法輪功迫害は江沢民の嫉妬から始まった!ー知られざる真実(二)1999年7月~2000年末

人権
法輪功弾圧は21年間も続く今世紀最大の人権侵害

法輪功を学ぶ人(法輪功学習者)が増え、その人気がどんどん高まっていくことに、当時の国家主席・江沢民は強く嫉妬し、1999年4月25日の「中南海陳情」を経て、同年7月20日「3カ月以内に法輪功を撲滅せよ!」と命じた。弾圧運動の開始に伴い、警察は家宅捜索を行い、貴重品を没収し、法輪功の資料を破壊し、人々を収容所や強制労働収容所に連行した。残酷な拷問や強制労働によって死に至る者も少なくなかった。

放たれた邪悪な弾圧

1992年に伝え出された気功「法輪功」について、1990年代、中国政府の高官も心身向上の効果を称賛していた。しかし、法輪功を学ぶ人(法輪功学習者)が増え、その人気がどんどん高まっていくことに、当時の国家主席・江沢民は強く嫉妬し、1999年4月25日の「中南海陳情」を経て、「3カ月以内に法輪功を撲滅せよ!」と命じた。

法輪功迫害は江沢民の嫉妬から始まった!ー知られざる真実(一)~中南海陳情

それは1999年7月20日の深夜から始まった

暗闇の中、警官が一般の人々をベッドから引きずり出し連行して行った。7月22日、法輪功は中国全土で禁止され、「国家の敵」の烙印を押され、中国での暴力による弾圧運動が正式に始まったという。多くの人が拘置所や刑務所に連行され、ある人は殴られ、ある人は拷問で死ぬこととなった。

早期に逮捕された数千人の法輪功学習者の中には、中央政府の役人、警官、軍人も含まれていた。法輪功は、工場作業員から大学教授、中央政治局幹部の家族まで、あらゆる階層の人々が修めていたという。

警察の家宅捜索、誘拐、監禁

中国共産党(中共)による法輪功への弾圧運動の開始に伴い、文化大革命の暗黒時代が中国に戻ってきた。警察は家宅捜索を行い、貴重品を没収し、法輪功の資料を破壊し、人々を収容所や強制労働収容所に連行した。スピーカーを取り付けたトラックが、大音量で法輪功を糾弾しながら、街頭を通り抜けて行った。香港の新聞は、弾圧開始の最初の週に5万人が拘束されたと報じた。実際、最初の数週間は、捕らえられた法輪功学習者は、スタジアムで拘束されていた。中国にある膨大な数の拘置所や刑務所にも収容しきれなかったからという。

1999年7月22日-街頭で警官に逮捕される法輪功学習者(法輪大法情報センター)

文化大革命を思い起こさせる、法輪功の書籍の全国規模での焼却

江沢民の指令の下に、中国全土の地方当局は法輪功の書籍やその他の宣伝物を排除するために総力を挙げて取り組んだ。書店、販売業者、マルチメディア店、コピーセンター、印刷屋が捜索され、これらを所持・配布する者は処罰された。中国当局はわずか3ヶ月間に、数千万冊の法輪功の本、ビデオテープ、カセットテープ、その他の関連資料を中国全土で押収、焼却、破壊した。

法輪功の出版物の破壊は、中共政権が真剣に弾圧運動に取り組んでいるというシグナルを中国の人々に送ることとなり、このような公の場での見せしめは、文化大革命の恐怖の再現だと多くの人々の目に映った。また、法輪功の書籍を大量に破壊することで、法輪功に対する捏造や歪曲を反証できる証拠を隠滅しようと、中共政権がしたことも明らかで、国営メディアはこのような反法輪功プロパガンダで占有されていた。この取り組みは「効果的」で、国民は法輪功の本を入手できなくなり、中央政権のプロパガンダ機関とメディアは、この情報の空白に歪曲された「法輪功の教え」を流し、弾圧運動を正当化したと言われている。

7月28日午後-北京、天津、江蘇、吉林、湖北省で1回目の全国的な法輪功出版物と宣伝資料の破壊が行われた。広東省、山東省、湖北省、上海、遼寧省、四川省、山西省でも翌日行われる予定。- 1999年7月29日『人民日報』

