『悪魔が世界を統治している』(九評編集部)

人権

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第十一章:芸術を冒涜する

     内  容 
1.芸術―神からの贈り物
2.芸術が人類に与える多大な影響
3.共産主義による破壊活動と芸術の乱用

1. 芸術―神からの贈り物

人類史上現れた多くの書物が、真の美とは何かについて論じている。信仰心のある者にとって、すべての奇跡は天からの賜りものである。深遠な芸術とは、天上の美を人間世界で模倣しようとする試みであり、芸術家たちは神々からの啓示を受けて作品を創造する。もし芸術家が神の恵みと啓発を受けることができれば、彼はその分野で卓越した才能を発揮するだろう。

信仰心の篤いルネッサンス期の優れた芸術家たちは、神を称える作品を多く残している。神が彼らの高潔さと善の心を認め、彼らに恵みを与えたのである。ダ・ヴィンチ(Da Vinci)、ミケランジェロ(Michelangelo)、ラファエル(Rafael)を含むルネッサンス中期の芸術家たちは先人を遥かに凌ぎ、奇跡とも呼ぶべきその技術は圧倒的である。彼らの絵画や彫刻、建築は、歴史を超えて保存すべき真の古典芸術である。

何世紀にもわたって、これらの作品は崇高な模範を人類に示してきた。作品を鑑賞することにより、次世代の芸術家たちはその技術を学び、一般市民は神々に触れ、神の存在を見ることができる。

芸術家たちの卓越した技術と作品に込められた精神が保存されていれば、人類社会は神々との絆を維持することができる。そうすれば、社会はすでに退廃と堕落の時期に差し掛かってはいるが、伝統に回帰し、人類が救われる希望は残されているだろう。

音楽の世界も同様である。ドイツのオペラハウスは、「バッハは神の言葉を、モーツァルトは神の笑いを、ベートーヴェンは神の炎を、与えてくれた。言葉を使わずに祈れるよう、神は音楽を下さったのだ」と解説している。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)は、その生涯を神への祈りにをささげ、神を称える作品を多く残している。彼はほぼ全ての楽譜にSDGと署名し、神に感謝をささげた。SDGとは、ラテン語「Soli Deo gloria」(ただ神にのみ栄光)の略称である。

これは、芸術家が理想とする最高の境地ではないだろうか。神の啓示を受けて、天上の物象をこの世で具現化する。偉大な絵画や彫刻、また早期の、あるいはバロック期の壮大な曲や古典カノンなどは、すべて信仰心の篤い芸術家たちが創造した作品であり、芸術の頂点を極めている。

芸術を創造するには三つの重要な要素がある。それは、表現、創造、伝達(コミュニケーション)である。すべての芸術作品にはテーマがあり、作者が伝えたいメッセージが込められている。詩、絵画、彫刻、写真、小説、演劇、舞踊、映画など形式は異なっていても、性質は同じである。芸術家たちは、そのテーマを読者、聴者、観客の心に届ける。これが伝達であり、芸術家の心が人々に伝わる過程である。

この目的を果たすために、芸術家は神々の世界や人間、あるいはあの世さえも模倣できるような、優れた技術を持たなければならない。表現したい物体を基礎として、芸術家は創造を始める。それは物体の奥深くにある本質を見て、自身の表現力を磨き、観客の心に伝える能力を高める過程である。芸術家が信仰心と高い道徳を備えていれば、神々は彼にひらめきを与える。このようにして出来上がった作品は神々しく、純粋で、善良であり、芸術家にとっても、また社会にとっても有益である。

一方、もし芸術家の道徳が堕落していれば、創造の過程は負の要素に占拠される。邪悪な力が作用し、芸術家を通して醜悪で奇怪な、あの世のものが表現される。このような作品は芸術家にとって有害であるだけでなく、幅広く社会を荒廃させる。

正統で伝統的な芸術の価値は計り知れない。東西における偉大な文化や芸術は、神々と人類文明が紡いだ、両者が繋がるための絆である。これらの作品が人類に伝えるのは、美、善、光、希望である。一方、邪悪な要素に操られて生まれたものは退廃した芸術である。これらの作品は神と人間の間に楔を打ち込み、人間を邪悪へと引きずり込む役割を果たしている。

2. 芸術が人類に与える多大な影響

偉大な作品は世界に知識と智慧を普及し、人々の教養を高める。東西文明の頂点を極めたこれらの芸術は、人類に残された貴重な財産である。

古代ギリシャの数学者で哲学者のピタゴラスは、天体と和音が調和しているとする「天球音楽」の概念を説いた。古代中国の書物『史記』や『楽経』は、楽器の音が五行(万物を構成する五つの要素。木・火・土・金・水を指す)と呼応すれば、天地を表現できると説いた。この基準に到達すれば、「最高の音楽」で、「天地に普く広がる調和」を表現することができる。【1】 古代中国の物語は、鶴や鳳凰、天人までもが美しい音楽に惹かれて降りてくる場面を描いている。

