中国の女性法輪功学習者 苦難を乗り越え、米議会で集団的な性的暴行を証言

人権

中国遼寧省出身の女性法輪功学習者の尹麗萍さんは、中共政府に法輪功への迫害をやめるように北京へ請願に行ったため、馬三家強制労働収容所に2年間投獄されていた。焼身自殺事件から約3か月後の2001年4月、彼女と十数人の女性法輪功学習者は男子刑務所に密かに移動させられ、集団的なレイプ被害を受けた。「もし誰かが生きて海外に脱出できたなら、世界に法輪功迫害の真実を伝える」という仲間との約束を叶えるため、過酷な苦難を生き延び、2016年米議会で証言した。

男子刑務所での集団レイプ

尹麗萍さんは「強制労働収容所で天安門焼身自殺事件の動画を見た後、警察官と彼らに協力した犯人たちは、私たち法輪功学習者を完全に敵視するようになり、一種の憎悪感に満ちていました。私たちは外に呼び出されて、連日連夜、立ちっぱなしにされ殴打されました。壁に頭をぶつけられたりして、毎日頭がクラクラになるまで殴られていました」と語った。

焼身自殺事件から約3か月後の2001年4月19日、尹麗萍さんは人生の中で最も悲惨な経験をした。彼女と十数人の女性法輪功学習者は男性囚人でいっぱいの小さな白い建物(男子刑務所)に密かに移動させられた。

尹麗萍さんは「ぽつんとあった白い建物に着くと背が高くて屈強な男が20人ぐらいいて、中にはビデオカメラを持っている男もいました。私たちは一列に並ぶように命じられ、名前を呼ばれました。彼らの読む書類によると、ここに送られてきた私たちは頑固な法輪功の学習者で、私たち全員を撃ち殺したとしても自殺だと見られ責任を問われる人はいないと江沢民が命令したとのことでした。強制労働収容所からここに運ばれた私は当時恐怖に恐れおののいていました。私たち女性法輪功学習者は、男性囚人と一緒に拘束されたからです。夜10時近くになった時、廊下の向こうから鄒桂栄さんの声が聞こえてきました。「麗萍、麗萍、私たちは狼の巣から虎の穴まで送られてきた。政府はまるでチンピラだ」と鄒さんんは言葉を繰り返しました。
彼女の言葉でショックを受けた私は、何も考えずにドアに向かって走り出しました。その時男たちが群がってきて、私に殴りかかってきました。目尻の骨がボコボコにされて膨らんでいたのをはっきり覚えています。強制労働収容所ではベルトが許されないので、ゴムのズボンを穿いていましたが、当時の私は非常に瘦せていて、ズボンがとても緩くて、もがく間に足まで引っ張られ、上の服も首まで引っ張られていて、丸裸のままで彼らに殴られていました。そのうちの一人、30代ぐらいの男が私の身体に乗りかかってぶん殴りました。そこで気を失い、目が覚めたら、隣に3人の男、左に1人、右に2人が横たわっていました。頭の上に男が1人座っていて、数人の男が足元で私の足の裏をくすぐっていました。そして、ふと顔を上げてみるとベッドの上には私の足の隙間に2人の男が立っていてビデオカメラを構えていました。つまり、私は彼らに集団的な性的暴行をされたと同時に録画されていたのです。その時私は本当に心が砕かれました。中共政府に完全に絶望してしまったのです」と述べた。

尹麗萍さんの話によると、彼女たちはここに送られてきた最初の者ではなく、最後の者でもない。ここで多くの法輪功学習者は気が狂ってしまった。亡くなった人もいた。強制労働収容所で尹麗萍さんが知り合った学習者のうち10人が迫害で亡くなったという。

尹麗萍さんは「迫害を受けている中で、もし、誰かが生きて牢獄を出ることができれば、今経験したことを全世界の人々に伝えようと私たちは約束しました。これこそが、私が今まで生きてきた理由です。実は私も酷い迫害を受け、6回ほど大怪我で気絶しながら(牢屋に)運ばれました。しかし、私たちの約束に、私たちの信念に支えられながら、今日まで生きながらえて来ました。死にそうになるたびに、息が途絶えそうになるたびに、生きなければならない、願いを叶えるために生きなければならない、生きて外国まで逃げて、すべての真実を世界に伝えなければならない。私たちの約束が大きな生きがいとなって、大きな精神力となって私を支えてきました。真実を知らない人々に私たちの経験したことを伝えるために」と述べた。

尹麗萍さんは多くの苦難を乗り越えて、中国を脱出した。迫害されてから15年後の2016年4月、ついに屈辱を乗り越え勇気を出し、米議会に行き、自分たちが受けた性的暴行を世界に伝え、仲間との約束を果たした。

【引用記事】
NTDジャパン〈ドキュメンタリー〉世界を欺く偽りの火(日本語字幕版)欺世偽火(2020年12月23日)