中国、「民族の英雄」でも自由を奪われる国

人権

中国女子プロテニスの彭帥選手の失踪事件をベースに、作家でジャーナリストの青沼陽一郎氏が書いた興味深い記事があったので、紹介したい。中国では、たとえ国民的英雄であっても、中国共産党は利用するだけ利用して殺してもかまわないと考えているのだ。2010年9月、尖閣諸島沖で、日本の海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船の船長も「中華民族英雄」となったが・・・

 

彭帥選手は無事か?

11月2日深夜、中国を代表する女子テニス界のスター、彭帥(ほう・すい、35歳)選手が、張高麗(ちょう・こうれい、75歳)前副首相に性的関係を強要されたと告発してから、依然として彼女の安否が懸念されている。

米国議会下院は8日、この問題を巡る国際オリンピック委員会(IOC)の対応を批判する決議案を全会一致で可決した。彼女が無事だとする中国側の主張をそのまま受け入れているだけで、「北京冬季五輪に参加する選手の権利を守る意志や能力があるのか疑問だ」と非難している。

すると9日になって、11月に同選手とテレビ電話で無事を確認したとしていたIOCのバッハ会長が、彼女と面識がなかったことを明らかにした。だとしたら、別人だった可能性も出てくる。それについては「一度も会ったことはないが(同席者を含む)誰一人として疑うことはなかった。彼女が自分の人生について語る様子からも明白だった」と何の根拠もなく疑惑を否定している。

11月21日、消息不明とされた彭帥選手とテレビ電話で連絡を取ったとされるトーマス・バッハ会長

その一方で同選手が安全であれば、IOCの支援は不要ではないかと問われると「彼女は非常に不安定な状況にあるからだ。彼女の主張を知り、そのような状況に直面する人の気持ちになって考えると、放ってはおけない」と反論したという。その前日まで、「彼女が抑圧されているようには見えなかった」と発言していた。

12月1日、テニスの女子ツアーを統括する女子テニス協会(WTA)は、中国当局による強制や脅迫の可能性を指摘して、香港を含む中国で開催されるすべてのWTA大会を中止すると発表した。

中国では、たとえ国民的英雄であっても、中国共産党の意志で人々から遠ざけることがある。しかもそうすることが本人の意向だという。そうやって表舞台から消してしまう。

海上保安庁の巡視船に「体当たり」した船長は「中華民族英雄」

日本の領土である尖閣諸島沖で、中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりしたのは、11年前(2010年)の9月のことだった。

中国漁船の船長は逮捕、送検されたが、中国側の圧力もあって、拘留期間途中にもかかわらず那覇地検は処分保留で急遽、釈放している。その後、航空機で中国本土に降り立った船長は、打ち上げ花火とブラスバンドで出迎えられ、まさに英雄としての待遇だったという。

 

青沼氏は2010年の暮れ、その船長にインタビューを試みている。以下はその内容である。

経済特区として知られる厦門から、車で沿岸を北上すること2時間。福建省の港町に船長の家があった。建物が密集した路地を入った石造り3階建てで、分厚い眼鏡に杖を付いて歩く船長の母と、ショッキングピンクのスウェットを着込んだ妻に出迎えられて、2階の20帖ほどのリビングスペースに通された。

そこですぐに目がついたのは、壁に飾られた大きな旗だった。臙脂色の下地に金文字が書き込まれている。その右肩に『贈』とあって船長の名前が書き込まれ、そして中央に大きく『中華民族英雄』。送り主と日付は『一中国百姓 二〇一〇年十月一日』とある。「百姓」とは庶民のこと。10月1日は国慶節にあたり、中華人民共和国の建国式典が行われていた。

ほどなく階段を上って、黒いジャンパー姿の船長が現れた。

「仕事には、出ていない」=船長

「日本の船から俺の船にぶつかってきたんだ! 俺の船からぶつかったのではない。それなのに、日本側はこっちからぶつかっていったと言い張って。日本の取調官の2人の威張り腐った態度は酷すぎた。威圧的で、怖かった」

「取調官の2人」とは、那覇地検の検事のことで、当時の船長はトラウマを背負ったように、取り調べの話にこだわり、あからさまに嫌な顔をして、不機嫌になった。相当、気に食わなかったらしい。

茶の産地として知られる福建省では、茶碗で煎れたお茶を御猪口のような小さな器に分けて嗜む。彼は慣れた手つきで私に茶を振る舞い、ポケットからタバコを出して勧めてきた。

こんな昼間に家にいる。仕事はどうしているのか、尋ねた。

「仕事には、出ていない」

ぶっきらぼうに答えた。そして、すぐに言った。

「政府の人がすぐに来る。私はそれまでお茶を煎れているだけだ」

饒舌だった船長が役人の登場で態度一遍

政府の人間に気兼ねして、私との会話には乗り気ではないようだった。ところが、再び日本での取り調べについて水を向けると、聞いて欲しいといわんばかりに、怒気を込めて語りはじめた。

「もともとは小さいことだったのに、それがこんなに大きくなった」

「もっと言わせてもらえば、私の船には魚を捕るために必要な許可証からあらゆる書類が全部あった。それなのに解放しようとしない。でも、共産党は強いから、最後には釈放されたんだ」

そこで尋ねた。あそこは、中国の領土だと思っているのか?