孔子は、礼を定めて楽律を作った周公を敬い、「私は周王朝を見習おう」と言った。【2】 また、三皇五帝のひとりである舜(しゅん)について、「(舜は)五弦楽器を発明し、琴の音色に合わせて南方から吹く夏のそよ風を歌った。いやはや、彼は(その良性の音楽を用いて)国をよく治めたのである」と称賛した。【3】

唐王朝の始祖・李世民(りせいみん)が作曲した「秦王破陣楽」は、近隣諸国の部族たちから称賛された。『新唐書』によると、三蔵法師は西方への旅の道中、一国の王から「秦王破陣楽を作曲したのだから、あなたの君主は聖人に違いない」と言われたという。【4】

フランス国王ルイ14世は舞踊と芸術を熱心に取り入れ、宮廷に礼儀と規律をもたらした。舞踊には動きの技術だけではなく、社会的なエチケットや規範までもが含まれていた。多くのヨーロッパ諸国が彼に感化され、フランスの文化と芸術を模倣した。

第3代プロイセン王のフリードリヒ2世は優れた王であると同時に、フルート演奏や作曲など音楽的才能を持ち合わせていた。彼はベルリン・オペラハウスの建設を命じ、自ら指揮したオペラを幅広い社会層に公開した。今日においても、オペラはドイツ文化の貴重な財産である。上記に挙げた例は、正統な芸術が社会に長期的な影響を与えることを物語る。

正統な芸術は自然の法則に則り、神々の智慧に倣い、特殊なエネルギ―をもたらす。それは人間に有益であり、肉体や精神にプラスの作用がある。正統な芸術家たちは肉体的な、あるいは技術的なレベルを磨くだけでなく、もっと重要な、より精神的なレベルで作品と向き合う。彼らは創作を通して、時に物質世界を超えた、高い霊的な啓示を経験する。その作用は、讃美歌で神を称えるような感覚―つまり、人間の言葉を超越した、厳粛で神聖な体験である。

一方、作品を鑑賞する人々にとって、芸術は神々と通じ合うための手段である。芸術の背後には蓄積された人類の智慧、創作力、ひらめきがあり、時に表面には現れない深淵な意味が含まれている。特殊で霊的なエネルギーを発散する作品もある。芸術は、鑑賞する人間の深層レベルにまで作用を及ぼし、その並外れた影響力に匹敵する手段は他にない。

よい芸術家は美しい物語や絵画を創作して人々を感化し、社会全体の道徳や価値観に影響を与える。教育の低い庶民でも、それらの創作物から古来の智慧や教訓をくみ取ることができる。伝統的な西洋社会では、「白雪姫」や「人魚姫」などの民話が正誤や善悪の概念を伝えた。一方、中国の庶民は「四大奇書」、あるいは民話を伝える伝統芸術から多くを学んだ。正統な芸術は天の法則を伝え、神の偉大さを示す。芸術を鑑賞する人間もまた、天の法則に則るよう努力するようになる。

一方、退廃した芸術も堕落した価値観を伝えることができる。ロバート・マッキー(Robert McKee)は、著書『ストーリー』の中で述べている。「すべての効果的な物語は、われわれに強力な概念を投げかけるし、実際、その概念は、信じなければならないと思わせるほど、無理やりに押し付けられる。事実、われわれは道徳的に不快だと感じても、その意味を信じてしまうほど、物語の説得力は強大である」【5】

ポジティブにしろ、ネガティブにしろ、芸術は人類の価値観、思考、行為に対して、とてつもない影響を与える。これは決して誇張ではない。現代社会が多くの研究材料を提供してくれるだろう。

例えば、世界が注目した「モーツァルト効果」という研究がある。モーツァルトの音楽が人間や動物に与える影響について、科学者らが実験した。2016年、「モーツァルト効果」の研究がさらに進み、彼の音楽が人間の認知や行動にポジティブな影響を与えることが分かった。驚くことに、モーツァルトの音楽を反対に弾くと、全く逆の効果があるという。アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schoenberg)の無調音楽もまた、モーツァルトを逆に弾くのと同じ効果があった。つまり、有害な影響があったのである。【6】

無調音楽よりさらにネガティブな影響を及ぼすのがロック音楽である。二つの大都市からデータを集めて研究した科学者によると、テレビやラジオでたくさんのロック音楽が流れる都市では、そうでない都市と比べて、非婚妊娠、学校中退、若者の自殺、犯罪などが50%高いという。【7】 「(ロック音楽の)暗いリズムと陰鬱な歌詞は、明らかに自殺を推進しているかのように受け止められる。この音楽を繰り返し聞くことにより、若者の人生が抹消されることは反証できない事実である」。【8】 一部のミュージシャンは自殺を図り、それがさも合理的であるかのような印象を与える。多くの10代の子どもたちがロックの歌詞通りに自殺を図ることも珍しくない。また、数多くのロック・ミュージシャンが、うつ、薬物乱用、自殺願望などの問題を抱えている。

ネガティブな芸術の例として、レニ・リーフェンシュタール監督(Leni Riefenstahl)の「意志の勝利」(Triumph of the Will)というナチス映画がある。この映画はナチスの独裁を正当化したと批判されているが、当時は、その芸術性が高く評価された。彼女のカメラワークや編集技術は後の映画作品に大きな影響を与えている。

