『悪魔が世界を統治している』(九評編集部)

人権

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序章

     内  容 
1.共産主義は人類を壊滅する悪魔の意志
2.悪魔のやり方と手段
3.共産主義は悪魔のイデオロギー
4.悪魔についての抽象的な理解
5.多面的な顔を持つ悪魔
6.社会主義は共産主義の初期段階
7.共産主義にあこがれる人たち
8.文化と道徳を破壊する悪魔
9.神に立ち戻り、伝統を復活させ、悪魔の陰謀から逃れる

 

【引用元】https://www.epochtimes.jp/p/2019/06/35724.html

ソビエトと東欧を支配していた共産主義政権の崩壊は、半世紀にわたって続いた東西冷戦の終わりを告げた。多くの人々は共産主義をすでに消失したものとみなし、過去の遺物になったと楽観的だった。

しかし、実際には、共産主義のイデオロギーは変質した形で世界中に浸透し、着実に根を下ろしていた。共産主義を全面に押し出す中国、北朝鮮、キューバ、そしてベトナムにはまだ存在する。前ソビエトや東欧においては、いまだに共産主義のイデオロギーが多大な影響を与えている。アフリカや南米諸国は、民主や共和というスローガンのもとで社会主義を推進している。ヨーロッパや北アメリカでさえ、市民は全く気づかないうちに共産主義の影響を受けているのだ。

共産主義は、戦争、飢餓、大量虐殺、圧政を生み出す。すでに十分恐ろしいものばかりだが、共産主義者らは、さらにおぞましい方法でそれらを解決しようとする。われわれにはっきりと分かっているのは、共産主義は人類自身に対して戦争を仕掛けており、これまでの歴史に現れたどの社会制度とも異なるということだ。彼らが消滅しようとするものは、人間の価値観や尊厳を含む、人類の全てである。

一世紀にわたり、共産主義はソビエトと中国で独裁統治を行った。一億人以上の人々を殺害し、十億人以上を奴隷化し、世界を核戦争の危機にまで追い込んだ。しかし、もっと重要なことは、彼らが意図的に、広範囲にわたる家族の崩壊を企て、社会不安をかき立て、道徳を堕落させたことである。これらは文明の根幹に甚大な被害を与えた。

それでは、共産主義の性質とは一体何だろうか。彼らの目的とは? なぜ彼らは人類を敵とみなすのだろうか。どうすれば、われわれはその企てから逃れられるだろうか?

1.共産主義は人類を壊滅する悪魔の意

『共産党宣言』は、次の言葉で始まる。「ひとつの邪霊がヨーロッパを徘徊している。共産主義の邪霊が」。この邪霊という言葉は、マルクスの造語ではない。われわれは「前書き」の中で、共産主義を単なるイデオロギーの運動であるとか、政治的教義、あるいは人類社会で新たな手法を試みたものである等と理解すべきではないと指摘した。

われわれは、それを悪魔として認識すべきである。それは、憎悪、堕落、あるいは宇宙に存在する低次元の勢力によって生まれた邪霊である。共産主義の邪霊は蛇の形をとり、その後は赤龍へと姿を変え、神を憎む悪魔(サタン)と共にいる。邪霊は低次元にいる生命と悪魔を利用し、人類に壊滅をもたらそうとしている。

邪霊が人類を壊滅させようとしているが、神は人類を救い済度しようとしている。そこで悪魔は、人間が神を疑うよう仕向け、人類の道徳を破壊し、伝統を放棄させ、神の教えに背くよう促した。その先にあるのは、人類の滅亡である。

冷戦は終結したが、共産主義という「毒」は前共産国家ばかりでなく、その他の国々へも広がった。共産イデオロギーの浸透は、邪霊が世界規模で人間社会に影響を与える道をつくったが、一方で、人々は共産主義を自分たち自らが選んだのだと誤解した。そのため、人々は正誤の判断の基準を失い、善悪の分別もつかなくなった。しかし、これは悪魔の陰謀であり、その達成まであとわずかである。