命がけの欧米メディアとの極秘記者会見

1999年10月28日、中国の前国家主席・江沢民が7月20日に「3ヶ月以内に法輪功を消滅させる」という指示を中国の各部門へ通達した3ヵ月後、30数人の中国大陸の法輪功学習者らは、自らの危険を顧みず、北京で初めての「中国大陸法輪功記者会見」を開いた。中共による法輪功学習者への迫害を暴露し、世界を震撼させた最初の記者会見であった。ロイター通信、AP通信、ニューヨーク・タイムズの記者が招待された記者会見で、法輪功学習者は、迫害で苦しんでいることをメディアに明らかにし、自由に法輪功を修める環境を望んでいるだけであることを説明した。

命がけの記者会見:欧米メディアに向けて極秘の記者会見を開いた北京の法輪功修煉者たち。記者会見で発言した者のほとんどは、後に姿を消した。丁延さん(右下)は拷問死。通訳の蔡铭陶さん(左)も死亡した。(法輪大法情報センター)

10月28日当日、AP社、ロイター通信社はこの記者会見に関する報道を発表した。29日、ニューヨーク・タイムズはトップ記事として、記者会見の写真と内容を掲載した。当時、米国にいる法輪功学習者たちが米国会および政府関係者に対して、法輪功が中国で迫害されている状況を訴えていた。また、アジアで最も影響力を持つ英字新聞「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」紙やヨーロッパの多くの主要新聞メディアもこの記者会見を重点に取り上げた。

メディアの報道により法輪功に対する迫害が国際社会を強く震撼させた。これに対し、江沢民らは怒り、最上部の特別警察部門および先端設備を利用し、法輪功学習者に対して大規模な強制連行を行った。情報筋によると、当時、江沢民は記者会見の録画を見てから、「1人たりとも逃してはならない」と言明したという。石家庄の公安内部情報では、すでに記者会見の録画を入手し、参加者の追跡を行っていたといい、中共官製中央テレビ局は中国において衛星を通して外国へ映像を送る唯一のチャネルであるため、中国駐在の外国メディアが海外へ送付する法輪功に関するすべての映像を盗むことができるという。

中国当局は、法輪功弾圧を取材していた外国人記者への嫌がらせを始めた。秘密の記者会見に出席した5人の外国人記者は、中国の公安局により、一時的に身分証明書を取り上げられた。翌週、中国外務省はこれらの記者を呼び出して警告し、記者の一人は、”国外追放寸前 “の非常に厳しい戒告を受けたという。

記者会見に出席した法輪功学習者の行方

大連で法輪功を学んでいた李彬氏は当時大学院を卒業したばかりだった。当日、李氏は記者たちを北京西側の郊外にある記者会見会場まで案内する役目だった。李氏は記者会見後間もなく逮捕され、精神病院および強制労働収容所での様々な迫害を受けた。その後、米国へ脱出した。

記者会見の司会を務めた蒋朝暉氏はその後、5年の刑、北京の項桂蘭氏は3年の刑、湖北武漢の張珂氏は3年の刑を言い渡されたという。

記者会見で通訳者を務めた雷小テイ氏は後、逮捕され2年の刑を言い渡された。もう1人の女性通訳者・劉冬梅氏は東北財経大学国際商務外国語部英語科の講師で、記者会見後に逮捕され、馬三家強制労働収容所で拷問を受けたという。また、通訳者のもう一人、蔡銘陶氏(27)は11月初旬に武漢へ強制送還され、監視を受けた。2000年4月、蔡氏は再び武昌市青菱「610オフィス」へ送られ、拷問を受けた。警察は蔡氏を手足を固定させ、血だらけになるまで殴り続けたという。同年10月、蔡氏が再び北京へ直訴しようとした際、事故で死亡した。

