と違い、デリダは哲学者たちの言葉に対する自分の考えを述べた。その結果、彼の見解は神の概念を崩しただけでなく、理性、権威、伝統的な信仰に基づく言葉を破壊した。デリダに共感した批評家たちが脱構築を引き継ぎ、言葉の意味合いを崩していった。薄っぺらな知識にも関わらず、脱構築は多くの人々を騙すのに成功した。この理論は人文科学の分野に広くはびこり、共産主義が信仰、伝統、文化を破壊するための強力な武器となった。

ミシェル・フーコー(Michel Foucault)は、かつてフランス共産党に入党したことがある。彼の理論は、真理を否定し、権力のみが存在するという主張である。彼によれば、権力が真実を解釈する権利を独占しているため、真理と称されるもの全てが、偽善的で信頼できないものである。彼は著書『監獄の誕生』の中で、次のような疑問を投げかける。「工場、学校、宿舎、病院など全てが監獄に似ていることに驚愕するだろうか?」【26】 社会に必要不可欠な機関を監獄と同等視し、これらの「監獄」を転覆しようと人々に呼びかける。まさに反社会的な本質をさらけ出した理論である。

脱構築という手法で武装したフーコーやその他の批評家たちは、全てを相対化して伝統と道徳を侮蔑する。彼らは「すべての解釈は誤った解釈である」、あるいは「真理は存在せず、ただ解釈のみだ」「事実は存在せず、ただ解釈するのみである」という定理にしがみつく。彼らは真理、優しさ、美、正義などの基本的な概念さえも相対化し、それらの言葉を無用なゴミとして吐き捨てる。

人文科学系に進む若い大学生たちは、権威ある教師たちの授業に口を挟むことはできない。強固なイデオロギー教育の下で、明晰な思考を維持することは容易ではない。ポストモダンのマルクス教育に晒された学生たちが、そこから抜け出して別の見方をすることは難しい。共産主義イデオロギーが、人文科学と社会科学にはびこる所以である。

c. 新しい学問を利用してイデオロギー浸透を図る

健全な社会において、女性学や民族学は学問の世界を活性化するものである。しかし、1960年代のカウンターカルチャー(対抗文化運動)以降、一部の急進派はこの新分野の学問を利用し、左寄りの概念を大学や研究センターに広めた。

例えば、一部の研究者はアフリカ系アメリカ人を研究する学部が少ないと主張した。本来の理由は、その分野の学問の需要が少なかったためだが、一部の人たちは政治的な圧力であると主張した。【27】

1968年、サンフランシスコ州立大学は学生ストライキに遭い、閉鎖に追い込まれた。黒人学生組織の圧力を受け、同大学は全米初のアフリカ学部を設立した。主に黒人学生を励ますために設立された学部は、アフリカ系アメリカ人学という特殊な学問を生んだ。偉業を成し遂げた黒人学者たちが全面に立ち、授業の資料はアフリカ系アメリカ人を称える内容に変えられた。数学、文学、歴史、哲学やその他の科目においても、似たような修正が施された。

1968年10月、20人の黒人学生組織メンバーがカリフォルニア大学サンタバーバラ校のコンピューター室を占拠し、キャンパスを閉鎖に追い込んだ。1年後、大学は黒人研究と黒人研究センターを設立した。

1969年4月、コーネル大学の黒人学生たちが管理棟を占拠し、散弾銃と弾薬をチラつかせながら、黒人職員が運営する黒人研究学部の設立を要求した。ひとりの教師がたしなめようとしたが、学生のリーダーは、「3時間しか猶予がないぞ」と脅した。コーネル大学は譲歩する形で、米国で三番目となる黒人研究センターを設立した。【28】

スタンフォード大学・フーバー研究所に所属するシェルビー・スティール(Shelby Steele)は、かつて黒人研究学部の設立に賛成だった。彼によると、大学側は常に「白人の罪悪感」があり、黒人学生組織のどんな要求も呑んでしまうという。【29】 同時に、女性学、南米学(ラテンアメリカ学)、同性愛学などがアメリカの大学に導入され、普及している。

女性学とは何か。性差は身体的な違いから来るものではなく、社会構造から来るものであるという考え方が「女性学」の前提である。女性は長期的に、男性あるいは父系社会に抑圧されてきたことから、女性学は女性の社会認識を刺激し、社会全体に変革をもたらし、革命を起こすという主張である。

カリフォルニア大学サンタクルーズ校の著名なフェミニストの教授は、共産主義の家庭で育った。彼女は共産主義者としての経歴とレズビアンであることを公表している。彼女は1980年代からフェミニズムについて教鞭を執り、彼女の性的嗜好は政治認識を高めるためのライフスタイルだと公言するようになった。彼女が教授になった背景には、同じ共産主義者たちからの励ましがあった。彼女は公に、「教育は私にとって政治活動です」と語っている。彼女はカリフォルニア大学サンタクルーズ校にフェミニスト学部を設立し【30】、講義概要の中で、女性の同性愛は「フェミニズムの最高の形式である」と述べている。【31】

一方、ミズーリ大学の講義は、フェミニズム、文学、ジェンダー、平和などの問題を左翼の立場から研究するようにデザインされている。例えば、隠されたジェンダー(Outlaw Gender)という学問は、性別を「特殊な文化によって製造された人工的な分類」とみなし、自然発生的なものだという見方を否定している。これは、一つの見解を学生たちに植えつける。つまり、性別に基づく抑圧と偏見が、多元的な性認識に対抗するという図式である。【32】

第五章で検証したように、第二次世界大戦の後にやってきた反戦運動は、共産主義の浸透工作によるものである。最近では、平和研究という新たな学問がアメリカの大学に誕生した。学者のデイビット・ホロウィッツ(David Horowitz)とジェイコブ・ラクシン(Jacob Laksin)が、新しい学問に関連する250以上の組織を分析した。その結果、それらの組織は学問ではなく、政治的で、彼らの真の目的は左翼の反戦運動へ生徒を駆り立てることだったという。【33】

ホロウィッツとラクシンは著書『平和と闘争の研究(仮題)』(Peace and Conflict Studies)をとりあげて、背景にあるイデオロギーを指摘している。彼らによれば、このテキストは、マルクス理論を用いて貧困と飢餓の問題を議論しているという。著者は農場主やビジネスマンを批判し、彼らの貪欲さが何百万人もの人々に飢えをもたらしたと主張する。テキストは表向き暴力に反対しているが、一つだけ、著者が反対するどころか称賛する暴力がある。つまり、労働者の革命に伴う暴力である。

『平和と闘争の研究(仮題)』には、次のように書かれている。「キューバは地球の楽園とはほど遠く、また一部の個人の権利や市民の自由は未だ普及していないが、キューバの例を見ると、時には暴力的な革命がたくさんの人々の一般的な生存条件を向上させることが分かる」。しかし、このテキストは、フィデル・カストロ(Fidel Castro)の独裁政治やキューバ革命の壊滅的な結果について何も言及していない。

「9.11」の後に書かれたこのテキストは、テロについても言及している。興味深いのは、著者がテロリストという言葉に引用符をつけ、テロリストたちに同情しているかのような印象を与えていることである。著者は引用符の使用について、次のように説明している。「“テロリスト”と書いたことに対して、それが自明の理だと考える読者にとっては苛立ちを覚えるかもしれない。われわれがそうしたのは、おぞましい行為を矮小化するためではない。われわれは高潔な義憤を承認することによって、時にはある人間の“テロリスト”が他の人間にとって“自由の戦士”になりえることを強調したのである」【34】

学問とは、客観的な立場から研究することであり、政治的な目標は避けるべきである。しかし、これら新分野の学問は、イデオロギーを適用している。つまり、女性学の教授はフェミニズムを擁護し、黒人学の教授はアフリカ系アメリカ人が政治的、経済的、文化的に白人から差別され、困難であると主張する。彼らの生存意義は真理の追及ではなく、イデオロギーに必要な物語を推進することである。

これらの新学問は、アメリカ版文化革命の副産物である。大学に設立された学部は予算要求を繰り返して拡大し、多くの学生を募集し、さらにこの学問を強固にする。これらの新しい分野は、すでに学界に深く浸透している。

しかし、これらの新学問は、共産主義の影響を受けた、邪な意図を持つ人間によって作られたのである。彼らの目的は異なるグループの対立を助長し、憎しみをかき立て、暴力的な革命の準備をするためである。彼らは、彼らが支持すると表明した人々(アフリカ系アメリカ人や女性など)とは、実際なんの関係もないのである。

d. 急進的な左翼思想を推進する

ホロウィッツとラクシンは著書『(仮題)一党制教室:アメリカのトップ大学で学生たちを洗脳し民主主義を破壊する急進派の教授たち』(One-Party Classroom: How Radical Professors at America’s Top Colleges Indoctrinate Students and Undermine Our Democracy)の中で、リストアップした12大学で行われている150の左翼的なコースを挙げた。これらのコースは学術的な言語で政治目的を覆い隠しているが、実際には共産主義国家で必修とされている政治コースと類似しているという。

カリフォルニア大学サンタクルーズ校には、「抵抗と社会運動の理論と実践」(The Theory and Practice of Resistance and Social Movements)というコースがある。講義内容は以下の通りである。「このコースの目標は、どうやって革命を組織するかについて学ぶことです。ここでは、コミュニティーがいかに国際的な資本主義、国家の抑圧、民族差別に(これに留まらないが)抵抗し、挑戦し、転覆してきたか、また現在しているのかについて学びます」【35】

イリノイ大学シカゴ校の特別教授ビル・アイヤーズ(Bill Ayers)は、1960年代の急進派であり、また「民主的社会を求める学生同盟」(Students for a Democratic Society, SDS)の分派ウェザーマン(Weatherman)のリーダーとして広く知られている。1969年、ウェザーマンは地下組織に変貌し、米国初のテロ集団に発展した。彼らは急進的な学生を組織し、民族対立を挑発するテロ活動に参加した。

ウェザーマンのグループは、首都やニューヨーク市警察、ペンタゴン、国家警備隊の事務所爆破を企んだ。アイヤーズの有名な言葉がある。「金持ちは全部殺せ。奴らの車とマンションを破壊しろ。革命を家にもたらし、両親を殺せ」。【36】 アイヤーズの書籍は、彼の経歴を物語る。彼は論文の中で、暴力的な少年犯罪者たちに対する「偏見」を克服しなければならないと主張した。【37】

左翼の進歩主義者たちはFBIの目を欺き、アイヤーズを逃がすことに成功した。彼は1980年代に再び浮上し、法の網をくぐり、刑事裁判を回避した。彼はイリノイ大学シカゴ校で幼児教育を学んだが、政治的な見解は変わらず、自身のテロ活動に対して後悔している様子もなかった。アイヤーズは准教授、教授と順調に昇進し、今の特別教授(Distinguished Professor)という地位に上り詰めた。彼はさらに大博士(Senior University Scholar)という名誉ある称号を授与されている。

アイヤーズが授与された肩書は、学部内の同僚の推薦によるものである。従って、この大学が彼のテロ活動家としての過去を黙認し、支持していることが分かるだろう。

e. アメリカの偉大な伝統を否定する

2014年、テキサス・テック大学(Texas Tech University)の政治に関与する学生たちが三つの質問を掲げたアンケート調査をした。「南北戦争では誰が勝利しましたか?」「誰がわれわれの副大統領ですか?」「われわれの独立はどこから勝ち取りましたか?」の三つである。常識的な質問にもかかわらず、多くの学生が答えに窮した。彼らは母国の歴史や政治について知らなくても、映画スターや自身の恋愛沙汰には非常に詳しいのである。【38】

2008年、大学間研究所(Intercollegiate Studies Institute、ISI)が無作為に行った調査によると、2508人のアメリカ人のうち、政府の三つの部門(三権分立)を正確に答えられたのは半分にとどまった。【39】 簡単な公民テスト33題については、回答者のうち71%の平均正答率が49%にとどまり、落第点だった。【40】

アメリカの歴史を学ぶということは、国家が設立された過程を理解するだけに留まらない。それは、建国の基礎となる価値観を知ることであり、その伝統を保持するのに何が必要なのかを学ぶことである。それによって初めて、国民は今日、自分たちが手にしているものに感謝し、国家の遺産を保存し、次世代へ継承しようとするのである。

歴史を忘れることは、伝統を破壊することに等しい。人々が国民としての義務を知らなければ、専制国家が生まれやすい。一体、アメリカの歴史と市民教育に何が起こったのかと困惑せずにはいられないだろう。その答えは、学生が使っている教科書と彼らの教師にある。

有名な著書『民衆のアメリカ史』(A People’s History of the United States)を執筆したのは、マルクス主義者として知られる歴史学者ハワード・ジン(Howard Zinn)である。この本の特徴は、アメリカの歴史に登場する英雄的な行為や啓発的なエピソードはすべて恥ずべき虚言であり、本当は抑圧、強奪、虐殺にまみれた暗黒の歴史であるとする点だ。【41】

