中国共産党による法輪功への残酷な迫害は、1999年7月に始まった。
そして今年、迎えるお正月はその迫害が続いてから26回目となる。
この長い年月のあいだに、無数の家族が引き裂かれ、友人を失い、人生を奪われた人々がいる。彼らが今、どれほどの喪失と痛みを抱えて生きているのか――その重さを思うと、胸が締めつけられるばかりだ。
一刻も早く、法輪功学習者に自由と尊厳が戻ることを願わずにはいられない。
長年続く迫害の中で、ひとつの家族に何が起きていたのか――残酷な迫害を受けながらも、屈することなく、家族として必死に寄り添い、真実を語り継ごうとする人々がいる。ここに記すのは、そのひとつの家族が背負わされた、決して消えることのない深い悲しみと苦しみの記録である。
広東省茂名市の黎亮氏は、2003年5月、610弁公室(法輪功を迫害するための超法規的な秘密組織)に不当に連行され、広東省三水労働教養所に不当に収容された。そこで残酷な迫害を受け、病院での救急処置もむなしく、同年11月26日に無念の最期を迎えた。
以下は、妻が語った夫・黎亮氏が迫害により命を奪われるまでの全過程である。
夫は法輪功を始める前、重度のB型肝炎を患っており、毎年のように入院治療が必要な状態だった。常に薬が手放せず、食事にも多くの制限があり、食べられないものも多かった。
1998年旧暦の8月に法輪功を始めてから、夫の病気は治り、それ以降は一度も病院に行かず、薬も一粒も飲まなかった。食事の制限もなくなり、人柄も穏やかになり、精神状態も良くなった。
1999年7月20日、夫は法輪功を実践しているというだけで、警官に不当に連行され、その後、自宅が強制的に家宅捜索され、すべての法輪功書籍が押収された。
2000年旧暦の12月28日、夫は政法当局によって化州で不当に軟禁され、さらに不当に1年の労働教養を科され、三水労働教養所へ送られた。
2001年12月、家族が数万元を支払ってようやく釈放された。しかし帰宅後も、610弁公室は夫を何度も拉致し強制的に洗脳しようとし、軟禁や尾行を繰り返し、精神的に極度の苦痛を与え続けた。
2003年5月26日昼、私たちが食事の準備をしていた時、悪辣な警官がドアを叩いた。私が「誰ですか」と聞くと、外から「誰々の運転手だ」と言うが、はっきりせず、私はドアを開けなかった。しかし相手はしつこく開けろと言い続けた。夫は「610に違いない、怖がるな。食事をしたら出ていく」と言った。夫がドアを開けた瞬間、数人の暴漢がドアの入り口で夫を押さえつけ、家の中に押し入ってきた。彼らは私服だったので、私はすぐに警察へ通報したが、最初に飛び込んできた者が私の電話を奪い、二人が夫を押さえつけ、手錠をかけ、私たちを会わせないようにした。他の者たちは何の証明書も提示せず、家を強制的に捜索し、その様子は目を覆いたくなるほど悲惨な状況だった。
不当な家宅捜索は2時間以上も続き、出入りした者は15人以上にものぼったが、誰一人として身分証も提示せず、警察の制服も着ていなかった。捜索が終わってから、ようやく誰かが電話で「捜索令状を持ってこい」と呼び、私に署名を求めた。その間、何度も尋問され、法輪功の書籍、録音機、携帯電話、電話帳、日記帳、戸籍簿などを強奪された。
彼らは私と夫を「中国当局の再教育施設」に不当に連行し、強制的に身体検査をし、私は3階、夫は2階に隔離された。私は約72時間、不当に拘束され、毎日尋問と侮辱を受けた。暴力を振るう者は「お前が法輪功をやっているなら、殴り殺してやる」と言った。法輪功学習者がどれほど非人道的な虐待を受けていたか想像できるだろう。その建物には法輪功学習者だけが収容されおり、一部屋に一人ずつ隔離され、看守が監視し、会話も禁止されていた。悪辣な警官は幼稚園にまで行き、3歳にも満たない私たちの息子を違法に尋問し、写真を撮った。
私が釈放される前日、夫は不当に拘留され、拘置所へ送られた。数ヶ月間、家族は面会を許されなかった。9月になって拘置所から「黎亮は3年の労働教養を科され、三水労働教養所に送られた」と通知があった。
同年11月23日朝8時頃、三水労働教養所の邱という人物ら「黎亮が重体だ。すぐ来い」と電話があった。その夜、三水人民医院で夫を見た時、私たちは目を疑った。息子でさえ「パパじゃない、おじいさんだ」と言った。その時、夫はまだ45歳でしたが、すでに骨と皮ばかりになり、立つこともできず、食事もできず、しかも4人の悪辣な警官に監視されていた。私は病室の入口で悪辣な警官が夫を罵っているのを見た。足が腫れていたので尋ねると、夫はゆっくりと話し、邱という警官は「蚊に刺されて少し炎症を起こしただけだ」と言った。私が反論しようとすると、警官はすぐに私を追い出し、質問させなかった。
後で再び彼を見ると、下肢はすべて腫れ、全身に青紫の痣があり、腹部は大きく腫れ上がっていた。悪辣な警官は「人道的見地から家族に知らせた。連れて帰って治療しろ」と言い、責任逃れのために「家族が強く要求して自宅治療を望んだ」とする書類に署名させようとした。命を救うため、その署名が間違っていると分かっていても、署名するしかなかった。
翌日、彼らは救急車で茂名市人民医院へ運んだ。到着したのは夜8時過ぎで、医師は「茂名まで生きて戻れたのは奇跡だ。覚悟しなさい」と言った。肝臓は腫大し破裂しており、血液は腹腔に溜まり、陰部も異常に腫れていた。私は10年間彼が痛みを訴えるのを聞いたことがなかったが、最期の日、夫は「痛い、痛い」と叫んだ。すでに食事も排泄もできず、水すら飲めず、横になっても座っても苦しみ続けていた。その痛みと絶望は想像を絶するものだった。
翌日の深夜12時過ぎ、夫は涙を浮かべながら苦痛の中で息を引き取った。私と3歳にも満たない息子、そして精神状態の不安定な妹を残し、私たちは途方に暮れた。これが黎亮が迫害され死亡に至る全過程である。
翌日の深夜12時過ぎ、夫は涙を浮かべながら苦痛の中で息を引き取った。私と3歳にも満たない息子、そして精神状態の不安定な妹を残し、私たちは途方に暮れた。
これが黎亮が迫害され死亡に至る全過程である。
【引用記事】広東省茂名市の法輪功学習者・黎亮氏が迫害により亡くなった経緯
【参考資料】法輪功について