「意志の勝利」を最も成功したプロパガンダ作品のひとつと評する向きも多い。2003年、イギリスのインディペンデント紙は、「多くの賢い男性や女性が(この映画に)魅了され、侮蔑する代わりに尊敬するようになった。ナチスは(映画を通して)世界中で、人々を友人や味方につけたのである」と分析している。【9】

芸術が持つ強大なパワーを認識すれば、伝統的な芸術の重要性が分かってくるだろう。同時に、なぜ邪霊が人類の芸術を破壊し、退廃させているのかの理由も、おのずと明らかになる。

3.共産主義による芸術の破壊と乱用

芸術が社会を変化させる力は絶大である。従って、共産主義が人間を改造するために芸術を利用しているのも驚くにあたらない。

a. 共産主義国家の芸術

共産党は芸術が持つパワーを知っている。彼らは芸術を用いて人々を洗脳し、すべての芸術を洗脳のための道具にする。中国共産党には歌手や俳優の将軍が存在するが、彼らは一度も軍人としての訓練を受けたことがなく、また戦闘経験もない。中国共産党が共産主義カルトを推進するうえで、それらの芸術家たちは訓練された軍人より重要である。毛沢東は、「われわれは文化的な軍隊を持たなければならない。これはわれわれ同胞を団結させ、敵を打倒するのに不可欠である」と話した。つまり、軍の芸術家たちの階級は、党の綱領に則っているのである。【10】

共産主義国家の演劇は、人々が共産党支配のもとで受けた苦痛を忘れ、共産党への忠誠心を養うように巧みに創意工夫されている。このプロパガンダ効果は心理戦とも呼ばれ、軍事力だけで達成できるものではない。

国民の血税を大量に投入して開かれた北京オリンピックの開会式、北朝鮮の大規模なマスゲーム「アリラン祭」、またソ連のバレエ団もすべて、共産党のプロパガンダの道具である。2011年9月、中国共産党文化部は、いわゆる「中国文化の祭」をケネディー・センター(米ワシントン)で開催した。披露したのは、中国共産党式のクラシック・バレエ「女性の赤い分離」で、テーマは階級闘争と共産主義的な暴力である。

神の啓発を受けた価値観を表現する正統な芸術と、共産主義で人々を洗脳する芸術が同時に存在したとき、分が悪いのは明らかに後者である。そのため、すべての共産主義国家は芸術や出版物を厳しく検閲するのである。

b. 共産主義の裏に潜むアバンギャルド(前衛芸術)

古典芸術は何世紀にもわたり、世代から世代へと受け継がれてきた。この伝統は20世紀まで続き、突然の終わりを迎えた。芸術の伝達と継承は革新的な前衛芸術に取って代わられ、退廃が急速に進んだ。ロバート・フロールクザック(Robert Florczak)が述べたように、「深遠な、啓示的な美は、新しく、異なる、醜悪なものに取って代わられた。基準はなくなるまで下げられた。残されたのは、個人表現のみだった」。【11】 この時から、人類は普遍的な美の基準を失った。

アバンギャルド(前衛芸術)の源は、共産主義の影響を受けたイデオロギーの流行である。これらの芸術家たちは生粋の共産主義者、あるいは何らかの共産系信奉者である。

ハンガリーの哲学者で教育文化相を務めたルカーチ・ジェルジュ(Georg Lukacs)は、「西欧的マルクス主義」を唱え、フランクフルト社会研究所(フランクフルト学派とも呼ばれる)を設立した。彼らの課題の一つは伝統文化を捨てて、「新しい文化を構築」し、神を芸術から排除することだった。ドイツ出身の社会主義者で同研究所所長のヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)は、「芸術は(与えられた社会関係に)挑戦し、同時にそれを超越する。それによって芸術は支配的な意識、通常の経験を覆す」と主張した。【12】

つまり、彼らの芸術とは神々への挑戦であり、道徳の破壊だった。このような概念が現代芸術の方向性を決めたのである。

フランスの写実主義者ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)は、パリ・コミューン参加者の一人である。彼はコミューンの委員会メンバーに選ばれ、急進的なコミューン美術委員会の議長を務めた。クールベは古い体制を変革し、新しい芸術の確立に力を注いだ。彼は委員会に対し、新古典主義建築やヴァンドームの円柱を破壊するよう命じた(後に修復された)。クールベは人類が神によって造られたことを否定し、プロレタリアート(労働者階級)の世界観や物質主義を表現することを誓った。彼の有名な言葉は、「私は天使も女神も見たことがない。だから、そういうものを描くことに興味がない」である。【13】

クールベは、芸術の変革が真の革命だと信じていた。写実主義という名のもとで、彼は美と醜悪をすり替えた。例えば、彼の作品には女性の性器を大写しに描いたものがある。これも一つの革命行動であり、伝統に反し、道徳規制を超える行為である。彼は芸術という名目で、共産主義をさらに駆り立てる作品を創作した。彼の人生を見れば、共産主義イデオロギーと現代芸術が密接に繋がっていることが分かる。