不幸にも、邪霊は彼らのアジェンダが完成したと喜んでいるのに、人々はその邪悪な共産主義がすでに崩壊したと思いこんでいる。人類は壊滅の危機にさらされているにも関わらず、無邪気に共産国を打ち破ったと、浮かれているのだ。

2.悪魔のやり方と手段

人間は神によって造られ、神の慈悲が人間を守っている。それを百も承知の悪魔は、神と人間の絆を断ち切り、人間を堕落させ、神が人間を見捨てるように仕向けた。悪魔は、まず神が人間に与えた伝統文化を破壊し、人間の道徳を堕落させ、神の済度に値しない歪んだ人間を量産した。

人間の心には、善と悪、神と悪魔の両方が宿っている。従って、人間は道徳の退廃を求めて堕落することもできるし、徳を積んで修煉し、高みに上ることもできる。神を信じる人が道徳的な考えと行いを追及すれば、神は彼の正しい念(正念)を護持し、奇跡を顕す。神が人間の道徳向上を助け、最後にはその人間を天国へと迎え入れる。一方、道徳の退廃した者は利己的で、欲望、貪欲、無知、傲慢な人間となる。神はそのような汚い考えと行動を受け入れないため、悪魔はその隙につけいり、ますますその人間の利己心と邪悪な心を増長させる。邪悪がその人間を操り、悪行を重ねさせ、カルマ(悪業)を大量に発生させれば、彼の行先は地獄である。人類社会全体の道徳水準が落ちていくに従って、悪魔はさらにその傾向を加速させ、より多くの悪とカルマが発生し、人類を最終的な壊滅へと導くのだ。

18世紀初めのヨーロッパでの動乱とそれに伴う道徳の低下は、悪魔にとって絶好のチャンスだった。悪魔は少しずつ善悪の分別の基準を崩し、無神論、唯物主義、ダーウィンの進化論、闘争哲学などを浸透させた。また、マルクスを人類の中から選び出し、特命全権大使に任命した。マルクスは1848年に出版した『共産党宣言』の中で、私企業、社会階級、国家、宗教、家族を暴力的に破壊せよと主張した。1871年のパリ・コミューンは、彼らによる最初の政権奪取である。

マルクス主義者たちによれば、マルクスの政治哲学の中心は政権である。しかし、それは半分正しく、半分誤りである。共産主義のアジェンダ(行動計画)を達成するために、政権はそれほど重要な要因ではない。しかし、人類を急速に堕落させるには、政権への太いパイプが必要だ。政権を掌握すれば、共産主義者らは暴力でそのイデオロギーを広め、ほんの数年から数十年で伝統文化を破壊することができる。一方、政権を取れなかったとしても、悪魔はさまざまな手段を使う。虚偽、秘密組織、脅迫、混乱の扇動、伝統的な思考の停止、無秩序、動乱の工作など。彼らのやり方は、「分断し、征服する」である。それは全て、全世界を支配するという目的のためだ。

3.共産主義は悪魔のイデオロギー

神は人類社会に豊かな文化を与えて宇宙の価値観を示し、人類が再び天国へ戻れる道を開いた。明らかに、共産主義の邪悪と神が与えた伝統文化は、根本から相容れない。

邪霊の中心思想は無神論と唯物主義である。それは、ドイツ哲学、フランスの社会革命、イギリスの政治経済の混合物であり、それまで主流だった神や伝統的な思想にとって替わった。共産主義は教会を取り込み、すべての社会生活を彼らの支配下においた。悪魔は人々の思考を独占し、神に反抗させ、伝統を放棄させた。このようにして、悪魔は人々を壊滅へと導いた。

悪魔はマルクスやその追随者たちを代理人として選んだ。代理人たちは悪魔の指示通りに神の法則に反抗し、打撃を加えた。代理人たちは階級闘争と、土着の社会構造の廃止を推進した。東側では、暴力的な革命で全体主義国家を樹立し、世俗宗教と政治を合体した。西側国家では重税と富の再分配を実施し、進歩的、非暴力という名の共産主義を広げた。代理人たちは世界中の政治体制に共産主義のイデオロギーを広め、国家の主権を奪い、世界支配を目論だ。これが、共産主義の約束する「地球の楽園」であり、階級や国境、政府も存在しない集産社会であり、その理念は「人はそれぞれ各人の最高の能力に応じて(社会に)貢献するが、(消費する時は)各人の必要性に応じてしか受け取らない」である。