ボストンの大学に所属するある経済学教授は、全米が敵視するテロリストは「自由の戦士」であり、アメリカ政府が真の邪悪であると主張する。彼は2004年に出版した著書の中で、「9.11」のテロリストと、1775年にレキシントンで独立のためにイギリス軍に立ち向かったアメリカ植民地軍の銃撃を同一視したのである。【42】

f. 西洋文明の古典に挑戦する

1988年、スタンフォード大学に所属する急進的な学生と教師たちは、西洋文明と称する大学コースに反対するデモを行った。彼らは「ヘイ、ヘイ、ホー、ホー!西洋文明は出ていけ!」というかけ声とともに抗議した。大学側は学生たちの要求に譲歩し、コース名を「西洋文明」から、「文化、概念、価値観」(Cultures, Ideas, Values、CIV)という多文化主義的な名前に変更した。このコースはホメーロス、プラトン、アウグスティヌス、ダンテ・アリギエーリ、シェークスピアなどの古典西洋文化の代表を排除することはなかったが、代わりに女性やマイノリティー、また抑圧された側の人間による作品を講義内容に含むことを義務づけられた。

当時アメリカ合衆国教育長官だったウィリアム・ベネット(William Bennett)は、コースの変更は脅迫であると批判した。それにも関わらず、多くの著名大学は同様の変更を行い、下位の大学も後に続いた。数年の間に、全米の大学の人文科学(リベラル・アーツ)は大きく変貌した。

保守派のディネシュ・ドゥスーザ(Dinesh D’Souza)は彼の著書『(仮題):偏狭な教育』(Illiberal Education)の中で『(仮題):私の名はリゴベルタ・メンチュウ:ガテマラの中の先住民女性』(I, Rigoberta, Menchu: An Indian Woman in Guatemala)という本を挙げ、スタンフォード大学に生まれた新しいCIVコースのイデオロギーを批判している。この本は、ガテマラの先住民であるアメリカ人女性の半生を描いた物語である。両親を無残に殺された彼女は反乱の道を歩み、徐々に極端な急進派となっていった。

リゴベルタは、自身を南米のアメリカインディアン運動と重ね合わせるようになった。彼女は自分たちの権利を主張し、一方で欧米の影響を受けたラテン文化を否定した。彼女は最初にフェミニストになり、次に社会主義者となり、最後にマルクス主義者となった。彼女の本によれば、最終的に彼女はパリの人民戦線に参加し、10代のブルジョアジーや火炎瓶について議論するようになった。彼女の本の最終章のテーマは「結婚と母性を放棄するリゴベルタ」である。【43】

「ポリティカル・コレクトネス」によってアメリカの大学から古典文学が排除された。それにより、さまざまな有害な結果が生じた。そのうちのいくつかを下記に挙げる。

第一に、内容が浅く低品質な革命物語や被害者文学が、永続的で深遠なテーマを含む古典文学に取って代わった。

第二に、この種の文学と古典を比較すると、一見、古典分野にそれらの居場所を与えたように見せ、また学生の心に強烈な印象を与える。これらの平凡な文章と古典を並列することは、古典を矮小化し、相対化する。

第三に、今日、古典文学は、批判理論、文化学、アイデンティティー政治、ポリティカル・コレクトネスの視点から分析されている。学者たちは熱心にシェークスピアに隠された人種差別や性差別、また登場人物たちの隠れた同性愛傾向などを研究し、古典作品を歪め、貶めている。

第四に、学生たちは高貴で偉大な人物に対してもこれらの歪んだ人格をあてはめ、古典に描かれている道徳的な教訓を信じない。代わりに、彼らは英雄たちを否定的な、皮肉の目で観察する。

伝統的な文学教育において、古典の主なテーマは普遍的な愛、正義、忠義、勇気、自己犠牲の精神といった道徳的価値観である。歴史の授業で大切なのは、建国における主要な出来事や国家の発展、またその根底にある価値観を伝えることである。

西洋文明の古典はほぼ全てがヨーロッパ人によって書かれたため、左翼は多文化主義やフェミニズムを掲げて、女性や有色人種による作品も読むべきだと主張する。歴史の授業では、国家の歴史をすべて暗黒であると決めつけ、奴隷や女性、その他の少数民族に対する搾取であると位置づける。その目的は、伝統的な遺産を掘り起こすことではなく、女性や少数民族に対する罪悪感を植え付けるためである。

私たちが読書に没頭できる時間は限られている。教育機関が故意に「政治的に正しい」本を読むことを強調すれば、それだけ人々が古典に親しむ時間がなくなる。その結果、学生たちは自分たちの文化の源に触れることがなくなる。特に、人々は宗教信仰を基礎とする文化と、それを伝えた価値観から離れていく。それぞれの文化と人種は神から由来している。それは多様かもしれないが、混ぜてはいけない。文化をどれもこれも一緒にすることは、人種と、人種が属する文化の絆を断ち切ることである。つまり、人間と文化の創造主である神々との絆を破壊することである。

g. 教科書と人文科学(リベラル・アーツ)を占拠する

経済学者のポール・サミュエルソン(Paul Samuelson)は、教科書の影響力について語っている。「私は、誰が国家の法律を書こうが(あるいはこの進んだ契約を作り上げようが)気にしない。もし私がこの経済学の教科書を書けるのであれば」。【44】 大量に発行される教科書は学問の権威として学生たちにとてつもない影響を与える。教科書の作り手は、若く柔らかい学生たちの頭脳を自由に作り替えることができる。

終身雇用の特権を持つ急進的な教授たちは、大学の出版事務所や委員会で多大な影響力を持つ。彼らは自分のイデオロギーに溢れた教材を使い、学生たちにその思想を注ぎ込む。ある学術分野では、教授が推薦する本は他の分野に比べてかなり多くのマルクスの本が含まれている。前述したハワード・ジンの著書『民衆のアメリカ史』は、多くの歴史学、経済学、文学、女性学の必読書とされている。

いったん左翼が多数派を占めると、ピア・レビューと呼ばれる査読(論文を出版する前に、その内容を同専門分野の権威ある研究者によって評価、訂正する制度)を通じて、異なる見解を示す人々が抑圧される。左翼イデオロギーに挑戦するような論文は、左翼とその同僚たちから弾かれてしまう。

多くの人文科学系の学術誌は批判理論と不明瞭な専門用語に溢れているが、その主なテーマは神と伝統文化の否定、革命の扇動、現行の社会、政治、経済秩序の転覆である。すべての伝統的な道徳と規範、また科学の発展は社会構造の産物であり、それは支配階級が彼らの慣習を押し付けるためだと結論づける研究分野もある。

1996年、ニューヨーク大学の物理学教授アラン・ソーカル(Alan Sokal)は、デューク大学が発行する文化学評論誌「ソーシャル・テキスト」(Social Text)に論文を発表した。論文のテーマは「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」(Transgressing the Boundaries: Towards a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity)で、「量子重力」が社会と言語で成り立つと主張し、109の脚注と219の参照文献を表示した。【45】

論文が掲載されたその日、ソーカルはそれが単なるデタラメを並べただけの疑似論文であることを告白した。彼は、ソーシャル・テキストに携わる編集者たちの鑑識眼を試したかったのだという。【46】

アメリカのラジオ番組「All Things Considered」で行われたインタビューで、ソーカルは1994年出版の本『(仮題):高等な迷信』(Higher Superstition)から啓発を受けたと語っている。この本によれば、一部の人文科学は「適切な左翼思想」が混入され、著名な左翼思想家の言葉が引用されていれば、なんでも本として出版されるという。ソーカルは、自身の論文を左翼イデオロギー、要領を得ない引用、無意味な言語で埋め尽くし、人文科学の研究者たちを試したかったのだと語った。【47】

ソーカルは後に書いている。「私の小さな実験によって、少なくとも明らかになったことがある。それは、一部で流行しているアメリカ学術界の左翼たちは、知的に怠けているということだ。『ソーシャル・テキスト』の編集者が私の論文を気に入ったのは、結論が「ポストモダン科学の内容と方法論が、進歩的な政治プロジェクトに力強い知的支援を与えた」というものだったからだ。彼らは明らかに、証拠の質や主張の説得力、主張が結論に関連づいているか、などについて分析する必要性を感じていなかったようだ」。【48】 ソーカルの風刺的なやり方は、批判理論とカルチュラル・スタディーズ(文化を学際的立場から批判的に研究する学問)が、学問の基本原則である信ぴょう性に欠けることを暴露したといえる。

過去十数年間にアメリカで開かれた大規模な学会のテーマを見ると、共産主義が社会科学にかなり浸透していることが分かる。中でも最大規模の組織は2万5千人の協会員を擁する米国現代語学文学協会(The Modern Language Association)で、教授や学者を含む1万人以上が年次総会に出席する。

同協会のウェブサイトに掲載された論文は、主にマルクス、フランクフルト学派、脱構築、ポスト構造主義などの逸脱した理論を適用している。その他にも、フェミニズム、同性愛研究、アイデンティティー政治、またはその他の人種問題などが主な論文の枠組みである。アメリカ社会学会(the American Sociological Association)などの似たような組織も、程度は異なるが、同様のイデオロギーを取り入れている。

アメリカの大学はリベラル・アーツ(人文科学)教育の伝統があり、一部の人文科学の科目は専攻に関わらず必修である。今日、必修コースを教えるのは主に文学、歴史、哲学、社会科学の教授たちである。アメリカの経済学者トーマス・ソウェル(Thomas Sowell)によれば、往々にして教授たちは彼らの左翼イデオロギーを授業で拡散するが、必修科目という名前が示すように、学生たちに選択肢はない。教授は自分の見解を受諾したかどうかで学生の成績を決めることができる。【49】 人文科学や社会科学を教えるマルクス主義の教授たちが汚染するのは、その分野を学ぶ学生たちだけでなく、学生全体である。

大学生は背伸びしたがる年頃だが、彼らの知識と人生経験は往々にして未熟である。大学という閉ざされた環境の中で、尊敬する教授たちが若者の純粋さや素直さにつけ込み、完全に誤った、毒のあるイデオロギーを吹き込んでいるなどと思う学生はほとんどいないだろう。両親は、将来子どもたちが社会でやっていけるようにと高い授業料を支払う。しかし、実際、子どもたちは大事な数年間を奪われ、急進的なイデオロギーの追随者になるよう教育されている。それが子どもの人生全般に影響を与えるかもしれないなどと、いったい誰が気づくだろうか?

共産邪霊によって汚染された教育制度に若い世代が続々と入ってくる。彼らは左翼によって書かれた教科書を勉強し、逸脱した理論を吸収していく。その結果、文化、道徳、人間性の破壊が加速していく。

h. 「再教育」する大学:洗脳と道徳の堕落

1980年代以降、全米の大学にマルクスのイデオロギーが広まるにつれ、キャンパスでは「攻撃的な」言葉、特に女性や少数民族を傷つける言葉が避けられるようになった。アメリカの学者ドナルド・ダウンズ(Donald Downs)によると、1987~92年にかけて、全米のおよそ300の大学が言論規制を導入し、敏感なグループや議題について攻撃的と受け取られる言葉を禁じる副次的な法制度を設けたという。【50】

人々は善意から言論規制に賛成したかもしれないが、その結果は際限のない馬鹿げたクレーム競争だった。人々は、どんなささいな言葉にもケチをつけるようになった。実際、法律ではそのような権利は存在しないが、カルチュラル・マルクス主義(文化は資本主義社会が押し付けたものとする考え方)の流行により、誰もが自分は抑圧されていると主張するようになった。抑圧されている理由は、文化、祖先、肌の色、性別、性的嗜好などさまざまである。大学側は、被害者だと主張する人たちに対して、一貫して特別待遇を与えなければならない。

マルクスの理論によれば、抑圧されている人はどんな場合でも道徳的に正しい。そのため、被害者と主張する人たちの信ぴょう性に疑問を投げかける人は少ない。この愚かな論理は歪んだ道徳基準から生まれた。グループのアイデンティティーや情緒が激化すると、(レーニンやスターリンは、これを高いレベルの階級意識と呼んだ)人々は無意識に伝統的な善悪の基準を放棄し、集団心理に左右されてしまう。これが如実に現れているのが、共産主義国家である。プロレタリアートは「抑圧されている」のだから、「抑圧している」地主や資本家たちを殺しても構わないのである。

攻撃的、あるいは差別的であると任意に言語を批判する流行は、カルチュラル・マルクス主義の学者たちから生まれた。彼らは差別に対する定義を広げ、新しい一連の概念を作り上げた。その中の一部は「自覚なき差別」(microaggressions)、「事前警告」(trigger warnings)、「差別や攻撃的な発言に直面することのない場所や状況」(safe spaces)などである。大学側は、感受性やダイバーシティ(多様性)に対応するための政策や義務訓練を導入している。

「自覚なき差別」(microaggressions)とは、日々の生活の中で、「差別者」が、悪意がないにも関わらず相手を傷つけてしまう可能性を持つ言動または行動をすることである。この種の無意識な差別あるいは無知を「無神経」と呼ぶ(レーニンやスターリンはこれを低い社会認識とみなすだろう)。感受性訓練は、新入生にとって主要なオリエンテーションの一部である。大学は、「自覚なき差別」の法則に違反しないように、言ってはいけない言葉、着てはいけない服などを学生たちに教える。

ある大学のキャンパスでは、「自覚なき差別」にあたるとして「アメリカへようこそ」と言うこともできない。この言葉が、ネイティブ・アメリカン(アメリカの先住民族)やアフリカ人、日本人、中国人など歴史的に抑圧されてきた人々を刺激する可能性があるからだ。祖先が被った屈辱的な歴史を思い起こすというのである。