現代的な思想の影響で、19世紀後半から革命の熱に浮かれた芸術家たちが芸術界に次々と運動を起こした。アバンギャルドを広げ、はっきりと伝統から決裂した。「アバンギャルド」(avant-garde)とは、社会主義学者たちがつけた呼び名である。その芸術感覚が彼らの政治的野望にぴったり一致したのである。

19世紀末、これらの芸術運動が印象派を生み出した。その頃から、現代芸術家たちは伝統的な油絵の基準を捨て、精度、比率、構成、遠近法、明暗の配分などを無視するようになった。新印象派、ポスト印象派が後に続き、画家たちは自分の感覚の追及を作品の主題とした。この画風を提唱した主な人物はジョルジュ・スーラ(Georges-Pierre Seurat)、フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)で、二人とも社会主義者である。【14】 ゴッホはアブサン中毒で精神を病んでいたが、彼の作品にもその影響がうかがえる。

芸術家は作品を通して彼のメッセージを伝え、鑑賞者と交流する。ルネッサンス最盛期の芸術家たちは、鑑賞者たちに善と美を伝えた。一方、現代芸術家たちが伝えているのは、ネガティブで暗いメッセージである。現代芸術家たちは自分の意識を捨て、低次元の霊体に操られているため、支離滅裂で混乱している。彼らの作品は暗くネガティブで、灰色で霞がかり、陰鬱で退廃的、また無秩序である。

印象派の次に現れたのは、表現主義とフォーヴィスム(野獣派)、またピカソを代表とするキュビスム(立体派)である。1944年、ピカソはフランス共産党に入党している。彼は手紙に、「共産党への入党は、自分の人生において合理的なステップであり、また意味のあることだ…しかし、抑圧と暴動の間、私はそれでは不十分であり、絵で戦うのみならず、自分の全生命をかけて戦わねばならないと感じた」と綴っている。【15】

ピカソは古典的な画法からの決別を奨励した。彼はあらゆる事物を自由に選択し、造り変えて表現した。作品が不気味になるほど彼は喜んだ。化け物のようなイメージを造る過程は、そのイメージを破壊していく過程であり、最終的にはそれが何なのか誰も理解できない。ピカソと共にキュービズムを確立した画家ジョルジュ・ブラック(Georges Braque)でさえ、ピカソの作品「アビニヨンの娘たち」を嫌い、ピカソが石油をがぶ飲みし、キャンバスに火を吹いたに違いないと揶揄している。【16】

ダダ運動(既成の秩序や常識に対する否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする芸術運動)の中心的人物であるマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)は、伝統を否定し、「レディ・メイド」と称する、既成品に手を加えただけの作品を発表した。その後、既製品を再利用して空間を構成・異化させ、空間全体を作品とする「インスタレーション」が生まれた。デュシャンはコンセプチュアル・アート(概念の芸術)の始祖と崇められ、あらゆる物体を利用した作品が「芸術」と称された。ダダ運動自体は、共産主義プロジェクトの一つである。ベルリンのダダイスト(ダダ信奉者)たちは宣言書の中で、「創造的で知的な男女による国際的な革命組合」を呼びかけ、「早急な土地収用」と、「ダダイストの性センターを設立し、ダダイズムの観点に沿った、すべての性的関係に関する早急な法整備」を訴えている。【17】

ダダの伝統否定は、そのままフランスのシュルレアリスム(超現実主義)に引き継がれた。その代表的人物はアンドレ・ブルトン(André Breton)であり、彼も共産主義者である。彼は理性、文化、社会による抑圧を否定し、当時ヨーロッパに多かった典型的な芸術家である。これらの芸術運動は、抽象芸術、ミニマリズム(最小限主義)、ポップ・アートにまで波及した。抽象芸術とは、反乱、無秩序、虚無、現実逃避といった自己の感情を表現する手法である。これらの学派はポストモダン(脱近代主義)と呼ばれ、すべての規制、理論、道徳を覆すものである。【18】 彼らが創作した聖母マリアを貶める作品は、すでに彼らの芸術感覚が常軌を逸していることを物語る。【19】

すべての現代芸術家が共産主義を支持しているわけではない。しかし、彼らは神を否定し、神を排除した人生観を主張していることから、彼らと共産主義は非常に似ているのである。彼らの「イズム」(~主義)は芸術分野から一般社会へと浸透し、古典芸術が排除された。

c. 伝統的な美を逆転させる―醜悪な芸術

さまざまな現代芸術の流派が発展したが、それらにはいくつかの共通点がある。つまり、従来の美を逆転させ、醜悪なものを美しいとみなし、美しいものを排除するという点である。彼らはあらゆるゾッとするような作品で人々に衝撃を与える。

マルセル・デュシャンは男性用便器に自分の名前を署名した「泉」と称する作品をニューヨークで出展する予定だった。この作品は展示されなかったが、多くの芸術家たちが彼の意図に賛同し、彼の創造性を「芸術的である」ともてはやした。これが現代芸術界の実状であり、古典的な画法が排除されているゆえんである。

その後、インスタレーションが流行した。1958年、フランスのイヴ・クライン(Yves Klein)がパリのイリス・クレール画廊で「空虚」(Void)展を開催した。画廊内は真っ白の壁のみで、全くなにも展示されていなかった。