河北省石家庄市出身の丁延氏(女性、31)は、記者会見当時に重点的に取材を受けたひとりであった。丁氏は99年11月25日、広州で強制的に連行され、4年の刑を言い渡された。その後石家庄市第2刑務所女子中隊、河北省保定太行刑務所女子隊、承徳刑務所の水牢にそれぞれ監禁された経験があった。情報筋によると、丁氏は保定太行刑務所に監禁された時に、毎日炎天下の労働を強いられ、板床鉄かごの拷問を受けたという。丁氏と一緒に監禁されていた法輪功学習者によると、鉄かごの中にある板には長さ約3・3センチの釘が沢山固定されており、布団もないため、座ることも横たわる事もできず、極めて苦痛であったという。2001年8月18日夜、丁氏は承徳刑務所で拷問により死亡した。

大紀元「特別報道:世界を震撼させた法輪功迫害、初記者会見から7年」2006年10月31日

見せしめの裁判:法輪功を修めていることで刑期18年

1999年12月26日 ー西側のメディアが取り上げないようにクリスマスの翌日というタイミングで、中国政府は四人のよく知られた法輪功学習者を見せしめの裁判にかけ、刑期7年から18年を宣告した。

中国当局は、欧米メディアでの報道は中国当局の範疇になかったため、この裁判を外国のメディアが報道することを阻止し、それ以上の詳細は発表されなかった。この裁判は(クリスマスが祝日ではない)中国全土で放映され、一般の人々に法輪功の修煉を続けることを控えさせる強いメッセージを送った。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは「これらの法輪功メンバーは逮捕されるべきではなく、重刑を受けるべきではない」と、この厳しい判決を非難しました。

他の三人の法輪功学習者と共に裁判を受ける王治文氏(左側のマイクの前)(スクリーンショット)

法輪功学習者による天安門広場での陳情

2000年1月~数ヶ月間、国営メディアは法輪功を中傷する捏造報道で飽和状態にあった。

法輪功学習者は、大学を追放され、職場では解雇されていた。家は警察に好きなように荒らされ、国家の弾圧政策のために、いつでも引きずり出される身の危険に常に直面していた。多くは裁判もなく強制労働所に送り込まれるという。

政府に陳情するための公的手段はすべて閉ざされており、他に方法がなく、法輪功学習者は天安門広場で公然と陳情を始めた。当初は小規模で時折しか行われていなかったが、すぐに中国の隅々から天安門広場に足を踏み入れるために人々が北京に集まるようになった。人々は「法輪功はすばらしい」「真・善・忍」と書かれた横断幕を掲げ、無実を訴えた。

安門広場で法輪功の理念「真・善・忍」と書かれた横断幕を掲げて訴える法輪功学習者たち。

広場の至る所に公安警察、武装警察、私服警官がいるにもかかわらず、学習者の波は途絶えることなく、中共の虚言を人々にさらけ出してきた。

2000年2月4日、旧暦の大晦日、法輪功学習者のグループが天安門広場で座禅を始めるか始めないかのうちに、「警官がすぐに抗議者に襲いかかり、広場の隅々からも走ってきた。警官は抗議者を蹴り、殴り、足を引きずってライトバンにまとめて投げ込み、連れ去った」。2000年2月5日のAFP通信の報道で「中国の警察は数百人、おそらく数千人の学習者を拘留していた」と報告している。

残忍な警官ー「法輪功は正しい」と書かれた横断幕を掲げた学習者は地面に叩きのめされ、まだ広場の中央に横たわっている。横断幕を片手に警官がその場を離れるところ。天安門広場では多くの人々が警官の法輪功に対する残忍な行為を目撃している。

法輪功への世論は変わらず、プロパガンダは失策か?

中共による激しい弾圧運動が18ヶ月近く続いた後も、中国の国民は江沢民の法輪功弾圧を蔑視していた。法輪功に反感を抱かせるための運動は、失敗に終わったかのように見えた。

しかし、江沢民と彼の取り巻きは、ある恐ろしい計画を練った…

流れを変えた、偽りの「天安門焼身自殺事件」

続きは、「法輪功迫害は江沢民の嫉妬から始まった!ー知られざる真実(三)」へ・・・

【引用文献】
放たれた暴政 – 法輪大法情報センター (faluninfo.net)