「馬三家からの手紙」完成直前に謎の死を遂げた主人公

人権

「馬三家からの手紙」は2018年9月からNHK「BS世界のドキュメンタリー」で、再放送を含め6回も放映された衝撃の作品。中国・瀋陽の「馬三家労働教養所」に収監された「法輪功」のメンバー、孫毅(スン・イ)が、その過酷な拷問や弾圧、釈放後も続く監視、嫌がらせなど、自身や法輪功メンバーに対する人権侵害の実態を告発する作品である。孫毅と二人三脚で作品を作り上げ、2020年の日本上映にあわせて来日した中国系カナダ人のレオン・リー監督に、映画の中ではほとんど触れられていない主人公・孫毅の死をめぐるミステリーについて、野嶋剛氏が詳しく話を聞いた。

完成直前「謎の死」を遂げた主人公(ディリー新潮より)

中国・瀋陽の「馬三家労働教養所」(以下、馬三家)に収監された「法輪功」のメンバー、孫毅(スン・イ)が、その過酷な拷問や弾圧、釈放後も続く監視、嫌がらせなど、自身や法輪功メンバーに対する人権侵害の実態を告発する作品だ。

2012年、米オレゴン州の女性が購入した中国製のおもちゃの箱から、英語で書かれた手紙が見つかった。馬三家の実態を訴えるSOSで、世界で大きな反響を呼び、中国の労働教養制度の廃止にもつながった。

この手紙を馬三家での作業中に輸出用のおもちゃの箱に隠した人物こそ、本作の主人公・孫毅である。

彼は石油会社の資源探査が専門のエンジニアで、学歴も高く、英語も堪能だった。しかし、中国で「邪教」として弾圧されている法輪功を修めたことで、馬三家に送られてしまう。

2010年に釈放された後も、監視と拘束が断続的に続き、映画制作の過程で、身の危険を感じて中国からインドネシア・ジャカルタに亡命したが、映画が完成する前に突然の不審死を遂げた。

孫毅と二人三脚で作品を作り上げ、日本上映にあわせて来日した中国系カナダ人のレオン・リー監督に、映画の中ではほとんど触れられていない主人公・孫毅の死をめぐるミステリーについて、野嶋剛氏が詳しく話を聞いた。

*一部映画の内容を含みます

「同じリスクなら映画を撮ります」

野嶋剛 映画の中では、孫毅と監督の対話も描かれていますね。最初は監督から彼に接触したのですか。

レオン・リー そうです。

2012年の年末、米国のニュースで孫毅の手紙が報じられました。悪名高い馬三家のことは知っていましたが、驚いたのは、その馬三家の内部から密かに手紙を出し、遠く離れた米国の女性が受け取ったというプロセスです。手紙を書いた人にどうしても会いたくなりました。

とはいえ、それは海の中の針を探すようなもので、ジャーナリストや活動家など、中国の知人たちに探してもらいましたが見つかりませんでした。

それから3年が経過し、諦めかけたときに、「見つかった」と連絡が入ったのです。信じられませんでした。最初はSkype(スカイプ)を通して彼に話を聞き、筆跡も確かめて、本人だと確認できました。

野嶋 映画に出ることは当然、孫毅に大きなリスクが生じます。本人は出演を最初からOKしていたのですか。

リー 私が「あなたの話を映画にしたい。ですが、あなたの安全に影響する心配もあります」と言うと、孫毅はこう答えました。

「私はいま法輪功のチラシを作り、法輪功を学ぶ人々をサポートしています。映画を撮って捕まっても、チラシ作りで捕まっても、結果は同じです。同じリスクならば、私はあなたを信じて映画を撮ります」

それで作品を撮ることになったのです。

古い友人のような感覚

野嶋 監督は、彼と何度会いましたか。

リー 1度だけです。映画にも出てきますが、亡命先のインドネシアで会いました。私はブラックリストに載っているので、中国には行けません。それまではSkypeでの対話でした。

野嶋 孫毅とインドネシアで会った時はどんな会話をしましたか。また、監督の彼に対する印象はどうでしたか?