1965年、アバンギャルドとして知られるドイツのヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)は、ハチミツと金箔で頭を覆い、死んだ野うさぎを担ぎ、立てかけた絵の内容を野うさぎに教える『死んだうさぎに絵を説明する方法』というパフォーマンスを披露した。3時間、ウサギの死骸を腕に抱きながら、ブツブツとつぶやくだけである。彼を見れば、誰でも「芸術家」になれるだろう。ある逸話によると、彼は観客から次のように言われた。「貴方は太陽の下にあるすべてについて話している。ただし、芸術を除いてだ!」すると、彼は言った。「太陽の下にあるすべてが芸術だ!」【20】

1961年、アバンギャルドの一人として知られるイタリアのピエロ・マンゾーニ(Piero Manzoni)は、自身の排泄物の缶詰90個を「芸術家の糞」と名付け、当時の金30グラムの相場で売り出した。2015年、缶詰の一つがロンドンのオークションに出品され、182,500ポンド(24万米ドル)の高値がついた。また、彼は裸婦の臀部に署名し、「生きた彫刻」(Sculture viventi)と称したことでも知られる。

中国では、全裸の「芸術家」がハチミツと魚油を体中に塗りたくり、ハエを呼び寄せた。身体を冒涜するそのパフォーマンスは、人生が安っぽく、醜悪で、嫌悪すべきものというメッセージを発散している。

BBCはドキュメンタリー番組「Beijing Swings」の中で、極端な中国人アーティストを紹介した。彼のパフォーマンスには、胎児の死骸を食べるという行為が含まれていた。番組の司会を務めたヴャルデマー・ヤヌシャック(Waldemar Januszczak)は、「中国は常軌を逸した、世界一陰惨な芸術を演出している」と伝えた。【21】 実際、これは邪悪な心理を追及した結果である。一部の現代芸術家たちの行為は汚らわしく、恥ずべき産物であり、一般人の許容範囲を遥かに超えている。これらアバンギャルドの行為は、芸術世界の文化大革命といえよう。

現代主義を信じる人々にとって、この風潮は極めて自然なことのように感じるだろう。しかし、苦しい鍛錬を重ねて技術を習得した正統な画家にとっては、辛い時代である。イギリスの新古典主義の画家ジョン・ウィリアム・ゴッドワード(John William Godward)は、ピカソの現代的な作品に押されて人気を失い、1922年に自殺した。「世界は自分とピカソがいるには狭すぎる」と書かれた遺書があったと伝えられている。【22】

音楽も同様に破壊されている。正統な音楽には音楽理論と秩序がある。音階、音程、旋律はすべて、調和のとれた自然なパターンを紡ぐ。神々が創造した宇宙は調和している。人類もその調和に感謝し、宇宙の一部となって美を創造できる。なぜならば、人間も神によって創造されたからだ。

現代の無調音楽は、調性、和音、旋律を否定し、構成が無秩序である。このような音楽は、神が与えた古典音楽に対する反逆である。無調音楽は宇宙のハーモニー(調和)に反するため、多くの聴衆はそれを聞いて不快に感じる。美的感覚を失った現代の音楽家たちは、聴衆もこれらの音楽に慣れたら楽しく感じると吹聴する。

現代音楽家のアルノルト・シェーンベルクは、「十二音技法」を創始した。これは基本的に無調音楽の構成であり、古典音楽への反乱だった。当時、シェーンベルクの音楽はドイツ音楽文化の否定であり、味わい、音感、伝統とすべての美的感覚に対する裏切りとみなされた。彼の音楽はドイツ人から「コカイン」と侮蔑された。「シェーンベルクを演奏するということは、コカインを提供する居酒屋を開くに等しい。コカインは毒である。シェーンベルクの音楽は毒である」。【23】 後の音楽評論家は彼について、「死後50年が過ぎても、(彼の音楽は)地球上のいかなる公会堂をも空席にする。彼が達成した偉業の大きさがそれで分かるだろう」と酷評している。【24】

シェーンベルクの音楽を世界的に有名にしたのは、音楽評論家でフランクフルト学派の重鎮、テオドール・アドルノ(Theodor W. Adorno)である。1949年に出版したアドルノの著作『新音楽の哲学』(Philosophy of Modern Music)の中で、シェーンベルクが発案した「十二音技法」を哲学的に説明し、作曲の最高峰だと称賛した。彼の理論は後代の作曲家や批評家にも受け入れられた。【25】 徐々に、多くの音楽家たちがシェーンベルクを模倣するようになり、彼のアバンギャルドなスタイルが20世紀後半の音楽界に強い影響を与えるようになった。

現代音楽が伝統を破壊した後、アバンギャルドはロック音楽を持ちあげ、クラシック音楽を人々の生活から排除した。アメリカ共産党メンバーで音楽評論家のシドニー・フィンケルステイン(Sidney Finkelstein)は、クラシックとポップ音楽の境界線を取り払うべきだと公に述べている。【26】 同時期、強烈なリズムのロック音楽がアメリカで大流行し、クラシックや伝統音楽は排除された。【27】