以下は、カリフォルニア大学が列挙した「自覚なき差別」にあたる言葉である。「アメリカは人種のるつぼである」(人種差別にあたる)「アメリカはチャンスに満ちた土地です」「男性と女性は同じ成功のチャンスがあります」(性別や民族による不平等を無視している)。【51】 「自覚なき差別」は大学運営における主要な訓練となった。

典型的な例としては、インディアナ州パデュー大学における「自覚なき差別」事件である。ある白人学生は、『ノートルダム対クラン:いかに戦うアイルランド人がクー・クラックス・クランを打倒したのか』(Notre Dame vs. the Klan: How the Fighting Irish Defeated the Ku Klux Klan)という本を読んでいたために、人種ハラスメント条例に違反してしまった。本のカバー写真にあるクー・クラックス・クラン(KKK)の集会の様子が、同僚の学生を刺激したのである。大学側はその学生が人種差別の学則に違反したと主張した。学生は反論し、またその他のグループからの助けにより、パデュー大学は学生が無実であることをしぶしぶ認めた。【52】

感受性訓練とダイバーシティ(多様性)訓練は、旧ソ連や現在の中国で行われている再教育プログラムと本質的に同じである。再教育の目的は、階級意識を強めることである。「ブルジョアジー」と「地主階級」(つまり白人男性)は、自分たちが支配階級であるという罪を自覚し、「ブルジョアジー」に対する「正しい」認識を持たなければならない。彼らは「内在化された抑圧」を取り除き、彼らが置かれている優位な立場に気づくようプレッシャーをかけられる。これは、フェミニズムが、伝統的な女性らしさは父系社会の産物だと教育するやり方と同じである。

マルクスが主張した階級に続き、「個人的なことは政治的なこと」(the personal is political)というスローガンが続いた。これは、問題を抑圧する側から理解することは間違っていると主張するものである。マルクス主義に従って世界を見る時、階級による抑圧や階級闘争を否定するような言葉や行為は厳しく罰しなければならない。感受性訓練は「社会的不公正」を暴き、「抑圧されているグループ」(女性、少数民族、同性愛者など)の立場を新たに設定したのである。

例えば、2013年、ノースウェスタン大学(Northwestern University)は、ダイバーシティ・コースを学生に履修することを義務付けた。大学側の説明によると、コースを履修した生徒は「批判的に思考する能力を高め」(階級の分類方法を学べる)「不公平な制度の中で自分の立場を認識し」(階級の構成要素を理解し)、自分の「権利と特権を考え直す」(自分たちを抑圧者の見地から考える)ことができるという。【53】

また、2007年にデラウェア大学で始まったイデオロギーの再教育プログラムも典型的な例である。誤った行為や信念を「治療する」と力説するこのプログラムは、7千人の生徒を対象とする必修コースである。このコースの公式目標は、学生たちに、政治、人種、性別、環境問題に対する設定された認識を受け入れさせることである。

大学のレジデント・アシスタント(寮生活を助ける上級生)たちは、個々の学生たちと面接し、質問をする。中身は、どのような人種の人とデートしたいかなどで、自分が所属するグループ以外の人との付き合いを促すことを目的としている。ある女子学生は性別アイデンティティーと肉体が異なることについて質問されると、それはレジデント・アシスタントには関係ないと反発した。すると、アシスタントは、すぐに彼女のことを大学側に報告したという。【54】

このような大規模な政治教化は、道徳や価値観の基準を混乱させるばかりでなく、エゴや個人主義を激しく増長させる。若い学生たちが学ぶことは、極めて政治的に敏感なグループ(アイデンティティー政治)を認識し、自分の欲望を追及することである。自分は抑圧されているグループに属していると主張するだけで、他人を批判し、利益を享受することができる。もし彼らに異見を唱えたならば、違反行為となり、大学側に報告されてしまうこともある。つまり、この形で、人々の言論の自由を奪っている。保守的な学生が運営する新聞の内容が気に入らなければ、それを焼いてしまうことも厭わないのである。

「傷つけられた」と感じるかどうかは、主観的な問題である。しかし、時に主観的な感覚が客観的な証拠としてまかり通る。大学教授たちは、常に重要なポイントを避け、遠回しな言い方をするようになった。最近では、多くの大学生たちは教師たちに「事前警告」することを要求している。ある議論のテーマや資料が、一部の学生にとって敏感な内容であるかもしれないというのである。最初の数年間、シェークスピアの『ベニスの商人』や古代ローマ詩人オウィディウスの『変身物語』でさえも、事前警告が必要な文学に挙げられていた。一部の大学は、学生の感情を傷つけるような作品はなるべく避けるべきだと提唱している。【55】

このような環境で育った学生は、自分のエゴが簡単に傷つけられ、また何があっても傷つくことを回避しようとするだろう。キャンパスで植えつけられるグループ・アイデンティティー(集団同一性)という考え方(つまり、共産主義者が言う「階級意識」の現代版)は、学生たちを愚かにする。独立した考えもなく、責任感もない無知な学生を産出するのである。現在の教授たちが1960年代に急進的な学生だったように、今の学生たちは反伝統的である。彼らは乱れた性行為、アルコール、麻薬に溺れている。彼らの言語には意味のない罵り言葉が溢れている。しかし、彼らの傲慢な態度の裏には、傷つきやすい心と魂が隠れている。彼らはちょっとした打撃や挫折にも耐えられず、ましてや真の責任感を持つことなどできない。

伝統的な教育では、克己(自制)、自立、責任感、他人を思いやる心を養った。共産邪霊が望むのは、次世代の人間が道徳基準を完全に放棄することである。それは、自分の手先を増殖し、世界を支配するためである。

2. 小学校と中学校に潜む共産主義の影

共産主義の影響が最も強いのは大学だが、小学校や中学校への浸透も深刻である。共産主義の影響で知的な成長や成熟を妨げられた子どもたちは、大学に進学した後、より左翼の影響を受けやすくなる。若い学生たちは徐々に知識を失い、判断力や客観的思考能力を失う。これが過去百年の過程である。アメリカの哲学者ジョン・デューイ(John Dewey)の進歩主義教育がこの潮流をつくり、後に続いた教育改革が同じ道をたどった。

学生たちは無神論、進化論、共産主義のイデオロギーを教え込まれた。アメリカの小学校と中学校では、伝統的な信仰と道徳を破壊する心理操作が行われた。道徳的相対論と現代的概念が教えられ、生命に対する歪んだ考えが注入された。これが、教育のあらゆる分野で適用された共産主義の手法である。そのやり方があまりにも巧妙であるため、人々がその流れを止めることは不可能だった。

a. 学業の基準を下げる

アメリカは民主国家である。大統領から国会議員、町長、学区の教育委員会までがすべて選挙によって選ばれる。民主政治が真に人々の利益になるよう機能するかどうかは、人々の道徳レベル、および知識と理解の程度による。もし、有権者が歴史を知らず、政治経済、社会問題について疎い人間だったらどうなるか。彼は、国や社会にとって長期的な利益となる候補者を選別できないだろう。これは国家を危険な状態にさらすことになる。

1983年、アメリカ教育庁の諮問機関が「危機に立つ国家」(A Nation at Risk)という報告書を発表した。

「われわれの国家が機能するには、市民が複雑な問題に対して、時に突然の知らせや矛盾すること、あるいは十分な証拠に基づかないことであっても、ある程度の共通認識に到達しなければならない。教育が、この共通認識を形成するのを助けてくれる。トーマス・ジェファーソンの有名な格言にあるように『社会の究極の力を蓄えておく安全な場は、国民以外には考えられない。そして、もしその国民が健全な良識をもって、これを自由に操作するほど啓発されていないと思われる場合には、国民に操作させないのではなく、教育によって国民の良識を育てることが、その対応策である』」

知識が浅く、論理的思考に乏しい人間は、虚偽や嘘を見抜くことができない。そのため、教育が非常に重要な役割を果たす。共産主義が教育のあらゆるレベルに浸透し、愚鈍で無知な生徒を育てるのは、彼らを操りやすくするためである。

報告書にはまた、次のように書かれている。「われわれの社会の教育システムは、現在、凡人の上昇によって浸食されている。それが国家や人々として、われわれ自身の将来を脅かしている」

「もし友好的ではない外国勢力が、今日のアメリカにある二流教育を押し付けようとしていたなら、われわれはそれを戦争行為とみるべきだった」

「われわれは、スプートニク・ショックの余波の中で、学生たちが成し遂げた利益を無駄にしてしまった。さらに、われわれはその利益を可能にするような、大事な支援制度を廃止した。われわれは、実際に、軽率な、一方的な、教育の軍縮にあたる行為を働いてきたのである」【56】

報告書は、分析家のポール・コッパーマン(Paul Copperman)の言葉も引用している。「わが国家の歴史上初めて、一世代の学力が、その両親の世代を超えず、同等でもなく、接近することもなくなった」

報告書はさらに、衝撃的な調査結果を伝えている。アメリカの学生の成績が世界水準の底辺であるだけでなく、2300万人のアメリカの成人が機能的非識字であるという。つまり、彼らは読み書きする若干の能力があっても、現代の複雑な生活や仕事をこなすだけの水準に至らないのである。17歳の機能的非識字率は13%で、マイノリティーでは40%に跳ね上がる。1963~80年にかけて、SAT(大学進学適正試験)の成績は落ち込み、国語の平均点は50点、数学は40点下落した。「17歳の多くが、われわれが期待する高次解析の知的能力を持たない。40%近い子どもたちが、文章をもとに推論する能力がない。5分の1の生徒のみが、説得力のある作文を書くことができ、3分の1の生徒が、いくつかのステップを踏む数学の問題が解ける」【57】

1980年代以降、アメリカの教育に疑問を持つ人々が「基本に立ち返る」(Back to Basics)キャンペーンを行ったが、教育制度の後退を食い止めることができただろうか? 2008年、エモリー大学のマーク・バウアーライン(Mark Bauerlein)が『もっともバカな世代』(The Dumbest Generation)を執筆した。第一章によると、教育省と非政府組織(NGO)がまとめた調査で、アメリカの学生の歴史、公民、数学、科学、テクノロジー、美術などの知識に大きな差があるという。2001年に行われたNEPA(National Education Progress Assessment)という試験では、57%の学生の歴史の成績が「基礎以下」であり、「上級」に達したのは、たったの1%だった。第二次世界大戦時における米国連合軍の国を問う問題では、驚くことに52%がソ連の代わりに、ドイツ、日本、イタリアと答えたのである。他の教科の成績も惨憺たるものだった。【58】

アメリカの教育の質が落ちたことは誰の目にも明らかである。1990年代から、「知的レベルの低下」という言葉がアメリカの教育に関する本に登場した。ニューヨークの教員で作家のジョン・テイラー・ガット(John Taylor Gatto)は書いている。「1850年代のテキストを読んでみればわかる。現代では大学レベルと思われる内容が書かれている」【59】

アメリカの教育システムの印象を上げるため、ETS(学力テスト)は1994年にSAT(大学進学適正試験)の点数を再設定せざるを得なかった。SATが現代の形式になった1941年当時、言語テストの平均点は500点(最高は800点)だった。1990年代までに、平均点は424点に下がったが、ETSは424点を500点と再設定したのである。【60】

教育の質の低下は、学生の識字能力を低下させるだけではない。基礎能力に欠けているため、論理的思考を要する学部の質も落ちている。1990年代、学者トーマス・ソウェル(Thomas Sowell)が指摘している。「ジョニーは単に読めないだけでなく、彼は思考することすらできない。ジョニーは思考するとは何かを知らないのだ。なぜなら、公立学校では、思考を頻繁に感情と混同しているからだ」【61】

1960年代の反抗的な学生リーダーたちは雄弁だったが、今日の路上でデモを行う若者は、自分たちの要求を明確に説明することができない。彼らは基本的な常識や理論に欠けているのだ。

成績が低下しているのは、現代の学生が以前の学生より劣っているからではない。共産主義が、ひっそりと、教育を武器に、次世代に対して戦争をしかけているのである。『アメリカの学力の故意的な低下』(The Deliberate Dumbing Down of America)の著者であり、1980年代のアメリカ教育省上級顧問だったシャーロット・トムソン・イザービット(Charlotte Thomson Iserbyt)は述べている。「アメリカ人がこの戦争を理解していないのは、これが静かなる戦いだったからだ。わが国の学校で、教室で捕虜となったわれわれの子どもたちが標的とされたのである」【62】

b. 進歩主義教育の弊害

アメリカの小学校や中学校における反伝統の動きは、20世紀初頭に起こった進歩主義教育から始まった。進歩主義の教育者たちはさまざまなインチキ理論や談話を発表し、カリキュラムを変更し、指導資料の内容を薄め、学業水準を引き下げた。彼らは伝統的な教育に対して甚大な損害を与えたのである。

ルソーからデューイまで

アメリカの進歩主義教育の始祖といわれるジョン・デューイ(John Dewey)は、18世紀フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)から啓発を受けた。

ルソーは、人間は本来善良であり、社会悪が道徳の低下を促すと考えた。人間は誕生した時は自由で平等であり、もし自然な環境の中にいれば、全員が本来の権利を享受するはずだと述べた。不平等、特権、搾取、人間本来の善良さの喪失は、すべて文明の産物であると主張した。子どもに対しては、ルソーは「自然教育」を主張し、子どもたちの好きなようにやらせることを提唱した。この理論には、宗教や道徳、文化的な教育全く含まれていない。