共産主義はこの理念をベースに地球の楽園を求め、極めて無神論的な「社会進歩」を推進した。唯物論によって神への信仰と宗教を破壊し、人類の精神的な探究を停止させた。それによって、共産主義のイデオロギーは、政治、経済、教育、哲学、歴史、文学、芸術、社会科学、自然科学、宗教まで、全ての分野に伝播した。それはまるでガンの病巣のように、神への信仰を含むすべての理念を破壊しながら、あちこちへ転移していく。共産主義は国家の主権と民族の独自性を失わせ、人類の道徳と伝統文化を破壊し、人類を壊滅へと導いている。

マルクスは『共産党宣言』の中で、「共産主義の革命は、伝統的な財産形態を最も激しく打ち破るものである。従って、共産主義の発展が、伝統的な考えを最も激しく打ち破るものであることは当然である」と述べた。つまり、マルクスは著書の中で、過去200年において共産主義が実践してきたことを明確に説明している。
神は倫理道徳と秩序の源であり、神の道徳は永遠で変わらないものである。道徳の基準は人間が決定するものではなく、ましてや人間の力で変えられるものでもない。共産主義は道徳を唾棄し、あらたな道徳を打ち建てることによって共産主義的人間を造る。共産主義者は負の(ネガティブな)やり方で人類の伝統に充満していた正の(ポジティブな)要素を排除し、世界を負の要素で満たすことを目標としている。

伝統的な法律は道徳を基礎とし、道徳を維持するためのものである。共産主義は法律から道徳を引き離し、悪法や伝統的な法律を捻じ曲げることにより、人類の道徳を破壊している。

神は、人々に慈悲を説くが、共産主義は階級闘争を主張し、暴力と殺人を奨励する。

神は、家族を社会の一単位とし、人類社会の基盤と定めた。共産主義は、家族を私有財産や資本制度の一部であるとみなし、それを破壊した。

神は、人間に収入を得て生活する権利を授けた。一方、共産主義は私有財産を取り上げ、資産を没収し、税金を引き上げ、資本を独占し、完全に市民の経済活動を支配した。

神は、人類が持つべき道徳、政府、法律、社会、文化を定めた。一方、共産主義は「現存するすべての社会構造を暴力的に転覆する」ことを切望した。

神は、伝統芸術を通じて、自分のイメージを人々に示した。伝統的な芸術は人間に天国世界を想起させ、神への信仰を強め、道徳を高めると同時に徳を養う。一方、共産主義は、人類に現代風の創作物を拝ませる。それはわれわれ人間の中に息づく神性を潰し、替わりに邪悪な衝動を刺激する。下劣で醜く、奇形で、邪悪な、退廃した芸術は、人をカオス(混沌)と無秩序へ向かわせる。

神は、人間が神の創造物であること、また人間は常に謙虚で畏敬の念を持つべきであることを教えた。一方、共産主義は人間の内に潜む悪と傲慢さにつけこみ、神に反逆するよう仕向けた。人間が本来持っている悪の部分を拡大し、共産主義は「自由」の理念を推進した。それは道徳的制限も義務もない、全くの放任した自由だった。「平等」というスローガンを掲げ、人々の間に嫉妬と虚栄心を駆り立てた。なぜなら、人間は名声や物質的利益に弱い生き物だからだ。

第二次世界大戦後、共産主義は軍事力と経済力を増強し、共産圏と自由社会は数十年にわたって対立してきた。共産主義の教義は共産国の世俗的な宗教となり、否定することさえ許されず、教科書に刷り込まれた。その他の国々でも、共産主義は偽装しながら、市民にその教義を深く植えつけ、多大な影響を与えている。