リー 初めて会ったのに、古い友人のような感覚を抱きました。作品制作のために、パソコンの画面を通してずっと話し合ってきましたからね。

孫毅は本当に温かみのある人でした。インドネシアは暑くないか、慣れないところはないか、何を食べたか、撮影チームのみんなは大丈夫かと、とにかく気を配ってくれるのです。優しい兄のように感じられました。

映画の中で、手紙を受け取った米国人の女性がインドネシアに来ます。孫毅は彼女に花束を渡しましたが、撮影の前の晩にこう言うのです。

「アイヤー、花を買いにいかなきゃ。遠い所から会いに来てくれるのだから」

孫毅はインターネットで「友情」を意味する花言葉の花を探しました。ところが、その花がとても高くて、100米ドルぐらいしたのです。

私が「映画の予算から出します」と言っても、「このお金は私が出さないといけない。自分に会いに来てくれるのだから」と聞きません。彼はそんな人でした。

「家で死んでくれ」という警察の意思

野嶋 孫毅は2016年の亡命で、どうしてインドネシアを選んだのでしょう。

リー 当時、彼は再び拘束されて体調をひどく崩していました。警察は、彼が拘置所で死ぬことによって責任を問われたくないので、一時的に釈放したのです。「家で死んでくれ」という警察の意思でした。

我々は、釈放の一瞬のチャンスにかけて彼を救い出そうとしました。ただ、外国のどこへ行くのかという問題がありました。条件の1つは、中国旅券の保持者がビザ免除で行けるところか、空港でビザ取得ができるところ。もう1つの条件は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)があるところです。そうでないと、彼は追放されてしまいます。

じっくり考えて、インドネシアを選択しました。幸い、警察は彼がもうすぐ死ぬと信じていたようで、手配はされていませんでした。北京を避けて、他の都市の空港を使って出国しました。

野嶋 映像で見る限り、福建省アモイの空港ではないですか?

リー そうです。インドネシアへ、アモイから直行便が飛んでいました。同時に私たちはジャカルタのUNHCRに連絡し、保護証明を取得させました。彼の出国の成功は幸運でしたが、冷や汗ものでした。

孫毅に接触した謎の人物

野嶋 ですが、彼のインドネシアでの時間は短いものでしたね。

リー 1年にも満たないものでした。

野嶋 映画の最後にこんな字幕が出ます。
「謎めいた状況で孫毅は突然死 急性腎不全とされた」

映画では多くを説明していません。

彼は体調不良でしたので、病死の可能性もあるわけですが、監督は死因についてどう考えていますか。

リー 私個人の意見としては、彼の死には疑問が多く残ると思っています。

彼が生前に話していたことですが、ある日、見知らぬ中国人が会いに来て、「余計なことを言うな」「リー監督と接触するな」と言い残して去って行ったそうなのです。この人物は孫毅に「自分はスパイだ」とも言ったそうです。

でも、信じられません。スパイは自分のことをスパイだとは言いませんから。一種の警告ではないかと思います。どこに行っても、逃げ切れると思うなよ、というメッセージです。

この人物の名前や背景について、私たちが調査したところでは、中国政府の諜報機関の人間ではないかと判断しています。国家安全部系統なのか総参謀部系統なのかまではわかりませんが。

野嶋 この人物が孫毅に接触したのは、監督が会った後ですか。

リー 私と会う前後に一度ならず接触していたようです。最初ははっきりとしたことは言わなかったそうですが、私と会って撮影した後にまた接触し、今度ははっきりと警告的なことを言いました。

疑わしいことが多すぎる

野嶋 そのあと、孫毅はどうなったのでしょうか。

リー 2017年3月に撮影が終わり、半年後に孫毅は亡くなりました。突然体調が悪化し、入院してすぐに危篤になり、息を引き取りました。

野嶋 最後に監督と連絡を取ったのは?

