「法輪功迫害は中国国民全員に深いダメージを与えた。特に、小さい子供と10代の若者たちに」と、中国出身の若者は語る。26年前に中国共産党による残酷な迫害が始まって以来、数百万の中国の子供達が自分と家族の命を心配しながら育ってきた。
子供たちが感じた惨烈な天地の逆転
法輪功は、法輪大法とも呼ばれ、1992年5月に中国で李洪志氏によって伝え出された気功で、身体の健康と道徳心の向上を目的とし、シンプルで緩やかな5式の動作を通じて身体を鍛えることができる。場所や時間の制約もなく、誰でも自由に実践できるのが特徴で、また、「真・善・忍」の理念に基づき、自己を律しながら精神面の向上を目指す。
人々の口コミによって、法輪功は瞬く間に全国へ広まった。1990年代末の政府による世論調査では、7千万から1億人が法輪功を修煉しており、そのほとんどが身体的な改善と精神的な幸福を実感したという。修煉を始めた両親がその功法と道徳的な教えを子供にも伝えるというのが、典型的なパターンだった。
ところが、1999年7月20日、国中の政府系メディアが一斉に法輪功を非難し、法輪功は中国共産党によって禁止されたと報じた。その前夜、野外で煉功していた法輪功学習者のボランティアたちが中国全土で不当に逮捕された。
多くの法輪功学習者、特に若い学習者には、この知らせは大きな衝撃を与えた。
「ものすごい違和感を覚えた」と当時11歳だった莉維亜(Livia、仮名)さんは振り返る。

莉維亜さんと彼女の両親はよく地元の学習者と一緒に外で法輪功の煉功をしていた。
莉維亜さんは、「たくさんの政府職員が私たちのことを知っていて、とても友好的だった」と当時を思い出す。
しかし突然、法輪功は完全に邪なものであると報道され始めた。
「両親と私は、ただただ信じられなかった」
その時8歳だった艾米(Amy、仮名)さんによれば、メディアの法輪功に対する報道姿勢がほとんど一夜のうちに肯定から否定へと切り替わった。
報道は不快なものに満ちていた。
「天地をひっくり返されたかのようだった」と、当時13歳だった于さんはその感覚を思い返す。昨日まで認められていたものが一夜のうちに否定される。そして、荒唐無稽な主張が、今や疑う余地のない事実として報じられる。
法輪功学習者の多くは、何かの間違いに違いない、すぐに状況は元に戻るだろう、と思っていた。
当時18歳の菲比(Phoebe、仮名)さんは、「きっと何か誤解があるんだ」「彼らに、(不当逮捕された法輪功学習者たちは)みな善良な人間であるということを知らせないといけない」「何かしなければ」と考えていた。
数千の法輪功学習者が地元当局や北京政府へ赴き、訴えを提起したり、天安門広場にいる人々に「法輪功はすばらしい」と伝えたりした。
これを受け中国共産党は大量の法輪功学習者を不当に拘束し、拷問を行った。
初めは、警察は何をすべきか困惑していた様子だったという。北京で不当に逮捕された法輪功学習者は個人情報を記録されたのち、数日で解放された。
しかし、状況は一転する。
中央からの圧力か、地方当局は北京での法輪功学習者による訴えを重罪とみなし、彼らを強制労働収容所で数か月あるいは数年間不当に拘束し始めた。
その後、すぐに拷問に関する証言が出現し始めた。数時間にわたる殴打、電気棒で焼かれた皮膚の匂いが部屋を充満するまで続く電気ショック、数日にわたる尋問と睡眠はく奪、飽和した食塩水を使って鼻からの強制摂食、関節の破壊、指の爪の下への竹串の挿入、正体不明の薬物投与、強姦、集団レイプ、その他極度の痛みを与えるために編み出された様々な手段が用いられた。
莉維亜さんの両親は少なくとも10回、強制収容所やその他の拘置施設に不当に送り込まれたという。
しかし莉維亜さんが中学生だった頃、両親と祖父母が同時に不当に拘束された。他の親戚は巻き込まれるのを恐れ、莉維亜さんは一人取り残された。彼女は学校給食や貰い物を頼りに苦しい日々を切り抜けるしかなかった。
「本当に苦しい時間だった」
ただ、彼女にとって本当の問題は食べ物や生活必需品ではなかった。
「精神面が一番辛かった。両親に会いたいし、彼らを心配していた」
プロパガンダマシーン
迫害開始後の1か月間、テレビ、ラジオ、新聞といったメディアでは法輪功を攻撃する言論で溢れかえっていた。
法輪功をよく知る者にとって、そのようなプロパガンダはばかげたものだった。
しかし、プロパガンダがあまりにも大規模だったため、人々の多くが少なくともその主張の一部を受け入れていくようになった。
中国共産党による法輪功迫害が始まって以降、法輪功への攻撃は全国民の義務となり、人々は、反法輪功嘆願書への署名などを要求された。反法輪功プロパガンダは小学校の教科書、受験問題、学校での「政治教育」科目の一部に組み込まれた。
プロパガンダを信じる者にとっては、法輪功学習者は犯罪者以下の存在となっていた、と艾米さんは語る。
艾米さんは、「政治教育」クラスでのある場面を回想する。先生が反法輪功プロパガンダを次から次へ口にすると、艾米さんは「法輪功はそんなものではありません!」と大声を上げた。先生はすぐさま、「証拠はあるのか」と艾米さんを抑え込み、授業後、廊下で艾米さんを怒鳴った。
艾米さんはすぐに仕返しを受けることになった。翌日、艾米さんは除け者扱いされ、他の同級生は彼女を不快な呼び名で呼んだ。
同級生の数人は艾米さんに味方していた。彼らは、先生から教育活動に「影響」が出るという理由で艾米さんに話しかけないよう言われたが、その指示を拒み艾米さんと友人でいたいと言ってきた。
艾米さんはその姿勢に励まされたものの、彼らをトラブルに巻き込みたくなかった艾米さんは、友人関係を公にしないこととした。しかし、時間の流れとともに艾米さんは唯一の友人とも引き裂かれ、最後には1人になってしまった。
法輪功学習者ではなかった艾米さんの父は艾米さんに学校に残るよう言い、絶え間ない冷遇と中傷に遭いながらも、艾米さんは学校に通い続けた。
艾米さんは「毎日が拷問のようだった」と言う。
(続く)
【引用記事】大紀元(2024年8月7日)