ロック音楽の特徴は、無調の音、バラバラの構成、強烈なリズムとビート、扇情的な対立と矛盾―つまり、共産主義の「階級闘争」に非常に似ている。古代中国の歴史書『史記』は、音が道徳に一致した時、初めて音楽と呼ぶことができると説く。一方、多くのロック歌手の生涯は、セックス、暴力、麻薬のオンパレードである。

ロックの後にやってきたのは、アメリカで人気を博したラップである。ラップ音楽の歌詞は侮蔑的で卑猥な言葉にあふれ、麻薬、暴力、罵倒、淫乱で伝統と社会に反抗する内容である。【28】 社会全体の道徳が堕落すれば、以前は「サブカルチャー」(二流文化)と呼ばれたジャンルが広く受け入れられるようになり、ついには主流音楽に祭り上げられる。由緒あるコンサート・ホールが、彼らにパフォーマンスをお願いするくらいだ。

これまで、現代の芸術と音楽の状況に焦点をあてて論じてきた。実際、現代的な芸術運動が芸術界に与えた打撃は計り知れず、伝統的な概念、手法、技術から大幅に逸脱した。影響を受けたのは、彫刻、建築、舞踊、装飾、デザイン、写真、映画などに及ぶ。現代芸術に携わる人々は、共産主義イデオロギーの強烈な影響を受けている。例えば、モダンダンスの祖と呼ばれるイサドラ・ダンカン(Isadora Duncan)は、バイセクシャル(両性愛)で無神論者だった。彼女はバレエを嫌い、醜くて不自然だと言った。彼女と100人の生徒たちはモスクワで「ザ・インターナショナル」というダンスをレーニンのために披露した。【29】

なぜ伝統から逸脱した芸術が流行し、主流となったのか。それは共産主義が、神が与えた伝統芸術を破壊したからである。もちろん、陰謀が働いていることは、表面には現れてこない。社会全体が受容しているから、自分もそれに乗っかっているだけかもしれない。誰かがもっともらしい理論を述べれば、すべては「芸術」になるのだから。

アバンギャルドと伝統的な芸術を詳細に比較すれば、その違いは明らかだろう。ルネッサンス期の芸術は神を称賛するだけでなく、その多くは人間の心に宿る誠実や善良を表現し、真の美を追求している。これらの芸術が社会全体の道徳を維持する役割を果たしていた。

一方、アバンギャルドの変異した芸術は、ルネッサンス期の成果をことごとく覆した。これらは人々を醜悪へと引きずり込み、それを見た人間の心にも邪念を生じさせる。陰惨、退廃、堕落、暴力、邪悪などのネガティブな思考が優勢になる。神を冒涜する今日の風潮は、ますます人々を神から遠ざける。人々は自身に宿る神性を失い、社会との繋がりを絶ち、伝統的な文化や道徳から切り離されていく。【30】

d. 倒錯した文学

文学は特殊な芸術の形態である。それは言語を利用して神が与えた智慧を人類に示し、人類の歴史や貴重な経験を伝える。古代ギリシャの長編叙事詩『イーリアス』(The Iliad)と『オデュッセイア』(The Odyssey)はトロイア戦争の頃の複雑な歴史を綴り、ギリシャの神々と人間のやり取りが生き生きと描かれている。叙事詩で語られているのは、勇気、寛容、智慧、正義、節制などの美徳である。これらが後のギリシャや西洋文明の価値観を形成する源となった。

文学は人々に対して強烈な影響を与える。邪霊は富と名声に溺れやすい人間を選び出し、共産主義イデオロギーに満ちた文章を創らせた。これらの作品は伝統に反し、道徳を破壊する。悲観主義、混乱、人生に対する消極的で無感覚な態度が描かれる。文学は悪魔が世界を支配する上で重要な道具である。

一部の著名な作品は、公然と共産主義イデオロギーを推進する。パリ・コミューンが鎮圧された後、コミューン・メンバーの詩人ウジェーヌ・ポティエ(Eugene Pottier)は「インターナショナル」を作詞した。この革命歌は、「もともと救世主などいないし、神や皇帝に頼ることもできない」と呼びかけ、「旧世界を打ちのめせ!」と訴える。これは、第一、第二インターナショナル、および中国共産党の党歌であり、共産党の集会などで歌われたり、共産党の出版物に掲載されたりする。

ソビエト連邦と中国共産党は、人々を洗脳するために伝統的な手法を使ってプロレタリアートの人生や階級意識を描くよう知識人たちに指示した。この手法で、共産党のイデオロギーと政策を人々に植えつけた。ソビエト小説『鉄の洪水』や、『鋼鉄はいかに鍛えられたか』、また中国では『若者の歌』『太陽は桑乾河を照らす』などたくさんのプロパガンダ作品が生まれ、絶大な影響力を発揮した。共産党はこれらの作品を「社会主義リアリズム」と呼んだ。毛沢東はこの種の作品を「労働者、農民、軍人に奉仕し」しており、「プロレタリアート(労働者階級)に奉仕している」と称賛した。【31】 文学がイデオロギーを植え付ける力は絶大であり、十分に理解されている。しかし、共産主義が文学を利用して人類を破壊する手法は、これだけに留まらない。