しかし、人間には善と悪の両方が宿っている。善を養うことを怠れば、人間の悪の部分が膨張し、人はどんなに卑劣で邪悪な行為も許容してしまう。ルソーの洗練された言葉に惑わされ、彼に追随する見当違いの者がたくさん現れた。ルソーの理論が欧米の教育に及ぼした有害な影響は計り知れない。

一世紀が経ち、ルソーの破壊的な教義をデューイが引き継いだ。ダーウィンの進化論に感化されたデューイは、子どもたちを伝統的な両親から引き離し、宗教や文化からも分離して、彼ら自身で環境に適応する自由を与えるべきだと主張した。デューイは実用主義者で、道徳的相対主義者である。彼は、不変の道徳など存在せず、人間は好きなように行動する自由があると信じた。道徳的相対主義という概念は、神が与えた道徳規範から人類を引き離す重要なステップである。

デューイは1933年の「ヒューマニスト・マニフェスト」(ヒューマニズムを新しい時代の宗教であると主張する共同声明)に署名した33人のうちの一人である。ルネッサンス期のヒューマニスト(人文主義者)と異なり、デューイたちの主張は無神論を根本とした世俗宗教である。彼らは進化論や唯物論を掲げ、人間を機械、あるいは単なる生化学の過程であると主張した。

デューイの教育とは人間を型にはめ込み、教育者の好む方向へ誘導することであり、マルクスの言う「新社会主義者」と基本的に変わらない。デューイ自身、民主社会主義者だった。

アメリカの哲学者シドニー・フック(Sidney Hook)は言った。「デューイは認識論と社会哲学をマルクス理論に加えた。マルクス自身、それを半分は認識していた。彼は初期に、それを大まかに述べてはいたが、適切に詳述してはいなかった」【63】

1921年、ロシア全土で内戦が起きると、ソビエト軍はデューイの『民主主義と教育』から文章を抜粋した62ページに及ぶパンフレットを作成した。1929年、モスクワ第二州立大学の教師アルバート・ピンクエーリッヒ(Albert P. Pinkerich)は、「デューイは際限なくマルクスとロシア共産主義者に近づいていた」と書いた。【64】 伝記作家のアラン・ライアン(Alan Ryan)は、デューイが「礼儀正しい社会民主、つまり非全体主義のマルクス主義に知識の武器を与えた」と書いた。【65】

進歩主義教育者は憚ることなく、生命に対する学生の態度を変換させる。目的を達成するために、彼らはクラス編成、教材や指導要領、教師と生徒の関係など、すべての授業を転覆した。教育の中心を教師から学生(または子どもたち)に移し、個人の経験が教科書の知識を上回るとみなした。プロジェクトや活動の方が授業より重要になった。

アメリカの保守系雑誌「Human Events」はデューイの『民主主義と教育』を、19~20世紀に出版された悪書トップ10のうちの5番目にランク付けした。同雑誌はデューイのことを、「伝統的な人格形成と高度な知識を授けることを中心としていた学校制度を誹謗中傷し、代わりに、考える『スキル(技能)』 を奨励した」と辛辣に批判している。【66】

進歩主義教育に対する厳しい批判の声もあった。1949年出版の『Madly Teach: A Layman Looks at Public School Education』(仮題:猛烈な教育:素人が公立学校教育を見る)は、進歩主義教育に対する反論が、簡潔で包括的に書かれている。【67】 一方、進歩主義教育者たちは、それらを「反動的」と一蹴し、さまざまな手法で批判を抑圧した。

デューイはコロンビア大学に50年以上務めた終身雇用の教授だった。彼の在職中、少なくとも小・中学校教師の5分の1は、同大学で講義を受けたり、学位を取得したりしたはずである。【68】 進歩主義教育はその後、アメリカの国境を越えて全世界に広がった。

マルクスやエンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東と比べれば、デューイは革命のカリスマや世界征服などといった野望はないように見える。彼は学者であり、終身雇用の教授にすぎないが、彼が作り上げた教育制度は共産主義者の強力な武器となった。

学生を放任する

ルソーによれば、人間は生まれた時は善良で自由であるが、社会が人間を悪くしてしまう。従って、最適な教育とは、子どもたちを自由にさせて、彼らのむら気な成長を黙って見守ることだという。

ルソーの教育論の影響のもと、デューイ以降の進歩主義教育者たちは同じ言葉を繰り返す。両親や教師たちは自分たちの価値観を子どもに押しつけてはならない。子どもには、成長と共に、自分で判断することや決断することを許容すべきだ。イギリスの詩人サミュエル・コールリッジ=テイラー(Samuel Taylor Coleridge)は、ルソーの教育法を次のような例えを用いて説明している。

ジョン・セルウォール(John Thelwall)は、まだ分別がつかず、自分で判断できない子どもの心に意見を吹き込み、影響を与えることは不公平であると考えた。私は彼に私の庭を見せ、これは私の植物園だと言った。すると彼は、「そうは見えないけど?」と問い、「こんなに雑草で覆われているのに」と言った。「そう」、と私は答えた。「それは、まだ植物が分別と選択をする年齢に達していないからだ。雑草は、見てごらん、自由に伸びていく。私が土に対して、バラにしようとかイチゴにしようとかいう偏見を持ったら、不公平だと思う」【69】

ウィットに富んだ詩人は、逸話を通して彼の見解を友人に説明している。倫理や知恵は、庭仕事のように苦労しながら養うものだ。誰も庭を監督しなければ、雑草が生い茂るだけである。子どもを放任することは、絶えず存在する悪の力に彼らを委ねることである。それは、極端な放任主義や無責任につながる。

人間には善と悪の両方が宿っている。子どもはもちろん比較的単純で純粋だが、同時に怠惰、嫉妬、闘争心、利己心などネガティブな要素に屈しやすい。社会は大きな染物がめである。もし子どもたちの悪の性質(善の性質と共に)が適切に制御されなければ、彼らが「分別と選択ができる年頃」になった時、すでに邪な思考と習慣に汚染されているだろう。その時に彼らを教育しようとしても、すでに遅い。

学生を放任する風潮は、1960年に出版された『Summerhill: A radical approach to education』(サマーヒル:教育への急進的アプローチ)でピークを迎えた。A・S・ニイル(A.S. Neill)は、1921年にサマーヒルという寄宿学校を設立した。そこで学ぶ子どもたちの年齢は6~16歳で、学校は子どもたちに徹底した自治の自由を与えた。子どもたちが授業に出ることを強要することもなかった。ニイルはフランクフルト学派のヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich)から深く影響を受けていた。ライヒは性の解放を積極的に主張した人物で、ニイルと交流があったのである。

学業の他にも、サマーヒルは倫理、しつけ、男女関係の規律がほとんどなく、すべては反伝統主義に則って運営されていた。男女生徒は気軽に交際し、同棲することが許され、あるいは奨励された。ニイルは学校職員や学生たちがプールで裸で泳ぐことも許可した。ニイルの義理の息子は35歳の陶芸教師だったが、よく上級生の女生徒を家に連れ込んでいたという。【70】

ニイルは著書の中で、「サマーヒルの上級生全員は、私の会話や私の本から、セックスを希望すれば、年齢に関わらず私が許可することを知っている」と述べている。【71】 彼は、もし法律が禁じなければ、誰に対しても性交することを承認すると暗に示した。【72】 『サマーヒル』が発売されると、たちまちベストセラーになった。1960年代だけで、この本は3百万冊を売り上げ、教育学の「古典」、つまり必読の書となったのである。

中国には、「厳しい先生の下から優秀な人材が育つ」(厳師出高徒)という諺がある。知識や経験のある欧米の人々も、厳格な教師の方がクラスの成績が上がることを知っている。厳しい躾は学生にポジティブな影響を与える。【73】

しかし、残念ながら、アメリカをはじめとする欧米諸国は進歩主義や自治教育の影響を受け、法律に縛られた両親や教師たちが学生を監督することが難しくなった。教師たちは学生をしつけることができず、適切なタイミングで悪い習慣を正すこともできない。そのため、学生たちの道徳は学業と共に急激に低下しているのである。

学生中心の教育

教育の最も重要な役割は、人類の歴史に現れた伝統文化を維持し、伝えることである。教師はよりよい未来のために、過去と現在をつなぐハブ(中継点)の役割を担う。古代中国では、「師は道を伝え、教えを説き、混乱を排除する」と言った。一方、デューイの進歩主義教育は教師の権威をはく奪し、彼らの地位を貶めた。デューイは知識に反対し、常識に反対した。つまり、教育自体に反対しているのである。

進歩主義教育者たちは、教育の中心は子どもたちであり、彼らが独自に探究して答えを見つけるべきだと主張する。しかし、伝統的な学問の教科書には、数千年の人類の智慧が詰まっているのである。一体どうやったら、若く無知な学生たちが簡単に探究することなどできるだろうか? 進歩主義教育の真の狙いは、学生たちと伝統文化の絆を断つことだ。教師の権威を否定することは、文明の知識を伝える彼らの役割を否定することである。これが、共産主義者たちの究極の目的である。

デイジー・クリストドロー(Daisy Christodoulou)は、『教育の七つの神話』(Seven Myths About Education )の中で、広く信じられている7つの誤解を分析している。誤解とは、事実は理解を阻害する、教師主導の教育は受動的である、プロジェクトや活動は最適な学習法である、知識を教えることは洗脳である、などである。【74】 これらの神話のほとんどは進歩主義教育の置き土産であるが、それが何世代も経て、今では教育界の常識となっている。クリストドローの研究対象は主にイギリスの教育事情だったが、彼女が指摘する進歩主義教育の弊害は、世界中に蔓延している。

例えば、一番目の誤解を例に説明しよう。現代のアメリカの教育は、伝統的な学習法である暗誦や音読を「機械的」「丸暗記」「詰め込み教育」とけなす。多くの人々が、このような批判を聞いたことがあるだろう。ルソーは暗誦と音読を著書『エミール』の中で批判し、デューイがその理論をさらに発展させた。

1955年、アメリカの教育者ベンジャミン・ブルーム(Benjamin Bloom)は、人間の思考を低レベルから高レベルまで、6つの段階に分類した。暗記(知識)から始まり、理解、応用、分析、評価、創造である。後半の三つは包括的な分析能力を必要とするため、「上位の思考技術」と呼ばれている。われわれはここで、ブルームが提唱した分類法の良し悪しを論じるつもりはない。ただ、このような分類法がある中で、進歩主義者が「上位の思考技術」を養うという名目で、学校での知識習得を軽んじていることを指摘しているのである。

いかなる知的作業も、ある程度の基本的な知識を必要とすることは明白である。大量の知識がなければ、いわゆる「上位の思考技術」も、批判的思考も、創造性もなく、それは単に自分を騙し、他人を騙すだけである。ブルームの分類法は、進歩主義者が述べる理解しがたいアプローチが、単なる見せかけにすぎないことを物語る。

学生中心教育の理論では、学生が自分たちで、これはいい、あれはいやだと学習内容を選択できる。さらに、教師たちも学生が興味を引くものだけを教えるべきだという。この理論はもっともらしく聞こえるが、誤りである。学生を楽しませることはすべての教師が願うことかもしれないが、彼らは知識が浅く、世界観が狭く、どれが学ぶべき重要事項で、どれがそうではないかを判断することができない。教師は学生を導き、表面的な興味を超越して、ビジョンや理解を広げてやる責任がある。単に彼らの表面的な興味に応じているだけなら、永遠に幼稚化するだけである。学生中心主義の教育を盲信する教育者は、学生と両親を騙し、社会に対する責任を放棄しているのである。

ある研究によれば、アメリカ社会は、成人しても長く思春期に留まる若者が多い傾向があるという。米国科学アカデミー(National Academy of Sciences)は2002年、思春期を12~30歳と定義した。マッカーサー基金(The MacArthur Foundation)はさらに、成人年齢を34歳に引き上げるべきだと主張している。【75】 多くの大人が思春期の延長期間を享受しているが、これはまさに教育制度とメディアに責任がある。

進歩主義教育者たちが教育水準を引き下げる言い訳はいつも同じである。つまり、現代では大多数の生徒が進学するため、過去のように平均値を高く設定することはできない、というのである。しかし、この認識は誤りである。民主社会における教育制度とは、より多くの子どもたちに教育の機会を与えることであって、教育水準を下げたり、全員に質の落ちた教育を与えたりすることではない。

進歩主義者たちは、役に立たないギリシャ語やラテン語などの古典授業を排除し、現代的な科目に代替しようとする。しかし、ほとんどの学校が導入したのは、現代生活に有用な高度な数学や経済学、現代史ではなかった。進歩主義教育者たちが導入したのは、学問とは全く関係のない車の運転、クッキング、美容、災害防止などの授業だった。進歩主義者たちが改悪したカリキュラムと指導要綱は、まだ分別のつかない学生を騙し、学校や教師を信頼している子どもたちの両親をも騙しているのである。