4.悪魔についての抽象的な理解

同書の中で何度も触れている「悪魔」は、超常的な力のことである。悪魔が招いた世界の混乱を理解するには、まず共産主義の邪霊について理解することが必要である。

簡単に言うと、共産主義の邪霊は「憎悪」によって構成されている。それは人間の心から発する憎しみからエネルギーを得ている。

共産主義の邪霊はサタン(悪魔)と密接に繋がっている。時に、この二つは見分けがつかないので、われわれはあえてこの二つを分けて考えることはしなかった。

悪魔の陰謀は、西側でも東側でも、すべての職業と社会層に現れている。時にその力は分断され、時に統合する。その手法は千変万化し、同じ形式をたどることはない。

悪魔は人類に起きた果てしない闘争の火付け役である。宗教、政治、経済、金融、軍事、教育、学界、芸術、メディア、娯楽、大衆文化、社会現象、国際関係を含むすべてを戦場に変えた。

悪魔の黒いエネルギーはありとあらゆる分野に広がり、グループから社会運動にまで飛び火する。1970年代、西側で反ベトナム戦争の社会運動が衰え始めた頃、悪魔は反抗的な思春期の青年たちを操り、彼らのエネルギーをフェミニズム(女性解放思想)、環境保護、同性愛の保護などに向かわせた。悪魔は西洋の文明を内側から破壊した。

悪魔は良心を欠いた人間を簡単に代理人にできる。代理人は偽善的に人を騙し、良識ある無実の人々を攻撃する。正義感のある人は叩かれ、ただ弁解することしかできない。

悪魔の代理人たちは、その与えられた役割に気づいていない人も多いが、エリートから中間層、また下層に至るまで、社会の隅々で活躍している。従って、彼らの活動は、時にボトムアップ(下から上への突き上げ)の革命方式であったり、またはトップダウン(絶対服従)の陰謀だったり、あるいは中間層からの改革だったりもする。

悪魔は形を変え、多数の場所に同時に存在する。悪魔は低次元に存在する生命や霊体を働かせ、彼らの計画を実行させる。ポルノや薬物は、悪魔の便利な道具である。低次元の霊体や生命は人間の負のエネルギーを好み、それを養分とする。人間の負のエネルギーとは、憎しみ、恐怖、絶望、傲慢、反抗、嫉妬、乱倫、怒り、狂乱、怠惰などである。

悪魔は秘密主義であり、また極めてずる賢い。それは人間の貪欲、不正、邪悪な心を利用し、彼らの目的を達成する。もし人間がそれらの心を持ち、悪魔と合致してしまえば、悪魔はその人間をコントロールできるようになる。人間は自分の意思で行動していると思っているが、実際には、その多くが悪魔によって操られているのである。

5.多面的な顔を持つ悪魔

悪魔がたくさんの名前を持つように、共産主義もさまざまな方法で姿を現す。悪魔は対立する両方の立場を擁護し、人々を騙す。全体主義と民主主義、計画経済と市場経済、言論の制限と制限のない言論の自由、同性愛への反発と同性愛の合法化、無茶な環境破壊と極端な環境保護、などである。それは暴力的な革命を主張する時もあれば、平和的な変革をめざす時もある。政治的あるいは経済的な制度に現れたり、芸術や文化に現れたりする。ある時は純粋な理想論を掲げ、時に冷血な策謀を取る。共産主義を実施する「全体主義」は、実は悪魔のたった一つの顔に過ぎない。マルクス、レーニン、毛沢東が実践したのは、悪魔が表したほんの一面に過ぎない。

18世紀、楽園社会主義が現れた頃から、世界にはさまざまなイデオロギーが生まれた。科学的社会主義、ファビアン社会主義、サンディカリズム(無政府組合主義)、クリスチャン社会主義、民主社会主義、人道主義、エコ社会主義、厚生社会主義、マルクス・レーニン主義、毛沢東主義。これらのイデオロギーは二つのタイプに分けられる。暴力的な共産主義と非暴力的共産主義である。非暴力的とは、緩慢に浸透し、じわじわと現体制を腐らせていく方法だ。