下記は、共産系の文学が与える主な悪影響である。

文学を利用して伝統を破壊する
人類を破壊する最初のステップは、神が人類に与えた伝統文化を中傷することである。中国でも西洋でも、共産主義の邪霊は現代的な思考を持つ知識人を利用して伝統文化を歪曲し、侮辱した。

中国で新文化運動が起こった頃、作家の魯迅(ろじん)は伝統を激しく批判し、中国の古めかしさをこき下ろした。彼の最初の小説『狂人日記』に登場する主人公は、中国全体の歴史を「食人文化」と中傷した。毛沢東は魯迅を熱烈に称賛し、「(彼は)最も偉大で勇気のある、新文化運動の象徴」であり、「中国の文化革命の指揮官である」と述べた。さらに毛は、「(魯迅が)たどった道のりは、中国の新文化運動の道である」と言った。【32】

1909年、ヨーロッパではイタリアの詩人マリネッティ(Marinetti)が『未来派宣言』を発表し、伝統に対する完全な否定を主張し、機械、科学技術、スピード、暴力、競争を賛美した。ロシアの詩人で共産主義者のウラジーミル・マヤコフスキー(Vladimir Mayakovsky)は、1913年に詩集『社会の趣味への平手打ち』(A Slap in the Face of Public Taste)を出版し、ロシアの伝統文学と決別すること表現した。

醜悪な描写を「現実」と主張し、自己弁護する
今日、多くの作家や芸術家は、醜悪で奇怪なおぞましい光景をふんだんに描写する。彼らは単に事実を表現しているだけだと言い訳をする。

伝統的な芸術が伝えたのは、調和、品格、明快、節制、礼儀、バランス、宇宙、理想である。一方、現代の芸術家にとって、それらの作品には現実味がない。この概念こそが、芸術に対する大きな誤解である。芸術は日常に由来するが、日常を超越し、喜びと啓蒙の役割を持つ。そのため、芸術家は創作の過程で選択し、精錬し、加工する必要がある。盲目的に「現実主義」を追及すると、芸術と生命の間に不自然な境界線が生じる。この完全な現実主義が芸術となるならば、われわれを囲むあらゆる事象が芸術となる。それならば、時間とお金をかけて芸術家を育てる必要があるだろうか?

文学を通じて道徳を破壊する
昨今の流行りは「真の自分を表現する」「意識の流れ」などの言葉である。人々は伝統的な道徳基準を放棄し、人間に潜む邪悪な側面に溺れるようになった。例としては、フランス共産主義者で詩人のアンドレ・ブルトン(André Breton)である。彼は、『シュルレアリスム宣言』を発表し、彼の新しい文学を次のように定義した。「心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり」【33】

心理学者が提唱した「意識の流れ」は、その後、シュルレアリスム信奉者たちの「自動記述」に転用された。ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)の精神分析学の影響を受け、欧米の一部の文学家たちは20世紀初め頃から意識の流れによる記述スタイルを試みるようになった。このような文章は話の筋が単純で、取るに足らない登場人物(主にヒーローと正反対の性格)の内的な思考を文章化し、自由な発想で物語を構成する。

人間は、善と悪の両方の性質を併せ持つ。自己をコントロールし、道徳基準を高め、継続して徳を養うのが人生である。現代社会では、大勢の人々が邪念と欲望に占拠されている。それらの悪をコマーシャル化して大量消費させるのは、社会を汚染しているに等しい。

「批判」や「抗議」という言葉を乱用し、人間の悪の部分を解放させる
反伝統の影響下にある欧米社会の小説家や芸術家にとって、道徳規範や法律はすべて「制限」であり、「抑圧」である。もちろん、現代社会は人間の脆弱さによる問題が山積している。しかし、欧米の創作家たちがそれらの社会問題に対処するやり方は理性的ではない。彼らは批判や抗議という形で極端な個人主義を掲げ、自分たちの欲望に耽ることを正当化する。彼らの作品は、憎しみ、怠惰、欲望、淫乱、闘争、名利にあふれ、堕落した手法で「抗議」し、一方で人間の悪の部分を増長させている。彼らのやり方で道徳的な自己抑制を外しても、社会問題を解決することはできず、より一層悪化させるだけである。

1960年代に流行したカウンターカルチャー(対抗文化運動)の象徴は、アメリカの詩人アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg)である。彼はビート文学の代表者の一人として、今日に至っても社会に抗議する人々から愛されている。彼は詩集『吠える』(Howl)の中で、アル中、淫乱、麻薬、性的倒錯、自傷行為、売春、ストリーキング(全裸で公共の場に現れること)、暴力的な攻撃、略奪、放浪、狂乱などの極端に退廃した世界を表現した。カウンターカルチャー運動が流行すると、『吠える』は、高尚な傑作と評され、さまざまな文学作品に取り入れられるようになった。ギンズバーグは自身について、若い頃は共産主義者であり、それについて後悔していないと告白している。【34】 彼はフィデル・カストロ(Fidel Castro)を始めとする共産主義のリーダーたちを崇拝し、同性愛や小児性愛を広く推進した。共産主義と極端な個人主義は根本的に共通点が多く、ギンズバーグはそれの象徴だといえる。