進歩主義者たちの指導法の一部は、ある学問分野や科目の学習において、多少の効果があるかもしれない。しかし、進歩主義教育の潮流とその結末を見れば、それが伝統的な教育に真っ向から反対し、教育を変異させ、最終的に破滅させるものであることが分かる。デューイはマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東と違って、革命家になりたいわけでも、また世界革命を起こすといった野望を抱いていたわけでもないだろう。彼は学者であり、教授であった。しかし、彼が起こした教育革命は、共産主義が人類社会を破壊するうえで重要な役割を果たしたのである。

c. 教育:学生を甘やかす手法

1999年4月20日、コロラド州コロンバイン高校で銃乱射事件が起きた。2人の高校生が12人の生徒と1人の教師を射殺し、24人の学生にケガを負わせた事件である。この事件は全米に衝撃を与えた。なぜ2人がクラスメートを冷血に虐殺したのか、誰も理解することができなかった。

1960年代におけるアメリカの学生の問題行為と言えば、遅刻、授業中のおしゃべり、ガムを噛むことなど些細なことだった。1980年代以降は、飲酒、ドラッグ、性交渉、妊娠、自殺、ギャング、銃乱射など問題は深刻化した。一部の人々は堕落する学生たちを見て心を痛め、心配していたが、その潮流の真の原因がどこにあるのか分からず、またこの混乱を治める方法も見当たらなかった。

しかし、アメリカの若者の道徳基準が歪められ、低下したのは偶然ではないのである。

無神論と進化論

反共産主義者の先鋒で、『You Can Trust The Communists . . . to Be Communists』(仮題:共産主義者を信じられる…共産主義者になるために)の著者フレッド・シュワルツ(Frederick Charles Schwarz)は述べている。「共産主義には三つの教義がある。無神論、進化論、経済決定論。アメリカの公立学校の三つの基本理念は、無神論、進化論、経済決定論だ」【76】 つまり、アメリカの公立学校が導入しているのは、共産主義イデオロギーである。

神が人間を創造し、人類社会を存続させるために道徳基準を与えた。神への信仰は社会を維持する道徳的土台であり、人類社会の存続を保障する。しかし、共産主義が無理やり無神論と進化論を学校で推進し、道徳を破壊している。中国や旧ソ連だけでなく、アメリカでもそれが強制的に実行されているのである。

正教分離を口実に、左翼はアメリカの公立学校で天地創造を教えることに反対し、代わりに進化論を推進した。学校は、その制約をあえて超えようとはしない。そのため、宗教を信じる人は激減した。子どもの頃から進化論が真実であり、科学的だと教え込まれているからだ。

1960年代以降、全米の裁判所が政教分離を理由に、公立学校での聖書の授業を禁じた。ある裁判所は、内容が宗教的でなければ学生は言論と出版の自由を享受するという判決を下し、この時から宗教的な言論は違憲とされた。【77】

1987年、アラスカの公立学校はキリストを連想させるという理由で、「クリスマス」という言葉の使用を禁じた。1987年、バージニア州連邦裁判所は、高校のキャンパスで同性愛の新聞配布を許可するが、宗教新聞の配布を禁じるという判決を下した。1993年、コロラド・スプリングスのある小学校の音楽教師は、政教分離に反するという理由から、クリスマス・キャロルを教えることを禁じられた。【78】

アメリカの教科書は、反有神論の教育制度とポリティカル・コレクトネスによって、バカバカしいほど厳しい検閲を受ける。1997年、歴史家のダイアン・ラヴィッチ(Diane Ravitch)はアメリカ教育省下のオフィスで試験内容のチェック作業に参加した。彼女にとって衝撃だったのは、「神(天)は自ら助くる者を助く」という有名な格言が、「人間は可能なかぎり、自分で努力しなければならない」に変更されたことだった。なぜならば、格言には「神」という言葉が含まれていたからだ。【79】

アメリカの公立学校は、政教分離を理由に神への信仰を排除した。一方、欠陥だらけの進化論が、あたかも自明の理であるかのように子どもたちに教え込まれる。心の準備もなく、防御する術をもたない子どもたちは、純粋に教師の言うことを信じてしまう。

信仰を持つ親は、子どもに他者を尊重するよう教えるだろう。しかし、進化論を教え込まれた子どもたちは、両親の宗教的な教育に疑問を持つようになる。少なくとも、親の宗教的な指導を真面目に聞くことはないだろう。その結果、宗教を持つ親から子どもたちはますます離れていく。これが、信仰を持つ家族にとっての最大の難関であり、子育てで直面する問題だ。反有神論を推進する教育制度の最も邪悪な部分である。

共産主義のイデオロギー

われわれは第五章で、「ポリティカル・コレクトネス」(政治的に正しい言葉遣い。略称ポリコレ)について取り上げた。これは共産主義の思想警察であり、歪んだ政治基準と正統な道徳基準をすり替えることに他ならない。1930年代から共産主義が徐々にアメリカの学校に浸透し、この頃からポリコレがアメリカの教育を支配するようになった。ポリコレはさまざまな形態に変貌し、また非常に詐欺的である。

1950年代に出版された『Brainwashing in the High Schools』(仮題:高等学校での洗脳)の著者E・メリル・ルート(E. Merrill Root)は、1950~52年にイリノイ州で使われた歴史のテキストを調査した。テキストには、アメリカの歴史は貧富の、あるいは一部の特権階級とその他大勢の階級闘争であると述べられていた。これはマルクスの経済決定論そのものである。このようなテキストは、個人の幸福よりも世界的な懸念事項を優先させる世界政府を推進する。最終的には、世界的な社会主義へと推し進めるのである。【80】

2013年、ミネソタ州の学区が「みんながみんなのために」(All for All)というプロジェクトを立ち上げた。これは民族格差の是正を主張する活動で、いわゆるアイデンティティー政治である。この種のイデオロギーは、ある一部のマイノリティー(少数民族)の成績が悪いのは、組織的な人種差別のせいであると主張する。つまり、「白人の特権」を排除しようとする。このプロジェクトはすべての教育活動が民族平等のもとに行われることを主張し、教師や教育機関スタッフに対して、人種差別問題を深く認識するよう要求する。

このプロジェクトは幼稚園から始まる。高校1年の英語の授業では植民地や移民などのテーマを中心に、人種、階級、性別による社会構造を学ぶ。高校2年の授業は、「年度末までに、生徒はマルクス的、フェミニスト的、植民地独立後的、精神分析学的に、文学を読むことができるようになる」という。【81】

2016年7月、カリフォルニア州は小学校と高等学校に新たな社会科のテーマを設けた。もともと左寄りだった社会科は、さらに左翼イデオロギー色を強めた。歴史や社会科で強調すべきアメリカの建国の精神や、軍事、政治、外交といった内容は薄められ、あるいは削除された。代わりに、1960年代に流行ったカウンターカルチャー(対抗文化運動)が情熱的に述べられ、まるでそれが建国の基礎であるかのように強調された。

授業のカリキュラムも、性別や家族については明らかに反伝統的である。高校2年生の授業を例に挙げよう。内容は、アメリカの少数派の人種、部族、宗教、女性、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)である。宗教にはほとんど言及しない代わりに、性的少数者については詳しく書かれている。特に、LGBTについては多くのページが割かれ、明らかに「性の解放」を支持する含みがある。例えば、人々のエイズに対する恐怖心が性の解放を遅らせたなどの記述である。【82】

テキストは性的な内容が多く、若者にとって価値のある内容が削除されている。例えば、学生は第一次世界大戦時に米軍が果たした重要な役割について学ぶかわりに、米兵がヨーロッパ人の性的習慣に満足したと習う。【83】 この左寄りのテキストは歪曲と偏見に満ちており、学生たちが母国を憎むよう仕向けている。この社会のテキストはカリフォルニア州のみが適用しているが、全米に衝撃を与えている。【84】

d. 心理操作

学生の道徳を堕落させるもう一つの主なやり方は、教育の一環として心理的条件付けを行うことである。つまり、子どもたちに道徳的相対論を植え付けることである。

1984年3月、ワシントンDC、シアトル、ピッツバーグを含む4つの都市で権利保護修正案に関する公聴会が開催され、数百人の保護者や教師たちが参加した。公聴会での証言は1300ページにも及んだ。保守派活動家のフィリス・シュラフリー(Phyllis Schlafly)はその証言の一部を1984年8月に出版した著書『Child Abuse in the Classroom』(仮題:教室での児童虐待)で紹介している。

シュラフリーは証言の中に含まれている問題点を「セラピー(治療)としての教育」という言葉で説明した。伝統的な教育は知識を伝えることが目的である。一方、「セラピーとしての教育」は、生徒の感情や行動の変革に焦点を置き、授業では学生たちに心理ゲームを仕掛ける。子どもたちは、自殺、殺人、結婚、離婚、中絶、養子など個人的な問題に関するアンケートで、大人のような回答を迫られるのである。【85】

しかし、このような授業は子どもたちの精神を健全にするために行われているわけではない。これは、子どもたちの価値観を変異させるために行われた心理的条件付けである。

心理学と教育

現代の教育は哲学と心理学を重視している。多大な影響を与えたデューイの進歩主義教育の他に、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)の精神分析学や、カール・ロジャーズ(Carl Rogers)の人間性心理学などがある。フランクフルト学派の批判理論は、マルクスとフロイト理論の融合である。フランクフルト学派のヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)は、若者たちが自然な本能を解放し、気ままに暮らせるように、すべての抑圧を解放することを呼びかけた。【86】 このような思想が、1960年代に台頭したカウンターカルチャー(対抗文化運動)を加速させた。

上記に述べた心理学の影響のもと、世界保健機関(WHO)の初代事務局長でカナダの精神医学者ブロック・チゾム(Brock Chisholm)は、1946年に次のような演説を行った。

「すべての文明において、どのような心理的な歪みがあるだろうか…? それは、明白な事実を見て、認識することを阻害する力である…それは、劣等感、罪悪感、恐怖であり…これらの歪みを作りだすたった一つの力とは、道徳、つまり正誤の概念である…(これが)、人為的に劣等感、罪悪感、恐怖、一般的に知られている「罪」と言ったものを押し付け…、多くの適応障害や不幸を世界に作りだしている…、道徳からの自由とはつまり、観察することの自由であり、分別を持って思考し、行動する自由である…、もし民族が、善悪というこの不自由な重荷から解放されるのならば、最初に責任を負うべきは精神科医だ」【87】

誤った概念に基づき、チゾムは大胆な理論を打ち建てた。つまり、心理的苦痛を和らげるために、道徳や善悪の概念を無効にすべきであるという考えである。彼は道徳に対して戦いを挑んだ。チゾムに影響されたとみられる、人間性心理学者カール・ロジャーズが「価値の明確化」を主張した。ロジャースの目的は、伝統的な価値観や善悪の概念を根絶することである。

最終的に、デューイの道徳的相対論、フランクフルト学派の抑制に対する拒絶、チゾムの心理学が一緒に働き、伝統的価値観に打撃を与えた。彼らが、道徳の砦となるはずだった公立学校を破壊したのである。

道徳的相対主義

1970年代後半にアメリカの学生だった人たちは、授業で次のような物語を聞いたことがあるだろう。「船が沈没した後、キャプテン、数人の子どもたち、妊婦、ゲイの男が救命ボートに乗っていました。人数オーバーのため、ボートから一人降りなければなりません」。教師たちは学生たちに、誰が船を降りるべきか、つまり誰が命を犠牲にすべきかを話し合うよう促す。教師は勿論、学生たちの判断に口を挟むことはない。

この物語は、1970年代の「価値の明確化」の授業で盛んに取り上げられた。この種の授業は、意思決定、感情教育、麻薬防止、性教育などにも使われた。

『Why Johnny Can’t Tell Right From Wrong』(仮題:なぜジョニーは善悪を見分けられないのか)の著者ウィリアム・キルパトリック(William Kilpatrick)は、このような授業について、「クラスを「自由討論」にし、意見はあっちにいったり、こっちにいったりするが、結論に至ることはない」と説明する。「教師はトーク・ショーの司会者となり、議論のテーマと言えば妻の交換、カニバリズム(人肉喰い)のメリット、マスターベーション(自慰行為)などである。学生にとっては、混乱した道徳的価値観の押し売りである。彼らは辛うじて得た価値観や、家庭で教わる道徳などに対して疑問を持つようになる。結局、彼らの得る結論は、善悪の概念は、単に主観的だということである。そして道徳的な教養のない世代が誕生する。学生たちは自分の感情を分かっているが、自分たちの文化を知らない」【88】

学者トーマス・ソウェル(Thomas Sowell)は、同様の手法が洗脳を目的として、全体主義国家で行われていると指摘する。その手法とは、「感情的なストレス、ショック、感度を鈍らせるなどして知的・感情的な抵抗を打ち壊す。心理的なあるいは感情的なサポートから隔離する。同調圧力を操作して、持っている価値観に対する反対尋問を行う。個人の防衛能力、例えば沈黙、尊厳、プライバシー、拒否や参加の自由を奪い、態度、価値観、信念に変化が起きれば報酬を与える」【89】

ソウェルは、このようなセッションに共通するのは、学生たちが両親や社会から教わった伝統的価値観に反感を持つよう奨励することである。授業は中立、あるいは「判断を避ける」形式で行われる。つまり、教師は善悪の判断をせず、個人がよいと感じることを探すだけでいい。彼らが重点を置くのは、「機能的な社会や知的な分析を必要とするものではなく、個人の感情である」【90】

