1999年7月20日中国の元国家主席江沢民は、法輪功(気功)への迫害を発動した。それから26年が経過した今もなお、法輪功学習者たちは、基本的人権の剥奪、身分・財産の没収にとどまらず、刑務所や労働教養所への不当な拘束、性的虐待、集団レイプ、さらには生きたままの臓器狩りに至るまで想像を絶する残酷な迫害を受け続けている。社会的・肉体的・経済的に極限の苦難を強いられ、命を落とした人々は計り知れない。現在もなお、中国国内では多くの命が危機にさらされている。
2025年10月16日北京の法輪功学習者・王治文氏が、長年にわたる迫害の末にこの世を去った。彼の娘・王暁丹さんは、父親が受けた非道な仕打ちに心を引き裂かれ、涙に暮れる日々を送り、一時は視力を失うまでに至った。しかし彼女は、「父を救えるのは私しかいない」と決意し、国際社会に向けて広範かつ継続的に中国共産党による迫害の実態を訴え、懸命に父親の救出を呼びかけてきた。
「父親救援のために18年間ひとり泣きから全世界の声援を受けるまで(新唐人TV)」
だが、その切なる声は、ついに届くことはなかった──。
以下は、2025年10月21日新唐人TVの内容である。
10月16日、北京の法輪功学習者で、かつて中国鉄道部のエンジニアで、北京法輪功研究会の世話人を務めていた王治文氏が、長期的な迫害、嫌がらせ、監視を受けて首都医科大学付属北京世紀壇病院で亡くなった(享年76歳)。死亡診断書には脳梗塞と記載されていたが、中国共産党が一貫して真相を隠蔽してきた体質を踏まえると、実際の状況については第三者による独立した調査が必要とされている。
王暁丹さんは、地元警察が父親の死亡の全容を記録し、翌日、警察は遺言書について尋ねるために親戚の家を訪れ、財産証明書や戸籍謄本などの書類を探し、撮影したと述べた。
1999年4月25日、1万人の法輪功学習者が平和的な陳情を行った。当時、王治文氏は代表の一人として、国務院信訪局(相談窓口)で当時の朱鎔基首相と面会した。
3か月後、王治文氏は中国共産党のゲシュタポのような機関「610弁公室(法輪功を迫害する専門機関)」に不法逮捕され、懲役16年の刑を宣告された。
彼は法輪功学習者として重い刑罰を受けた最初の一人となった。獄中で、彼は残酷な拷問を受けた。家族によると、彼は7日間昼夜を問わず睡眠を奪われ、24キロの重々しい鉄の手かせと足かせをはめられた。歯は折れ、膝には鉄格子が突き刺さり、鎖骨は砕け、体の中が傷だらけであった。
王暁丹さんは当時を振り返り、「親戚が父を訪ねると、買ってあげた料理をあっという間に平らげ、さらにもう1品もあっという間に食べてしまった。父は非常に教養のある知識人で、よほど空腹でない限り、身内の前であんな風に食べることはなかっただろう」と語った。
2016年、王暁丹さんと夫は危険を冒して中国へ帰国し、18年ぶりに父親と再会した。そして、父親の渡米手続きもした。しかし、同年8月6日、広東省で出国しようとした際、王治文氏のパスポートは中国当局によって違法に没収され、破棄された。彼は再び自宅軟禁と監視下に置かれ、父娘は再び強制的に引き裂かれた。
中国問題に関する米国議会・行政府委員会(CECC)は、2015年の人権報告書において、王治文氏を中国共産党による拷問と迫害の典型的な事例として挙げている。国際社会もまた、繰り返し迫害の元凶らへの責任追及を求め、中国共産党に対し迫害の即時停止を強く要求している。
「4月25日に朱鎔基氏と面会した北京の法輪功学習者、王治文氏がこの世を去った(新唐人TV)」
【引用記事】新唐人TV(2025年10月21日)
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