悪魔がでっちあげた嘘の一つは、西側と東側の両方にしかけた罠である。彼らは東側(ソビエトと中国)へ強行に侵攻したが、西側(欧米諸国)には、偽装しながら、こっそりと浸透した。イギリスのファビアン協会、ドイツの社会民主党、フランスの第二インターナショナル、アメリカの社会党など、その破壊の種はヨーロッパや北米に広くまかれた。冷戦時代、ソビエトと中国で広がった虐殺、収容所、粛清を目の当たりにし、多くの欧米人は、自分は自由社会に生まれてなんて幸運なのだ、と胸をなでおろしたかもしれない。実際、一部の社会主義者たちは、ソビエトでの行為を非人道的で暴力的だと非難している。しかし、われわれが彼らに言いたいのは、共産主義から自分たちを守るためのガードが甘すぎるということだ。

共産主義の悪魔は、多種多様に、非常に複雑に偽装して西側に住み着いているため、それから身を守るのは至難の技だ。以下は、共産主義に導かれた、あるいは共産主義に利用された運動や学説である。リベラル派(自由主義)、進歩主義、フランクフルト学派、新マルクス主義、批判理論、1960年代の反伝統運動、反戦運動、性の解放、同性愛の合法化、フェミニズム、環境主義、社会正義、ポリティカル・コレクトネス、ケインズ学説、前衛的芸術、多文化主義など。

6.社会主義は共産主義の初期段階

多くの欧米人は社会主義と共産主義を全く異なるものと認識している。しかし、この認識こそが、社会主義の繁栄する土壌となっている。実際、マルクス・レーニン理論によれば、社会主義とは単に共産主義に至るまでの初期段階に過ぎない。

マルクスは『ゴータ綱領批判』(1875年)の中で、共産主義には初期段階があり、その後に進行期が続くと指摘している。同時に、その時代の国際的な状況により、エンゲルスも後に述べたが、「民主社会主義」が現れる。この段階になると、政治権力を握るために、社会主義者らは有権者の票を利用する。民主社会主義は、世界中の社会民主党や、第二インターナショナルを唱える者、また資本社会に存在する左翼たちによって提唱されている。レーニンは社会主義と共産主義について明確な定義を下している。社会主義とは共産国家の初期段階であり、社会主義を基礎として、共産主義が発展していくのである。

従って、社会主義は常に、マルクスや国際的な共産主義者たちの一部である。国有化や計画経済などは、共産主義への地固めである。欧米社会で人気の社会主義や左翼の教義は共産主義と何の関係もないようにみえるが、これらは単に非暴力の形をとった共産主義なのだ。

欧米では暴力的な革命はないが、有権者の票が政権掌握のために買収されている。明白な国有化はなくとも、欧米で実施されている重税がその役割を果たしている。国家による計画経済の代わりに、欧米の社会福祉が資本主義を揺るがしている。左翼政党は、社会保障と福祉が社会主義を実現するための重要な側面だと考えている。

共産主義の犯罪を非難するとき、暴力と虐殺のみに気を取られてはならない。社会主義がもたらす危険性にも気づくべきだ。非暴力という形の共産主義はさまざまな社会主義の派閥を生み、人々を騙して混乱させている。共産主義を理解するには、まずそれに初期段階があることを認識しなければならない。なぜなら、共産主義には必ず進化する過程があり、一晩でそれが成し遂げられるものではない。すべての生命と同じく、それも徐々に成長するのだ。

一部の欧米に見られる社会主義国、また福祉国家は、「コモンウェルス」(Commonwealth)の名の下に共同体をつくり、自国の主権と自由を犠牲にしている。これらの国々の市民は、ある程度の政治的自由を得ているかもしれない。しかし、それはまだ社会主義が発展段階であるからだといえる。しかし、社会主義とは静止している状態を指すわけではない。社会主義国家は利益を平均的にならすことを初期の目標としているため、市民は当然、自由を奪われる。必然的に、人々は少しずつ自由をはく奪されていき、社会主義は共産主義へと移行する。

もし、自由国家が一晩で独裁政権になり替わったとすれば、人々は当然ショックを受けるだろう。多くの人々が反抗するだろうし、少なくとも積極的には受容しないはずだ。そうなると、独裁政権にとっては都合が悪いため、反抗者を大量に虐殺することになる。これがつまり、ソビエトと中国が、政権が落ちついてからも大勢の市民を粛清した理由である。