「死の準備教育」と麻薬防止教育

1990年9月、ABCは視聴者の眉をひそめるような番組を放映した。ある学校が「死の準備教育」の一環として、学生たちを遺体収容所に連れて行った。学生たちは直に遺体に触れ、観察したのである。【91】

死の準備教育の授業では、学生たちに墓碑銘や自分の訃報を書かせ、棺選びなどの葬式の準備をさせる。同授業のアンケートには次のような質問がならぶ。【92】

「あなたはどうやって死にますか?」
「いつ死にますか?」
「暴力的に亡くなってしまった人を知っていますか?」
「あなたが親しい人を失くしたのはいつですか? 涙を流しましたか、それとも静かに耐えましたか? 一人で悼みましたか、それとも誰かと一緒でしたか?」
「あなたは死後の世界を信じますか?」

明らかに、このようなテストは勉強と全く関係がない。これは、学生たちの人生観、宗教観、性格などを測るためである。一部の質問は特定の反応を引き出すために用意され、思春期の子どもたちにネガティブな影響を与える場合もある。

「死の準備教育」の目的は、学生たちが死に直面した時に、正しく対応できるようにするためだという。しかし、授業に参加した子どもたちのうち数人が自殺した。授業と自殺の関連性は科学的に証明されていないが、未熟な学生たちが死や自殺に触れ、彼らがウツや絶望に苛まれても不思議ではない。子どもたちの保護者が自殺と授業の関連性を疑うのは当然である。

学校で盛んに導入されている薬物乱用防止教育も同様である。1976年、スタンフォード大学のリチャード・ブルム(Richard Blum)が「Decide」と呼ばれるコースについて、4年に渡る研究を行った。それによると、コースを受講した生徒たちは、受講していない生徒に比べて、より薬物の誘惑に屈しやすいことが分かった。

1978~85年にかけて、ステファン・ジュール教授(Stephen Jurs)は、「Quest」と呼ばれるコースを受講した生徒とそうではない生徒を調査し、喫煙や薬物乱用の有無を調べた。その結果、受講していない生徒の方が、喫煙や薬物乱用の比率が低いことが分かった。【93】

死の準備教育も、薬物乱用防止教育も、その効果は裏目に出た。それでは、それらの真の目的は何だろうか? それは、子どもたちを汚すことである。子どもたちは好奇心旺盛だが、道徳的には未熟である。真新しい事や変わったことは、彼らの好奇心をくすぐり、悪いと分かっていても試したくなる。一方、このような教育は学生たちに暴力、ポルノ、恐怖をひっきりなしに見せつけ、子どもたちはこのようなシーンに鈍感になる。まるで、これらの道徳的退廃は人生の一部であると思わせるような仕組みである。学生たちは徐々に邪悪に対して寛容になる。しかし、これは邪悪が芸術、暴力、ポルノを利用して道徳を堕落させようとする計画の一部なのだ。

ポルノと性教育

伝統的に、西洋でも東洋でも、性に関する話題を公共の場に持ちだすのはタブーである。性交は夫婦間のみで行われるべきであり、これは神が定めた掟である。その他の性交はすべて淫乱、姦通と呼ばれ、神が定めた道徳に対する重大な違反だった。そのため、性交と結婚は切り離せない行為であり、健全な社会においては、性交が公の話題になることはない。伝統的な社会において、若者は生理に関する教育のみ受けていたが、今日のような性教育を受ける必要はなかった。

今日の性教育を最初に提唱したのは、フランクフルト学派のルカーチ・ジェルジュ(Georg Lukács)である。彼は伝統的な西洋の価値観を完全に転覆することを目的としていた。1919年、ルカーチはハンガリーのボルシェビキ政権時に教育文化相を務めた人物である。彼は学校で過激な性教育を行い、自由恋愛や乱交を推奨した。また、一夫一婦制の結婚は「時代遅れ」と一蹴した。【94】

1960年代に起きた性革命により、伝統的な西洋の価値観は完全に根絶された。性病や10代の妊娠が飛躍的に増加した。このような状況下で、社会問題を解決するべく性教育が導入されるようになった。しかし、教育制度そのものがすでに伝統的な道徳からずれていたため、授業では性交と結婚を完全に切り離し、ただ性交の仕組みと安全(性病防止や避妊など)を教えるにとどまった。つまり、道徳を無視した性教育であり、まさにルカーチが導入した教育モデルを踏襲しているのである。

この教育が若者を堕落させた。彼らは婚外交渉、淫乱、同性愛といった概念に晒され、それらの行為が普通であるという認識を植え付けられた。若者たちは自由を謳歌し、快楽に耽るようになるが、実際には、神が定めた基準からますます遠ざかった。小学校から始まるこの種の性教育は、家族、個人の責任、愛、貞節、恥、自制、忠実という伝統的価値観を破壊した。

デューイの「実践による学習」は、マルクス主義者にとって都合のいい道具だった。広く導入されている性教育は、米国疾病管理予防センター(CDC)が推奨する「Focus on Kids」である。この授業では、教師たちが子どもたちに「コンドーム競争」をさせる。学生たちが大人の性玩具にコンドームを被せ、それを一番早く脱がせた者が勝ちというゲームである。【95】

もう一つのプログラムは、CDCやプランド・ペアレントフッドなどが推奨する「誇りを持って!責任を持って!」(Be Proud! Be Responsible!)である。このプログラムでは、学生たちにロール・プレイを促し、2人の女生徒に安全な性交について議論させたりするのである。学生中心の授業は、進歩主義教育の特徴である。教師たちは、学生たちに性交相手との親密度に関する自由な意見交換(ブレイン・ストーミング)をさせる。【96】 伝統的な常識を持つ人が見たら、これは「教育」ではなく、児童ポルノではないかと疑いたくなるだろう。

同プログラムの主要な支持団体は、プランド・ペアレントフッド(Planned Parenthood)である。この団体は性教育に関する本を全米で大量に出版し、12カ国に支社がある。彼らは堕胎の権利を主張し、以前はアメリカ産児制限連盟(American Birth Control League)という名で知られていた。連盟の創設者は進歩社会主義者で旧ソ連のスターリンを崇拝していたマーガレット・サンガー(Margaret Sanger)である。彼女は婚外交渉が「私を真に自由にした」と語った。【97】 彼女は女性もシングル・マザーになる権利があると主張し、彼女の16歳になる孫に対して「一日三回は権利です」と性交に関する手紙を送った。【98】 彼女が連盟を設立したのは、彼女の乱れた生活が必要としたからである。現代の性教育がこの団体によって推進されていることを見れば、性の解放の根源が共産主義であることが分かる。

『Perfectly Normal』(仮題:ごく当たり前)は、30カ国語に翻訳され、全世界で販売されているミリオンセラーの性教育本である。この本には100近くに上るヌードの挿絵があり、異性同士、同性同士の自慰行為(マスターベーション)におけるさまざまな動き、感覚、身体的感覚を説明している。また、産児制限の方法や避妊についても言及している。著者は、子どもたちもこのような情報を知る権利があると主張している。【99】 このテキストには、さまざまな性行為はすべて「普通」であり、道徳的な是非を問うべきではないというメッセージが込められている。

広く使われている性教育のテキストには、一部の宗教は婚外交渉が罪であると定めていると説明している。その後には、「このメッセージが自分にとって重要であるかどうかは、自分で決めなければならない」としている。【100】 つまり、基本的に価値観とは相対的であり、なにが善でなにが悪なのかは、子どもたち自身で決めよということである。

今日、アメリカの公立学校では、二つのタイプの性教育授業がある。一つは、上記に述べた団体が推進する、強烈な性教育である。これは、性行為、避妊、性病防止などを全て教える完全な性教育プログラムである。もう一つは、若者に自制させ、避妊を教えず、結婚まで性交を自重するよう教えるプログラムである。

社会の道徳、特に性行為は、伝統的な道徳水準から遥かに逸脱した。メディアやインターネットはポルノの内容で溢れ、子どもたちを奈落の底へと引きずり込んでいる。

今日の教育はすべて無神論に支配されている。多くの公立学校は「価値観の中立性」を重視し、子どもたちに婚外交渉が恥であり、不道徳であることを教えない。教師たちは伝統的な道徳基準に基づいて正誤を教えることができない。

性に関する話題はいつでも盛況である。さまざまな分野の専門家たちが、安全な性交渉や、増え続ける10代の妊娠、性病に関する問題について議論している。しかし、学校でおおやけに教師たちが性の話題を子どもたちに提供することは、明らかに婚外交渉を増やしているのである。10代の妊娠や性病罹患率が下がったとしても、子どもたちが相変わらず性的に活発だったら、それでいいのだろうか。

性についての規制が緩いヨーロッパにおいては、「効果的な」教育のおかげで、10代の妊娠率はアメリカの半分である。一部の人々はそれを喜んでいるが、懸念の声を上げる人もいる。いずれにしろ、性の乱れが当たり前となった今、共産主義は着々と人類の道徳を破壊しているのである。

自尊心と自己中心

1960年代から全米で新しい教義が導入されるようになった。いわゆる「自尊心」というカルト教であり、これがアメリカの教育を堕落させた主な源である。

表面的に、自尊心とは自分の能力や達成感から来る自信や自己肯定感のことである。しかし、アメリカの学校で習う自尊心は全く意味が異なる。モーリーン・スタウト(Maureen Stout)は著書『Feel-Good Curriculum: The Dumbing Down of America’s Kids in the Name of Self-Esteem』(仮題:自己満足の授業―自尊心という名のもとでアメリカの子どもをダメにする)の中で、アメリカで普遍的に見られる現象を紹介している。学生たちは成績ばかりを気にするが、彼らは何を学び、どれだけの努力を注いだかを気にしていない。学生たちが満足するように、教師は試験の難易度を下げる。その結果、成績の悪い生徒たちはさらに努力をしなくなる。

著者の同僚はこの現象に慣れっこになっており、学校は子宮のようでなければならないと信じている。つまり、外の世界から遮断された、感情的に快適な世界である。しかし、ここでは知的向上や挫折からの回復力を学ぶことはない。教育の焦点は学生の感情に置かれ、全体的な向上はなおざりにされる。【101】

多くの専門家は、この「自尊心」が原因と結果を混同していると指摘する。自尊心というのは努力の結果であり、成功の前提条件ではない。つまり、「気持ちがいい」が成功に結びつくというわけではなく、人は成功した後に気持ちがいいのである。

この自尊心に関する誤った概念は、1960年代から続く心理療法的な教育の副産物である。心理療法的な教育では、多くの若者たちに権利意識や被害者意識を植え付ける。スタウトは普遍的にみられる若者の心理状態を次のように描写する。「私はやりたい事を、やりたいように、やりたい時にするし、何も、誰も私を止めることはできない」【102】

アメリカの教育は、感傷的な自尊心の名の下に、自由と自己中心の概念を誇張してきた。この教育のもと、若者たちは道徳を軽視し、責任も持たない。彼らは自分たちの気持ちを気にするが、他人の気持ちには無関心である。彼らは娯楽を求めるが、努力、犠牲、苦難を避ける。これが、アメリカ社会の道徳に大惨事をもたらしたのである。

e. 教育への浸透工作

アメリカの小中学校を支配

アメリカ国家が樹立された後、しばらくは中央政府が教育に関与することはなく、細かな決定事項は教会や各州政府に任されていた。1979年、連邦政府は教育省を設立し、徐々に教育に介入するようになった。現在、教育省は方針や予算を決定する上で、以前よりもはるかに強大な権力を持つ。両親、公立学校、州政府など、かつて発言権があった人たちも、連邦政府の支配下に置かれるようになった。両親や公立学校は、何をどのように学校で教えるべきかという具体的な決定事項に対して発言権を失った。

権力自体は中立である。権力を持つ者が、それを善用することも、悪用することもできる。権力の集中は必ずしも悪いということではない。権力の良し悪しは、それを持つ人物、あるいは組織にどのような目的があるかに依る。しかし、アメリカの教育制度の権力集中は深刻な問題だ。なぜならば、中央官僚をはじめとする政府機関のすべてのレベルにマルクス主義が浸透しているからである。このような状況で誤った方針が決定されれば、その影響は甚大であるし、少数の賢明な人たちがそれを元通りにしようとしても、簡単にはできないだろう。

教育者のB.K.イークマン(B. K. Eakman)が述べたように、アメリカの中央権力集中型教育制度の弊害は、教育方針の実際の効果を短期間で観察することができないことである。その方針が歴史的にどのように発展するのか、またそれが子どもたちに与える長期的な影響について推測することは難しい。多くの人々は限られた範囲の物事に捕らわれやすい。ある事象に違和感を覚えても、それを独自に調査するだけの時間、エネルギー、資源、勇気を持てる人は少ない。違和感を覚えるケースが多数存在しても、その他のパズルを埋められるだけの情報がなければ、親たちは専門家の指示を仰ぐことしかできない。その結果、教育に関わる全員が大きな機械の一部となって動いているのである。専門家や役人の決定事項が学生と社会に及ぼす影響を推測できる人はいないし、彼らの道義的責任を追及する人もいない。【103】 共産主義はこの脆弱なシステムにつけ込み、一つ一つ部品を取り壊しているのである。