「もちろんだ!」

「ただ、俺たちは魚を捕るだけの漁師。政治や時事のことに関心はない。だから、向こうの船が叫べば、すぐに引き返す。それなのに、まわりをぐるぐる廻って、わざと阻止するんだから。この村の人は昔から役人が嫌いなんだ。警告されただけですぐに引き返すよ」

「どっちにしても、俺たちはあそこから離れたんだ。あんな場所で撃たれたくはないから。向こうの船は大きいし、銃に大砲もある。威圧感もあるし、スピードも早い。こっちはただの魚を捕る船なんだ。あんなに近いと、ぶつかることが心配。例えば、小型乗用車と大型トラックのように。俺たちは潰されちゃうよ」

そんなことをまくし立てていると、黒のスリムパンツ姿の若い女性が階段を昇って入ってきた。日本でも見かけるような小柄な女の子で、笑顔が可愛らしい。ところが、そこで船長の顔色が変わった。娘さんですか、と船長に尋ねると「違う。政府の役人だ」と言った。共産党の地元の役員であると知ったのは、私がこの家を出たあとのことになる。

彼女は椅子を持って来て、船長の向かいに座ると、親しそうに話をはじめた。だが船長はニコリともしない。それから彼女は私にパスポートの提示を求め、パスポート番号を紙に写しはじめた。

そこへ緑色の制服を着た男が2人、階段を昇ってやってきた。武装警察官だ。ひとりは、女性の隣に椅子を並べて座ると、やはりパスポートの提示を求めた。笑みはない。むしろ威圧的だ。室内の空気が急に張り詰めたものに変わる。そして、あれやこれや厳しい口調で尋問してきた。そのうちに船長は席を立ってどこかへ行ってしまった。もうひとりの警官は家族と話をしている。

ひと通りの尋問が済むと、警官は立ち上がってこちらに近付いてきた。なにをする気か。緊張感が増す。ところが彼は、急に笑顔になってこう言った。

「彼に接触する人はみんなパスポート番号をチェックする。あなただけ特別なことではないですよ。さあ、これであなたは自由です。話をしてもらってかまいません。ですが、奥さんがこう言っています」

「夫はもうどこかへ行ってしまいました。もう、話したくないと言っています」

「英雄」に与えられた監視下の「自由」

日本の巡視船に体当たりをして、中国の領有権を主張した中国の英雄は、帰国して3カ月が過ぎても、仕事もさせてもらえず、中国当局の監視下に置かれた、事実上の軟禁状態にあった。そして、外界からの接触を遠ざける。接触する者があっても、時間を稼いでどこかへ逃がす。

最初は歓迎してくれたはずの妻も、役人に脅されたように調子を合わせて夫を隠す。船長にも言いたいことはあった。だが、それを共産党は認めない。英雄の主張すら封印する。そういうことをやる国だった。

まして当時は胡錦濤が国家主席だった時代。習近平に代わってから引き締めはより一層厳しく、強権的になった。

JBpress「彭帥は無事か?「民族の英雄」でも自由を奪われる国、それが中国」

 

引退した政府高官も監視対象

中国共産党中央委員会の慣例として、「トップ7」を引退すると、北京西郊の西第五環状道路の外側にある西山という風光明媚な地域に、一軒家を与えられる。そこでは万全の警備を敷き、老後のケアも行き届いていて、ほとんどの元常務委員たちとその家族が、そこで静かに余生を送っている。

例外は、習近平総書記と一線を引きたい元幹部である。西山で老後を過ごすと、警備が万全な代わりに、監視もまた万全だからだ。いつ誰が尋ねて来たか、どこへ外出したか、果ては自分の健康状態まで、すべて「党中央」(習近平総書記)に把握されてしまうのだ。

そのため、例えば「習近平総書記の最大の政敵」と言われた江沢民元総書記は、上海で余生を送っている。そして今回、「江沢民の忠犬」として、2012年に「トップ7」入りした張高麗前副首相も、西山には住んでいないことが判明した。

急に安否判明の中国テニス選手、消えた性的関係強要の前副首相

 

中国においては、有名スポーツ選手、著名な芸能人、政府高官、大企業の社長など中共のために働いてきた『英雄』と言えども自由が奪われ、最悪な場合はゴミくずのように捨てられていく。中国共産党(中共)は共産主義体制を守ることが唯一の目的であり、人民を利用するだけ利用して殺してもかまわないと考えているのだ。