一方、全体主義ではない、社会主義を信奉する民主国家はどうだろうか。これらの国家はたくさんの法律を制定し、少しずつ市民の自由を奪っていく。まるで、ゆっくりと茹でられるカエルのようである。社会主義の体制を固めていくには、10年、あるいは数世代にわたる過程が必要だ。その間、市民はその社会主義体制に慣れ、過去を忘れ、それがますますこの欺瞞に満ちた体制を強化する。この形式の緩慢な社会主義化は、暴力的なそれと本質において全く同じである。

社会主義は「平等の権利」を保障し、それを立法化するが、それはつまり道徳を引きずりおろし、市民がより善へ向かう自由を奪うことである。実際、人間は多様である。信仰、道徳の基準、文化的知識、教育水準、知能、精神力、勤勉さ、責任感、積極性、創造力、企業家精神などにおいて、人には本来個性がある。しかし、下層レベルにいる市民を一遍に上へ引き上げ、平等を強いることはできない。そこで、社会主義者は上部にいる人たちを制限し、人工的な「平等」を造るのである。

道徳に関して、欧米の社会主義者たちはお決まりの言葉を使う。いわゆる「差別反対」「価値中立性」「ポリティカル・コレクトネス」を用い、基本的な道徳の判断基準を打ち壊す。これはつまり、道徳を破壊することに等しい。必然的に、この状況はさまざまな堕落した道徳の合法化、標準化を生み出した。つまり、反有神論、卑俗なスピーチ、性的倒錯、退廃芸術、ポルノ、ギャンブル、薬物などである。その結果は、神を信じる人や道徳向上を目指す人々に対する逆差別であり、これらの善良な人々が排除されてしまうのである。

7.共産主義にあこがれる人たち

今日、多くの欧米人は共産主義をロマンチックに夢想しているが、彼らは一度も共産主義国に住んだことはなく、またその災いを経験したこともない。従って、彼らは共産主義が一体何なのかを全く理解していないのだ。

冷戦時代、自由社会の知識人、芸術家、ジャーナリスト、政治家、若い学生たちが、ロシアや中国、キューバを視察した。彼らに見せられたのは勿論、一般市民の生活とはかけ離れた、華やかな部分だけである。共産国家は、それらの外国人旅行者たちを完璧に騙すことに成功した。外国人たちが見学した場所、例えば模範的な村、工場、学校、病院、保育園、刑務所を含む全てが彼らの好みに合わせて作られた。それらの場所で外国人訪問客を迎えたのは一般市民ではなく、全員が共産党員、あるいはその側近たちである。

外国からの視察団のために、共産国では何度もリハーサルが行われる。外国人たちは、花束、お酒、ダンス、歌、パーティーと笑顔の子どもたちに温かく迎えられ、勤勉に働いている労働者たちと平等に、自由に話すことができる。学生たちは真面目に勉強し、幸せな結婚式が催されている。

しかし、共産国家には、外国人たちが目にすることのできない現実がある。見せかけ裁判、大量拘束、集団リンチ、闘争教育、誘拐、洗脳、独房監禁、強制労働収容所、虐殺、土地と財産の没収、飢餓、公共サービスの劣化、プライバシーの侵害、盗聴、監視、連座制、残酷な政治闘争、エリートたちによる浪費と贅沢な行為など。

外国人たちは勿論、庶民の苦しみを目撃することはない。外国人たちは愚かにも、お膳立てされた演出が共産国家の日常であると勘違いしてしまう。すると彼らは、本や記事、講演会などを通して共産主義を称賛し、騙されているとも知らずに宣伝してしまうのだ。少数の人間が、その共産国家の殿堂が隙間だらけであるのを見抜くが、多くの市民は共産主義の罠にはまってしまう。彼らは中国人のように「外面をきれいに」することに務め、共産主義の弾圧は、共産主義国家へ移行するための代価であると主張するのだ。