教育に決定的な影響力を持つ大学の教養学部、出版社、教育認定機関、教職員組合などは全て共産主義の主な標的であり、かなりの浸透が進んでいる。

教職員組合の役割

共産主義がいかに組合を操り、利用しているかは第九章で検証した。教職員組合(Teachers Unions)はアメリカの教育が失敗した原因の一つである。この組合の目的は教育の質を上げることではなく、失敗に報酬を与え、無能な者を保護し、良心的で熱心な教師たちを犠牲にすることである。

トレイシー・バイリー(Tracey Bailey)は1993年度の最優秀教師賞を受賞した高等学校の科学教師である。【104】 当時、全米教職員労働組合(AFT)の組合長は、組合メンバーであるバイリーの受賞を誇りに思うと述べた。しかし、その時すでにバイリーは組合から脱退していた。彼は巨大な教職員組合こそが、アメリカ公立学校の教育の元凶であると信じていたからである。彼にとって組合は問題の一部であり、解決策ではなかった。組合は現状維持を求める利益集団であり、平凡で無能な教師を擁護する組織だった。【105】

アメリカの教職員組合は豊富な資金と影響力を有する主要な政治ロビー団体の一つである。教職員組合こそが、教育制度改革の邪魔者となっている。例えば、AFTの下部組織であるカリフォルニア教職員連盟(CTA)は、メンバーから徴収した巨額の資金を投じて政策に影響を与える。1991年、州政府が提供する教育バウチャー(クーポン)を使って、市民が子どもたちの学校を選択できるとするカリフォルニア州法プロポジション174について議論されたが、CTAはこれに反対し、プロポジションに2万5千ドルを寄付したハンバーガー・チェーンとの契約を停止するよう学校に圧力をかけたのである。【106】

子どもの教育から家族を遠ざける

共産主義のもう一つのゴールは、誕生した子どもをなるべく早く両親から引き離し、コミュニティーや国に養育させることである。これを成し遂げるのは至難の技だが、すでに社会は静かにこの方向へ向かっている。

共産主義国家において、「ブルジョワジー」出身の学生たちは、両親との関係を断ち切るように勧められる。点数主義の教育のもと、学生たちは長時間学校で勉強し、両親との接点が制限される。一方、欧米では異なる手法で子どもを家族から引き離す。子どもの学校滞在時間を延長したり、就学年齢を引き下げたりする。学生は教科書や資料を家に持ち帰ることを禁じられ、あるいは授業で学んだ話題について、家庭で話さないようにという指導を受ける。

「価値の明確化教育」(Value Clarification)という道徳授業は、学生たちを両親から引き離すことを目的としている。クエストという授業を受けた学生の親は次のようにコメントしている。「まるで、両親は常に悪い立場におかれているようです。例えば、物語は父子が登場し、父親は常に横柄で厳格で、不公平です」。つまり、このような授業の裏に隠されたメッセージは、「君の両親は君を理解しないかもしれないが、私たちは理解できる」である。【107】

学生たちが何らかの活動に参加するには、法的な理由から両親の許可が必要である。すると、教師や学校職員たちは複雑で曖昧な言葉で両親を煙にまき、活動の内容をはっきりと説明しない。もし両親が不満を訴えたら、学校は先延ばし、責任逃れ、型通りの言い訳という対処法がある。決まり文句は、親には専門的な教育についての知識がないとか、他の学区も同様のことをしているとか、不平を言っているのはあなただけですよ、などである。

ほとんどの親たちは、学校と向き合い、時間をかけて議論する暇もないし、力もない。いずれにしろ子どもたちは数年後に卒業していく。従って、一般的な親は、ただ黙っているだけである。しかし、その間子どもたちは学校の人質となり、学校権力に対抗する術もない。親たちは学校への抗議をあきらめるしかない。もし学校に反対する親がいれば、彼らは過激派、トラブル・メーカー、宗教的偏屈者、狂信者、ファシスト、などのレッテルを貼られる。それによって、学校側は他の親たちが抗議することを阻止しているのである。【108】

複雑で曖昧な教育専門用語

イサービット(Iserbyt)は著書『The Deliberate Dumbing Down of America』(仮題:アメリカを計画的に愚民にする)の序文で、次のように書いている。

「アメリカ人がこの戦争について理解しない理由は、これが静かに仕掛けられたからだ。わが国の学校で、クラスの人質となった子どもが標的にされた。戦争の仕掛け人は、実に巧みに有効な方法を利用した:

・ヘーゲル弁証法(共通点、総意、そして妥協)
・漸進主義(三歩進んで二歩下がる)
・用語の誤用、詐欺(用語を再定義し、理解されないまま同意を得る)

フィリス・シュラフリー(Phillis Schlafly)もこの現象について触れている。彼女は著書『Child Abuse in the Classroom』(仮題:教室の中の児童虐待)の中で、心理療法の授業では専門用語が使われ、両親たちはその授業の真の目的や手法について理解していないと指摘する。用語とは例えば、行動変容、上位批判的思考、道徳の理由づけ、などである。【109】

過去数十年間、アメリカの教育者たちは目のくらむような多くの専門用語を生み出してきた。構成主義、協調学習、体験学習、深い理解、問題解決、探究型学習、結果重視型教育、個別学習、概念の理解、プロセスのスキル、生涯学習、先生と生徒の対話式学習などであり、多すぎて羅列することができない。一部の概念は理論的に見えるが、それらを丹念に調査してみると、すべては伝統的な教育方法を貶め、教育の質を下げることを目的としている。それらはまるでイソップ童話やジョージ・オーウェルの小説であり、その解釈のカギは、彼らの意図していることを反対に捉えることである。【110】

大々的に変更された科目と教科書

1960年代に出版された著書『None Dare Call It Treason』(仮題:誰も反逆罪と呼ぶ勇気がない)は、1930年代に行われた教科書の改訂について分析している。この改訂により、歴史、地理、社会、経済、政治などの異なる分野がいくつかの教科書に統合された。この新しい教科書は伝統的なテキストの内容と価値体系を排除した。「明白になったのは、反宗教的なバイアスと男性による社会支配に対する非難」【111】であり、さらに、アメリカ史に登場した英雄と米国憲法の権威を下げることである。

この新しい教科書はボリュームが大きく、どの伝統的な学問分野にも属していなかったため、専門家たちはあまり注目していなかった。何年も経った後に教科書の弊害が指摘され始めたが、すでに5百万人の学生たちがこの本で教育されていた。今日、アメリカの小学校と中学校では、歴史、地理、公民などがすべて「社会学」の範疇に入れられたが、その裏に隠された目的は同じである。

もし、教科書の改訂が公明正大に行われたならば、専門家や両親たちからの抵抗があっただろう。改訂版はいくつかの科目を混ぜ合わせた代物であり、どの科目の分類にも当てはまらないため、専門家が内容を判断することは難しい。そのため、改訂版の教科書は比較的簡単に検定を通過するのである。

10年あるいは20年後に、一部の人たちがこの教科書に隠された陰謀を見抜くかもしれない。しかし、それを指摘しようとしても、学生たちはすでに成長し、教師たちもその教科書に慣れてしまっている。そのため、伝統的な教科書に戻すことは不可能になった。教科書の重大なミスに気づくのは少数であり、彼らの声は世間に届かず、また教科書の決定機関に影響を及ぼすことは難しい。もし反対派の意見が大きければ、それは次の改訂への絶好の機会となり、さらに伝統的な内容が消され、左翼の概念が刷り込まれるのである。数回の改訂を経て、新世代の学生は伝統と完全に切り離され、元に戻ることはほぼ不可能となる。

アメリカの教科書の更新作業は非常に早いスピードで行われる。それは現代の知識が非常に早いスピードで膨張しているからだという人もいるだろう。しかし、小学校と中学校で学ぶべき基礎知識については、あまり変化がないはずだ。それでは、なぜ多くの種類の教科書が出版され、改訂されているのだろうか? 表面的な理由としては、出版社の競争が激しいことである。利益を追求する出版社にとっては、同じ教科書をずっと使い続けてほしくはないだろう。しかし、深いレベルでの理由は、この改訂の過程で指導資料を少しずつ歪曲し、次世代を教育していくことである。

教育改革:弁証法的な闘争

1950~60年代、アメリカの教育は継続的な改革を経たが、期待通りの結果は得られなかった。1981年、米学生のSATの得点が最低を記録し、それをきっかけに『危機に立つ国家』(A Nation at Risk)が出版され、教育界では「基本に戻る」運動が盛んになった。アメリカの深刻な状況を憂慮した歴代政権は1990年代から改革を行ってきたが、目覚ましい効果は得られなかった。数々の政策は全く助けにならなかったばかりか、さらに解決困難な問題をもたらした。【112】

もちろん、教育改革に携わる人々は全力を尽くしてやっているだろう。しかし、誤った思想が浸透しているため、彼らのやることはことごとく裏目に出る。その結果、教育改革は常に共産主義の思想を拡散してしまう。他の分野と同じく、共産主義の浸透は一度の教育改革で達成できるものではない。教育改革を達成することが共産主義の目的ではない。すべての改革は、最初から失敗するようにデザインされ、次の改革への言い訳を作るための踏み台に過ぎない。次の改革はさらに歪んだ代物であり、人々をまた一歩伝統から引き離す。これが、一歩下がり、二歩進む弁証法的な闘争である。このやり方で、人々は伝統が破壊されていることに疑問を持つこともなくなる。「伝統だって? 一体それは何?」と首をかしげるようになるだろう。

3. 最終的なゴール:東洋と西洋の教育を破壊する

西洋の教育を破壊するためなら、共産党は数百年でも気長に待つことができる。それは数世代に渡る進歩主義教育によって達成できる。一方、中国は5千年の歴史に培われた豊かな文化を有している。共産党が政権を奪取した当時、中国は緊急事態だったため、共産主義が民衆の短絡的な成功と利益追求の心につけこむことができた。その結果、中国人は極端な政策を次々と適用し、ほんの十数年で伝統から離れていった。こうして共産主義は中国の教育と人間性を堕落させた。

20世紀初頭、デューイの進歩主義教育がアメリカを腐食し始めた頃、彼を信奉する中国系アメリカ人たちが中国に戻り、現代教育の基盤を築いた。イギリスの大砲で傷を負い、自尊心を失っていた中国のエリートたちは、国家を建て直すための新たな道を模索していた。共産主義はこの状況につけ込み、いわゆる「新文化運動」を繰り広げ、中国の伝統を否定した。

伝統を攻撃するこの新文化運動は、1960年代に起こった文化革命への序章だった。新文化運動には3人の主な人物がいる。デューイのもとで学んだ胡適(フシ)、中国共産党を設立し後に毛沢東より称賛された陳独秀(ちんどくしゅう)、共産党設立メンバーの一人、李大ショウである。

新文化運動は中国の伝統や歴史を批判し、特に孔子の儒教思想を否定した。伝統文化は「旧文化」と貶され、すべての西洋文化を新しいともてはやした。科学や民主主義を支持しない伝統思想は批判された。この運動は後の五四運動の火付け役となり、伝統的な道徳と価値観を破壊する最初の波を起こした。この波は、マルクス主義が西洋から中国に浸透して根づき、成長し、繁殖する土壌をつくった。

新文化運動が教育にもたらした最悪の影響は、中国語の日常語化である。胡適が主張したように、小学校では国語の授業で古典の代わりに日常会話の中国語を教えるようになった。その結果、この世代以降、大部分の中国人は中国の古典が読めなくなった。つまり、学生たちは『易経』『春秋』『道徳経』『黄帝内経』などの古書やその他の伝統的な本に触れることができなくなった。これらの古書は学者専用の難解な研究物という扱いを受けた。輝かしい中国5千年の文明が、単なる飾り物となってしまった。

中国古典の書記言語が口語と異なるのは、神が按排した歴史の一部である。激動の時代を経た中国では多くの民族が同化・移動したため、口語がさまざまに変化した。しかし、書記言語と口語は分離されていたため、古典の書記言語はそのまま保存された。清の時代の学生は、宋、唐、あるいは秦の時代の書物までも読むことができたのである。そのため、中国文化と文学は完全な形で数千年も伝承されてきた。

しかし、共産主義は中国人を文化のルーツから切り離そうとした。書記言語と口語を一緒にして、歪んだ言葉や語句を混ぜ込み、中国人をさらに伝統から遠ざけた。

中国共産党が発動した小学校の識字キャンペーンと文化の大衆化は民衆を扇動し、明らかな洗脳へと誘導した。例えば、小学一年生が最初に授業で習う言葉は、「毛首席万歳」「邪悪な旧世界」「邪悪な米帝国」などであり、共産党が要求する憎悪と階級闘争の決まり文句である。

一方、進歩主義教育は歪んだ思想を子どもの教育本(『ヘザーには二人のママがいる』のように)に混ぜ入れている。中国での運動と、進歩主義教育はその手法において異なっているが、どちらも基本的には若者に対するイデオロギーによる洗脳である。このような環境で育った中国の子どもたちは中国共産党の専制政治を心から擁護するようになり、普遍的な価値観で教え諭そうとする大人を中傷し、こき下ろす。一方、西洋で育った子どもたちは怒れる学生となり、伝統を唱える演説者を集団で妨害し、差別者と非難する。

中国共産党は政権を樹立するとすぐに、大学や高等学校を標的とした知識層の思想改造キャンペーンを展開した。その主な目的は、知識層の人生観を改造し、伝統的な道徳や「身を修め、家を斉え、国を治めれば、天下は平らぐ」という儒教の教えを放棄させることだった。その代わりに、マルクスの階級闘争と「プロレタリアート」の概念を押し付けた。

