中国に住む法輪功学習者が死亡。遺体はあざだらけで、背中にはメスで切開された跡があったことから、中国当局が強制的に臓器を摘出した可能性が高いとみられている。
【Livedoor 2019年12月4日】
中国山東省青島市に住む法輪功学習者、何立芳さん(享年45)は今年7月2日、当局の拷問を受けて死亡した。家族によると、何さんの遺体は全身に殴打された後のあざや傷がある。また、胸が縫合され、背中にもメスで切開された痕がある。当局が何さんの臓器を強制的に摘出した可能性が高いとみられる。
法輪功情報を発信する「明慧網」が12月3日報道した。1999年7月20日、中国共産党政権は当時の愛好者が7000万人とされる法輪功への弾圧を始めた。
中国当局が1999年、法輪功への弾圧政策を実施してから、法輪功学習者の何さんは複数回、地元の青島市即墨区警察当局に嫌がらせをされ、拘束された。2001年、即墨看守所に拘禁された何さんに対して、警官の指示を受けた17人の囚人が集団暴行をした。何さんは瀕死の状態で病院に搬送されたが、手の施しようがないと言われ、自宅に戻された。その後、法輪功の修煉によって、何さんは徐々に回復した。しかし、警察当局はその後も、何さんとその家族に対して24時間の監視や嫌がらせを続けていた。家族に迷惑をかけないように、何さんはやむを得ず、故郷を離れた。
死亡するまでの17年間、何さんは精神的にも経済的にも苦しい生活を強いられた。また、地元当局は何さんの両親や兄弟への嫌がらせを止めることはなかった。同じく法輪功学習者であった何さんの婚約者も迫害を受け、圧力の下で法輪功の修煉を止め、何さんとの婚約を取り消した。
2015年5月以降、中国国内では約20万人の法輪功学習者が実名で、最高人民法院(最高裁)などに、法輪功の弾圧政策を主導した江沢民元国家主席を提訴した。何さんと家族も訴状を提出し、15年間に受けた数々の拷問や迫害を訴え、関与した幹部の名前などを明記した。
これを受けて、法輪功学習者を取り締まる即墨区「610弁公室」は、何立芳さんを報復の対象にした。
2019年5月初め、就職に必要な身分証明書を取得するために帰省した何さんに対して、青島市警察署即墨区北安派出所は「手続きをする」と伝え、何さんを呼び出した。同月5日、警察は派出所に現れた何さんをその場で拘束し、普東看守所に移送した。
5月22日、家族が依頼した弁護士が看守所で初めて何さんと面会した。この時、何さんはもうすでに歩くこともできず、話かけても反応がなかった。看守所で拷問されたとみられる。家族の話によると、当局が何さんに認知障害を引き起こす薬物を注射し続けた。家族は当局に何さんの解放を求めたが、拒否された。
6月30日、警察側が危篤状態になった何さんを即墨区から遠く離れた城陽区第三人民病院に送った。7月3日、何さんが前日の2日に死亡したとの通知が家族に届いた。この間、当局は家族や他の法輪功学習者などの抗議を恐れて、病院周辺に200人以上の警官や警察車両20台を投入した。また、何さんの他の親族にもどう喝した。
7月3日、当局は一時、家族に対して何さんの遺体との対面を許可しなかった。家族が強く反発したため、許された。家族は、遺体があざだらけだったと話した。遺体にメスで切開された痕があることについて、警察当局は「解剖して検視したためだ」と説明したが、その後「法医がこれから検視する」と説明を二転三転させた。法医はその後、姿を見せなかった。同日午後、警察当局と地元政府の幹部の立ち会いの下で、火葬が執り行われた。
明慧網は、6月末、当局が何立芳さんを城陽区第三人民病院に搬送したのは「救急治療」のためではなく、「臓器を摘出するためだ」との見解を示した。同病院は規模の小さい病院で、臓器摘出を行うのに「目立たない」。また、同病院から青島流亭国際空港まで車で10分の距離だ。「場所的に、臓器が摘出された後、他地域へ迅速に運ぶことができる」と明慧網が指摘した。
【引用元】https://news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/17479125/