彼らも共産主義への道のりが歪んでいることを知っているが、それでも将来は明るいとはずだと確信を持っている。彼らは真実を語ることを拒む。なぜならば、それは「社会主義計画」という名前に泥を塗ることになるからだ。真実を語る勇気を持たない彼らは、ただ恥を忍び、沈黙を守るだけだ。

共産国では全ての人間が「自由で平等」であり、抑圧も収奪もない。物が豊かで皆がその能力に応じて貢献し、それに応じて享受する。そこは個人が自由に自分自身を発展させることのできる、地球の楽園である―このような人間社会は、空想の世界にしか存在しない。悪魔がそれを餌に、人々を夢想させているに過ぎない。

実際には、権力はほんの一握りのエリートたちに握られている。真の共産国家とは、つまり少数の人間が権力を独占し、大勢の奴隷からすべてを奪うことである。一部の社会主義国では、まだ機が熟していないため、そこまでひどい状態には至っておらず、表面的には平和に見えるかもしれない。しかし、時期が到来し、社会が変革した時、無知な社会主義信奉者たちが後悔しても、すでに遅いだろう。

8.悪魔による文化と道徳の破壊

悪魔はすべての国家と分野に自分の代理人を遣わした。多くの無知でお人好しの大衆は彼らを信じ、自らを破滅へと追い込んだ。

共産主義は神へ反抗するよう促し、信仰を放棄させる。宗教を外側から攻撃するのと同時に、人々を操って内側からも腐らせる。宗教は政治に利用され、商業や娯楽に変換した。数えきれないほどの堕落した聖職者たちが聖典の解釈を捻じ曲げ、信者たちを迷わせた。一部の聖職者にいたっては、不倫や小児性愛にまで手を染めた。

この複雑に乱れた宗教は、信者たちを困惑させ、彼らの希望を奪った。100年前、神への信仰心が篤い人は品格があるとみなされた。今日、宗教の信者と言えば、愚かな迷信家だとけなされる。今では、たとえ信仰心があっても人々は表に出さず、神について話すこともしなくなった。人々から嘲笑されることを恐れているからだ。

共産主義が重要視した目標のひとつは家族の崩壊である。男女平等、「富と婦人の共有」といった概念を推し進めた。20世紀にフェミニズムが盛んになり、性の解放、性区別の取り外し、父権制の廃止、家庭における父親の権威の失墜が現れた。結婚の定義を変え、同性愛の合法化と立法化、離婚と堕胎の権利、母子家庭への手厚い社会保障を推し進めた。この全てが家族の崩壊をエスカレートさせ、その結果として多くの貧困と犯罪が生まれた。これは、ここ数十年に起きた、突出した社会現象の一つである。

政治の分野において、共産国家は独裁路線を続けている一方、自由社会の政党政治もすでに危機に直面している。共産主義者たちは法的、政治的な体系の隙に付け入り、主要な政党を操っている。選挙戦で勝利するために、政治家たちは小汚い手を使い、できもしない公約の実現を掲げる。

全世界に見られる共産主義の影響には共通点がある。つまり、政治に右寄りと左寄りがあるとすれば、多くの国家が明らかに左寄りであり、政治家たちは重税、社会保障への高支出、大きな政府、介入主義を合法化し、制度を周りから固めている。このような政府の方針はもちろん、その国に重大な影響を与える。左寄りの政府は、より左翼的な思想が社会に浸透する土壌をつくる。その後、左翼的な教育を受けた若者たちが、また選挙に出て政治家になるという仕組みだ。

学問の世界にはもともと古来の智慧や文化を伝えていく重要な役割があったが、今ではそれもなくなった。20世紀初頭から、邪霊は系統的に人類の教育制度を破壊した。悠久の文化で知られる中国は共産主義が現れる前から「新文化運動」のあおりを受けていた。それは、中国人が自分たちの文化と断絶する試みの一つだった。共産主義が政権につくと、国有化された学校の教科書は党のイデオロギーで埋め尽くされ、若い中国人たちは「狼」に変質させられ、それが数世代も続いた。