年配の大学教授たちは何度も自己批判を行い、過ちを告白し、同僚の密告や監視、批判に耐えなければならなかった。彼らはプロレタリアートを侵略しないよう、潜在意識レベルの「反革命的な思考」を根絶するよう強制された。もちろん、当時のプレッシャーは現代の「感受性訓練」よりも厳しいものである。一部の人々は屈辱とストレスに耐えきれず自殺した。【113】

その後すぐに中国共産党は大学の整理を始め、哲学、社会学など人文科学に関する学科を大幅に縮小し、代わりにソビエト式の科学やエンジニア学科を擁する総合大学を残した。理由は、中国共産党は政権の脅威となる政治や社会に対する独立した意見を受け入れられないからだ。これは、中華民国(台湾)で、かつて人文学科で学問の自由が許されていたこととも関係がある。同時に、マルクスの政治や哲学が必修科目として導入された。このすべての過程は2、3年で完遂した。欧米において、共産主義がマルクス思想を植え付ける過程は1世代の時間がかかった。中国と欧米では期間が異なるが、達成した目標は同じである。

1958年、中国共産党は教育改革を始め、以下に述べる状況をもたらした。

第一に、プロレタリアートに奉仕するとして、教育が利用されたことである。党委員会の指示により、学生たちは指導要領と資料をまとめるために動員された。北京大学では60人の中国語学科の学生たちが集められ、30日で70万字の論文「中国文学の歴史」を書かされた。【114】

これは、まさに進歩主義教育が勧める「学生中心」「探索学習」「協調学習」のいい例である。つまり、何をどのように学ぶかは学生自身が議論し、決定する。目的は明らかである。権威ある人物の「迷信」を否定し(つまり伝統に反抗する態度を奨励)、学生の自己中心性を増大し、後の文化大革命で反乱を起こすための地固めである。

第二に、教育と生産労働が統合された。大躍進の頃、各学校には工場があり、教師や学生たちは鉄を精錬し、土地を耕した。人文科学や社会科学を専門とする人民大学さえも、108カ所の工場を動かしていた。この状況で学生たちは「やりながら学ぶ(実践教育)」を経験したが、実際、彼らは何も学ばなかったのである。

後に起きた文化大革命の時、学生たちは有形無形に関わらず、すべての伝統的な文化遺産を破壊するよう動員された。(第六章を参照)。これも、欧米で起こった対抗文化運動に酷似している。文化大革命の後、毛沢東は「ブルジョワの知識人たち」が学校を支配するべきではないと主張した。1966年6月13日、中国共産党は「是正処置」キャンペーンを展開し、大学入試を廃止して「労働者、農民、兵士」を学生として入学させることを明示した。

文化大革命時に制作された映画「決裂」は、改革の理由を描写している。「貧しい農家に生まれた若者は十分な学がないが、野良仕事でできた手のタコに入学資格を与える」。学校長が言う。「彼らの低い識字能力を、誰が責められるだろうか? この責任は、国粋主義者、地主、資本階級(圧政者)にとってもらう!」

一方、西洋では、数学の試験が人種差別につながるという論文を発表した教授がいた。彼によれば、一部の少数民族の成績が白人学生より低いからである。【115】

また別の教授は、男子学生による数学の好成績は、女子に対する性差別に繋がると主張する。【116】 大学入学資格を手のタコで決定することは、数学の成績を人種や性差別のせいだと主張することと同じである。どちらも共産主義が学生の学力を低下させ、知的な成長を阻害することを目的としている。

文化大革命の後、中国は大学入試を再開した。その頃から、小学校以降の学習は入試準備の過程となった。功利主義の教育のもと、大多数の学生たちは試験にパスすることのみに集中し、自立した考えや善悪の分別を持たない機械となった。一方で、マルクスの哲学、政治学、経済学は必修科目として残された。

伝統文化から逸脱した学生にとって、善悪や正誤の判断基準は、共産主義のそれに切り替わる。9.11同時多発テロの後、多くの中国人学生が喝采を送ったのはそのためだ。小学生は、大人になったら汚職幹部になると豪語する。女子学生は売春や代理母出産などでお小遣いを稼ぐ有様である。

共産主義は、すでに若い世代をハイジャックしたのである。

結論:伝統的な教育への回帰

教育は、民族、国家、人類文明の将来を担っている。それは長期的な努力を必要とし、その影響は数百年から数千年も続く。過去百年間の歴史を振り返ると、アメリカの教育制度は共産主義イデオロギーの浸透によって完全に破壊された。親や教師たちは両手を縛られ、子どもたちによりよい教育を施すことができない。学生の能力を開発すべき学校は、彼らを甘やかし、ダメにしている。彼らの道徳観の欠如、スキルの低さ、精神的な脆さ、悪習慣、さらに混乱した反伝統的、反社会的な潮流に飲み込まれた状況に対して、社会全体が頭を抱えている。われわれはまさに、悪魔が子どもたち、そして人類の未来を貪っているのを目の当たりにしている。

1958年出版の『裸の共産主義者』(The Naked Communist)が提示する45のゴールのうち、教育については次のように書かれている。「学校を支配すること。学校を、社会主義と共産主義のプロパガンダの伝導ベルトとして利用する。カリキュラムを緩める。教員連盟を支配する。党の路線を教科書に反映させる」【117】

アメリカの教育を見ると、これらのゴールが達成されただけでなく、状況はそれ以上に悪化している。政治や経済において圧倒的に優位なアメリカは、世界中の国々の憧れでもある。大多数の国々は、アメリカの教育改革を模範としている。アメリカの教育概念、指導資料、指導方法、学校経営などは、多くの国々に影響を与えている。従って、アメリカの教育を変えるということは、世界の教育を変えると言っても過言ではないだろう。

天地創造、あるいは人類文明が退廃する時期は、大覚者や聖者がこの世に誕生する時である。これらの聖人たちは、人々の「教師」でもある。例えば、ギリシャ文明の始祖であるソクラテスは教育者でもあった。福音書の中で、イエスは自身を「先生」と呼ぶことは正しいと言った。釈迦牟尼は10の称号を持っていたが、そのうちの一つは「天人師」である。孔子も教育者であり、老子は孔子の師であった。彼らは、どうやって人として生き、神を敬い、隣人と調和し、道徳を向上するかを教えた。

これらの大覚者と聖人は、人類にとって偉大な教育者だった。彼らの言葉が文明を創りあげ、古代文明の基礎を築いた。彼らが説いた価値観、そして道徳を向上させる道は、人々に健全で超越した精神を養わせた。健全な精神を持った人間は、健全な社会を保つために不可欠だ。偉大な教育者たちが同じ結論に至ったのもうなずける。教育の目的は、よい人格を養うことである。

東洋でも西洋でも、数千年にわたって行われていた古典的な教育には、神が人間に与えた文化が継承されている。その中には貴重な経験や資料が保存されていた。古典的な教育では、人間の教育の良し悪しを見る時、才能と人格の両方が判断基準だった。伝統的な教育に回帰し、古典的な教育法を保持し、研究し、学ぶことは、人類にとって貴重な財産となるだろう。

高い道徳を備えた人々は自分を律することができる。これは、アメリカの建国の父たちが望んだことである。道徳的で高貴な人間は神の恵みを受け、勤勉さと智慧により、物質的な豊かさと精神的な満足を得られる。さらに、高い道徳を備えた人々の社会は繁栄し、何世代も続く。これは大覚者や聖人、つまり人類の偉大な教師たちの教えであり、今日の人間が伝統へ回帰する方法である。

参考文献

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[27] David Horowitz and Jacob Laksin, One Party Classroom (New York: Crown Forum, 2009), 51.
[28] 同上., 51–52.
[29] Bawer, The Victims’ Revolution: The Rise of Identity Studies and the Closing of the Liberal Mind, Chapter 3.
[30] Horowitz and Laksin, One Party Classroom, 3.
[31] David Horowitz, The Professors: The 101 Most Dangerous Academics in America (Washington D.C.: Regnery Publishing, Inc., 2013), 84–5.
[32] Horowitz and Laksin, One Party Classroom, 212.
[33] David Horowitz, Indoctrinate U.: The Left’s War against Academic Freedom (New York: Encounter Books, 2009), Chapter 4.
[34] 同上.
[35] Horowitz and Laksin, One Party Classroom, 1–2
[36] Quoted from http://www.azquotes.com/author/691-Bill_Ayers.
[37] Horowitz, The Professors: The 101 Most Dangerous Academics in America, 102.
[38] “Who Won the Civil War? Tough Question,” National Public Radio, November 18, 2014, https://www.npr.org/sections/theprotojournalist/2014/11/18/364675234/who-won-the-civil-war-tough-question.
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[40] “Study: Americans Don’t Know Much About History,” July 17, 2009, https://www.nbclosangeles.com/news/local/Study-Americans-Dont-Know-About-Much-About-History.html.
[41] Howard Zinn, A People’s History of the United States (New York: Harper Collins, 2003).
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[83] 同上., p. 391.
[84] Stanley Kurtz, “Will California’s Leftist K-12 Curriculum Go National?” National Review, June 1, 2016, https://www.nationalreview.com/corner/will-californias-leftist-k-12-curriculum-go-national/.
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[91] “Death in the Classroom,” 20/20, ABC Network, September 21, 1990, https://www.youtube.com/watch?v=vbiY6Fz6Few.
[92] Sowell, Inside American Education: The Decline, the Deception, the Dogmas, 38.
[93] Kilpatrick, Why Johnny Can’t Tell Right from Wrong and What We Can Do about It, 32.
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[100] Kilpatrick, Why Johnny Can’t Tell Right from Wrong and What We Can Do about It, 53.
[101] Maureen Stout, The Feel-Good Curriculum: The Dumbing Down of America’s Kids in the Name of Self-Esteem (Cambridge, Massachusetts: Perseus Publishing, 2000), 1–3.
[102] 同上., 17.
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[106] Troy Senik, “The Worst Union in America: How the California Teachers Association Betrayed the Schools and Crippled the State,” The City Journal, Spring 2012, https://www.city-journal.org/html/worst-union-america-13470.html.
[107] Kilpatrick, Why Johnny Can’t Tell Right from Wrong and What We Can Do about It, 39.
[108] Samuel Blumenfeld and Alex Newman, Crimes of the Educators: How Utopians Are Using Government Schools to Destroy America’s Children (Washington D. C.: WND Books, 2015), Chapter 14.
[109] Schlafly, Child Abuse in the Classroom, 14.
[110] Valerie Strauss, “A serious Rant about Education Jargon and How It Hurts Efforts to Improve Schools,” Washington Post, November 11, 2015, https://www.washingtonpost.com/news/answer-sheet/wp/2015/11/11/a-serious-rant-about-education-jargon-and-how-it-hurts-efforts-to-improve-schools/?utm_term=.8ab3d85e9e45.
[111] Stormer, None Dare Call It Treason, 104–106.
[112] Regarding the criticism of “common core,” see Duke Pesta, “Duke Pesta on Common Core – Six Years Later,” https://www.youtube.com/watch?v=wyRr6nBEnz4, and Diane Ravitch, “The Common Core Costs Billions and Hurts Students,” New York Times, July 23, 2016, https://www.nytimes.com/2016/07/24/opinion/sunday/the-common-core-costs-billions-and-hurts-students.html.
[113] There are many such cases. For examples, readers to refer to 周鯨文:《風暴十年:中國紅色政權的真面貌》(香港:時代批評社,1962), https://www.marxists.org/chinese/reference-books/zjw1959/06.htm#2.
[114] 羅平漢,〈1958年的教育革命〉,《黨史文苑》,第34期.
[115] Robert Gearty, “White Privilege Bolstered by Teaching Math, University Professor Says,” Fox News, October 24, 2017, http://www.foxnews.com/us/2017/10/24/white-privilege-bolstered-by-teaching-math-university-professor-says.html.
[116] Toni Airaksinen, “Prof Complains about ‘Masculinization of Mathematics,’” Campus Reform, August 24, 2017, https://www.campusreform.org/?ID=9544.
[117] W. Cleon Skousen, The Naked Communist (Salt Lake City: Izzard Ink Publishing, 1958, 2014), Chapter 12.

【引用元】
第十二章:教育の破壊(上) | 大紀元 エポックタイムズ (epochtimes.jp)
第十二章:教育の破壊(下) | 大紀元 エポックタイムズ (epochtimes.jp)

【序章】
【第一章】 人類を壊滅する邪悪の陰謀
【第二章】 始まりはヨーロッパ
【第三章】 東側での大虐殺
【第四章】 革命の輸出
【第五章】 西側への浸透
【第六章】 神に対する反逆
【第七章】 家族の崩壊
【第八章】 共産主義が引き起こした政治の混乱
【第九章】  共産主義がしかけた経済的な罠
【第十章】 法律を利用する邪悪
【第十一章】 芸術を冒涜する
【第十二章】 教育の破壊
【第十三章】 メディアを乗っ取る
【第十四章】 大衆文化―退廃と放縦
【第十五章】 テロリズムのルーツは共産主義
【第十六章】 環境主義の裏にいる共産主義
【第十七章】 グローバル化の中心は共産主義
【第十八章】 中国共産党のグローバルな野望
【おわりに】