文学を通じてポルノを拡散する
20世紀初頭から、露骨な性的描写を含む文学作品が現れた。一部の作品は猥褻な内容であふれているが、今では古典の名作と祭り上げられている。多くの評論家や学者たちが道徳的な責任を放棄し、それらの猥褻な作品を傑作だと褒めちぎる。禁欲は古くから伝わる道徳観だったはずだ。道徳的な規制を外し、高尚だ、本物だと理由づけしても、それらの作品は社会道徳を害するだけである。

文学を通じて人々を非人間化する
過去数十年の間に、文化はより混乱した。怪奇小説やミステリー、超自然現象、ファンタジー(空想)などさまざまなジャンルが誕生した。低次元の悪霊は、それらの作品を通して人間の心と体を支配する。制御された人間は、徐々に人間らしさを失っていく。

「3尺の氷が張るのは1日の寒さによるものではない」という諺がある。あらゆるデタラメな作品が長い年月をかけて織り交ざり、文学は今日のレベルにまで堕落した。悪魔にとって、文学は人間を堕落させる便利な道具である。ロマン主義(恋愛主義、民族意識の高揚など)が文学の幅を広げ、人々の細かな生活を描写する一方、見苦しくて奇怪な現象、特に異常な人間心理を表現する作品が注目されるようになった。あるイギリスのロマン派詩人は、その内容があまりにも不道徳であることから、「悪魔派」と称されている。

写実主義(リアリズム)は、現実を直視するという名目で、人間の悪の部分を表現する。一部の作品は、歪んだ思考と不道徳な行為を強調する。ある専門家は、現実主義を「四つんばいで歩くロマン主義だ」と批判した。【35】 フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)は、人間の道徳が堕落する原因を、社会環境と家族の遺伝であると説明した。個人の道徳的責任を取り払うことが、道徳の堕落に繋がるのである。また、「芸術のための芸術」を表明する耽美主義は、教訓的・道徳的・実用的な要素を切り離し、より官能の享楽を追及した。

実際、すべての芸術は、人間の道徳観念に微妙な、深遠な、長期的な影響を及ぼす。芸術の道徳的責任を否定するということは、不道徳への扉を開いたのと同じである。もちろん、さまざまな芸術の中には傑作もあるだろう。しかし、とんでもない駄作が交じっていることは確かである。堕落した文学の流行は人間が堕落したから生まれたのであり、共産邪霊の手によるものだとは言わない。しかし、このネガティブな文学は明らかに、共産邪霊に扉を開き、共産主義のイデオロギーを拡散する役目を果たした。

文章には著者の道徳水準や心理状態が如実に現れる。人類社会全体の道徳が滑落している今日、多くの著者がネガティブな思考に支配されて作品を書いている。その結果、著者は人々の心に善を呼び戻すどころか、彼らを地獄へと引っ張っているのである。

結論

芸術が持つ力は強大である。良質な芸術は人間の心を正し、道徳を高め、陰陽のバランスを保つ。偉大な傑作は人間を神々や天地と繋ぐ役割を果たす。

過去数世紀の間に、共産邪霊は人間の悪の部分につけ込み、膨大な種類の「芸術」を推進した。人々は神に反逆し、神を冒涜するよう誘導された。伝統に反し、道徳を反転させた。その結果、大部分の社会は悪魔化した。現代の堕落ぶりは、われわれの先人たちを仰天させるだろう。

伝統的な芸術の美しさに比べ、現代芸術は非常に醜悪である。人類の美の基準はことごとく破壊された。アバンギャルド芸術が主流となり、巨額の金を動かしている。一方、伝統的で高貴な芸術は嘲笑の的である。操られた芸術は、人類の欲望と邪念を発散するはけ口となった。

美と醜、優美と卑俗、善と悪の境界線がぼやけ、抹消された。気味の悪い、混乱した陰鬱な思想が、従来の普遍的な価値観に取って代わった。人類社会は邪悪なメッセージに覆われ、人間は退廃と破壊の道へ進むよう操られている。

もし人類が道徳観念を高め、信仰と伝統に立ち戻れば、われわれは芸術の新たなルネッサンスを迎えることができる。それによって初めて、われわれは真の芸術が何であるのかを理解する。輝かしい真の美と高潔さに触れ、それを目にすることができるだろう。

参考文献

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【引用元】
https://www.epochtimes.jp/p/2019/09/39670.html

【序章】
【第一章】 人類を壊滅する邪悪の陰謀
【第二章】 始まりはヨーロッパ
【第三章】 東側での大虐殺
【第四章】 革命の輸出
【第五章】 西側への浸透
【第六章】 神に対する反逆
【第七章】 家族の崩壊
【第八章】 共産主義が引き起こした政治の混乱
【第九章】  共産主義がしかけた経済的な罠
【第十章】 法律を利用する邪悪
【第十一章】 芸術を冒涜する
【第十二章】 教育の破壊
【第十三章】 メディアを乗っ取る
【第十四章】 大衆文化―退廃と放縦
【第十五章】 テロリズムのルーツは共産主義
【第十六章】 環境主義の裏にいる共産主義
【第十七章】 グローバル化の中心は共産主義
【第十八章】 中国共産党のグローバルな野望
【おわりに】