欧米では、邪霊は科学という名のもとに「進化的な」教育を推し進め、哲学、心理学、教育学の分野の権威となり、最終的にはすべてのアカデミーを支配した。多くの教員と教育従事者たちが洗脳された。高校では、正統な文化や伝統的な道徳の授業がなくなった。教育水準は大幅に引き下げられ、国語や計算もできない生徒たちが、判断力と常識を失った。代わりに、無神論、進化論、唯物主義、闘争哲学などが生徒たちの頭に注がれた。

1960年代の反伝統運動の後、「ポリティカル・コレクトネス」を主張する人たちが言論警察となり、教師たちは生徒に歪んだ概念を教え込むことになった。学生たちは道徳の基準も、自分たちの文化的な基盤も、常識も責任感もないまま学校を卒業する。従って、彼らは盲目的に大衆に迎合し、堕落し続ける社会の濁流にのみ込まれてしまう。

社会に出れば、そこは薬物の乱用、急増する犯罪、セックスと暴力に満ちたメディア、怪奇的な芸術、そしてさまざまな悪魔的カルトやオカルト集団が存在する。若者たちは盲目的に映画やテレビ・スターを崇拝する。オンライン・ゲームやソーシャル・メディアに熱中し、精神力と情熱が失われていく。テロリストによる無茶苦茶な犯行は伝統的な道徳と市民の安全を奪い、人々は世界平和と安全に希望を見出せず、ますます絶望するだけである。

9.神に立ち戻り、伝統を復活させ、悪魔の陰謀から逃れる

人類の文明は神から与えられた。中国文明は漢と唐の時代に隆盛を極め、西洋文明はルネッサンス期にピークを迎えた。もし人類が神から与えられた文明を保持できれば、神が再来した時、人々は神との絆を保ち、神が教えた法を理解する。しかし、もし人間自身が、与えられた文化と伝統を打ち壊せば、崩壊した社会の中で、神が到来した時に神の教えを理解することができないだろう。なぜならその時、人間は大量のカルマ(業)と罪を背負い、彼らの考えも神の教えから遠く乖離したからである。それは人類にとって最大の危機だ。

今は、絶望と希望の両方が同時に存在する時期である。神を信じない人々は、歓楽的な喜びに身を任せながら人生を送るだろう。神を信じる人々は、この混乱と不安の中で、神の到来を待つ。

共産主義は人類の災難である。共産主義の目的は人類の壊滅であり、彼らの陰謀は非常に緻密で具体的だ。その企みは、ほぼ達成に近づいており、大成功だったと言えるだろう。つまり、現在は悪魔がこの世を統治しているのだ。

古代の智慧は、私たち人類に教えている。一つの正念が、百の邪悪を圧する。人間の佛性が芽生えれば、十方世界を震わす。どんなに悪魔が強大に見えても、神の前では何者でもない。もし人類が、誠実、親切、思いやり、寛容、忍耐を堅持できれば、神の加護を受けるだろう。そうすれば、悪魔は人間を統治する余地がなくなる。

創造主の慈悲は広大であり、すべての生命は壊滅から逃れるチャンスを与えられた。もし人類が伝統を復興させ、道徳を向上させ、創造主の慈悲の言葉に耳を傾けることができれば、その生命は救われる。悪魔の企みを破り、救い済度され、将来への道を歩むことができるだろう。

【序章】
【第一章】 人類を壊滅する邪悪の陰謀
【第二章】 始まりはヨーロッパ
【第三章】 東側での大虐殺
【第四章】 革命の輸出
【第五章】 西側への浸透
【第六章】 神に対する反逆
【第七章】 家族の崩壊
【第八章】 共産主義が引き起こした政治の混乱
【第九章】  共産主義がしかけた経済的な罠
【第十章】 法律を利用する邪悪
【第十一章】 芸術を冒涜する
【第十二章】 教育の破壊
【第十三章】 メディアを乗っ取る
【第十四章】 大衆文化―退廃と放縦
【第十五章】 テロリズムのルーツは共産主義
【第十六章】 環境主義の裏にいる共産主義
【第十七章】 グローバル化の中心は共産主義
【第十八章】 中国共産党のグローバルな野望
【おわりに】