リー 彼が体調を崩した後、すぐに携帯に電話をしましたが、孫毅は私が誰かも分からないようで、記憶に問題が生じているようでした。意識ははっきりしているのに、「お前は誰だ?」と私に言うのです。彼の周囲の人間も「孫毅の意識ははっきりしているが、記憶が失われている」と話していました。

野嶋 遺体の検証もなかったようですね。

リー 彼の死後、家族も我々も解剖をして欲しいと要求していたのですが、交渉中に突然、火葬されてしまったと連絡が入りました。病院は「家族の求めです」と言うのですが、家族はそんな要求をしていません。解剖を求めていたのです。最後は訳がわからない状態でした。疑わしいことが多すぎます。

野嶋 孫毅の手紙を受け取った米国女性は、彼の死をどう受け止めていましたか。

リー 彼女に孫毅が亡くなったことを伝えると、信じられないと、しばらく言葉を失っている様子でした。

野嶋 中国に残っていた妻は?

リー 安全上の問題から、私と孫毅の妻は連絡を直接取っていません。間接的に聞いたところでは、非常にショックを受けていたそうです。その後、インドネシアに来て、孫毅の遺灰を中国へ持ち帰りました。

野嶋 監督自身は、彼の死の知らせをどう受け止めましたか。

リー その頃、作品の編集をずっと続けていましたので、質問が浮かべば彼にメッセージを送る習慣がついていました。動画をつくっていれば「どんな景色だった?」と聞いたり、「椅子はどんな形だった?」と聞いたり。彼のリアクションはとても速くて、すぐに返事をくれました。

ある日、いつもと同じように疑問が湧き、彼に質問を送ろうとして、すでに彼がもうこの世にいないことを思い出しました。とてもつらいことでした。

「Justice prevail over evil」

野嶋 インドネシアで孫毅と過ごした時のことを聞かせてください。

リー 一緒に過ごしたのは2週間だけでした。またいつでも彼に会えると思っていましたから。今ではもっと一緒に過ごせばよかったと後悔しています。インドネシア滞在中は毎日、いろいろな撮影があって、ゆっくりは話せなかったのです。

出発の日、午前中に彼の最後の撮影をしたのですが、飛行機のフライト時間が迫っていました。撮影場所のベランダで、最後に彼にこれまでの経験について、どう思うか質問をしたのです。

彼は涙を流して何も話せなくなりました。

私が「いいよ、いいよ、今日はもう撮影をやめよう、出発しないといけない」と言ったところで、彼が「一言だけでいいから」と言って、突然、英語で話し始めたのです。

それが、映画のラストのセリフになりました。

野嶋 あの「Justice prevail over evil(正義は悪に勝つ)」ですね。

リー そうです。彼の言葉を撮って、すぐに出発したのです。彼は撮影場所の玄関で、タクシーで走り去る我々を見送ってくれました。それが彼の最後の姿になるとは……。

野嶋 なぜ孫毅は英語で語ったのでしょう?

リー 彼に、観客に対してメッセージを伝えて欲しいと頼んでいました。映画が中国の外で上映されると知っていたのでしょう。

野嶋 こんなことを聞くのは心苦しいのですが、自分の作品が彼の運命を変えてしまった、そんな思いはあるでしょうか。

リー 考えたことは、もちろんあります。もしこの映画を撮っていなかったら、どうなっていただろうかと。

しかし、こうなってしまった以上、「もし」を考えるよりも、作品をできるだけ多くの人に見てもらえるよう良いものにしていくしかないと、考えることにしました。

彼の願いは1つ。中国政府による理不尽な人権侵害を終わらせることです。

私は、孫毅の願いをこの作品で応援したい。いまはそれだけです。

公式HP  https://www.masanjia.com/

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野嶋剛
1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社。2016年4月からフリーに。最新刊は「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com。

【引用記事】ディリー新潮(2020年3月28日)