衝撃作「馬三家からの手紙」の監督が直面した“中国の暗部”―常に恐怖を感じていた

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苦難の末に作品を完成させたのは、中国系カナダ人監督のレオン・リー。来日を果たしたリー監督の数々の報道記事から、彼が「最初から最後まで、常に恐怖を感じていた」という制作の舞台裏をまとめてみた。

中国政府が法輪功学習者や無実の政治犯から違法に臓器を収奪する事実を露呈したドキュメンタリー『ヒューマン・ハーベスト(人狩り)』(ピーボディー賞受賞)を制作中、レオン・リー監督は、米オレゴン州でSOSの手紙が見つかったという国際的なトップニュースに惹きつけられた。

今回の制作のきっかけとなったそのニュースは、米オレゴン州に住む女性ジュリー・キースがスーパーで購入した中国製のハロウィン飾りの箱に、“SOSの手紙” が隠されて入っていたというものだった。実は、その手紙は8000キロ以上も離れた、中国・馬三家労働教養所にいた孫毅によって書かれたものだった。手紙には、拷問・洗脳を受けている時の状況が詳細に書かれており、このメッセージが次々と広まったことで、中国の労働教養所制度を崩壊させるまでに至ったのだ。拷問を受け生死をさまよった孫毅は、2年半の刑期の後に釈放されている。

人権迫害を続けている中国の強制労働所の実態を暴露した「馬三家からの手紙」

孫毅と会ってみたい――リー監督は決意を固めた。

中国にいる反体制派、政治的活動家の個人的なネットワークを通して、リーが手紙の主を探していることを伝えた。連絡を取ること自体が危険であり、厳重な匿名扱いを確約した上での要請だった。当時、孫毅は自分の体験を世界に伝えようと本を書き始めたところだった。映画制作も考えたが、制作の知識は皆無だった。いくつかのつながりを経て、ようやく孫毅の連絡先が分かり、レオン・リーが探していることが伝えられた。孫は情報封鎖を越えてネット上から「ヒューマン・ハーベスト(人狩り)」のことを知っていたため、リーとの接触を強く望んだ。Skype上での初めての会話で、協力して映画を制作する話がまとまった。

レオン・リー監督:「(アプローチは)非常に難しかったです。中国の記者や友人に『孫毅さんを探してほしい』と依頼しましたが、なかなか見つからなかった。3年が経った頃、ようやくある知人から『もしかしたら、孫毅が見つかったかも』と言われ、その時は信じられませんでした。Skypeで連絡を取ってみると、孫毅さんは具体的な状況を話してくれて、『一緒に映画を作りたい』とオファーを快諾してくれました。やがて筆跡鑑定をしたうえで、“SOSの手紙”を書いたのが孫毅さんだったと確定しました。絶対に映画にしたい、多くの人にこの事実を知らせたいと強く思いました」

制作をスタートさせる際、2つの問題が立ちはだかった。それは「(中国当局が目を光らせているため)リー監督が中国本土に行けないこと」「孫毅が撮影機材を扱えないこと」。リー監督がとった手法は、Skypeで連絡を取り合いながら、孫毅に撮影のノウハウを教え、カメラマンとしての任を託すというものだった。

レオン・リー監督:「カメラの操作、カメラと被写体との距離など、孫毅さんにとっては難しいことだらけ。時間をかけて細かく指導したのですが、ふと違和感を覚えたのです。このままでは、全ての映像が“私の考え”に従ったものになってしまうと。そこから『自由に撮ってください』と方針を変えました。プロの監督にはない視点で、孫毅さんは面白いものを撮ってくれましたし、より“リアル”を感じる仕上がりになっているはずです」と告白。そうして始まった撮影は、常にリスクが伴うものだった。
「私は海外に住んでいるので、まだ安全ですが、中国国内に住んでいる孫毅さんは、常に命が狙われている状態。朝に家を出たとして、夜に帰ってこられるかわからないほどです。もしも孫毅さんと連絡がとれなくなってしまったら、たとえ連絡が来たとしても“悪い知らせ”だったら――そう思うと、非常に怖かったです。しかし、この件は誰もが避けている題材。私が作る義務を感じていました」

孫毅が撮影した素材は、ハードディスク4個分という膨大な量。「素材は、私への郵送はおろか、ネットでも送ることができなかったので、色々な方に頼み、4カ月もかかって届きました。ハードディスクにはパスワードを設定していたんですが、一度でも不備があったら、内容を全て削除されてしまう可能性もありました」と振り返るリー監督。劇中ではアニメによって、「馬三家労働教養所」内部のシーンを表現している。この手法は、孫毅の“絵心”が発想の源だった。

「彼はたくさんの絵を描き、私に送ってくれていました。それが非常に素晴らしい出来だった。子どもの頃から漫画が好きだったようです。孫毅さんは釈放されてからは『馬三家のことを全て忘れたい』と述べる一方で、“忘れてはいけない”とも感じていました。そこで、私は『(内部の描写は)アニメで描きましょう』と提案したのです。アニメパートは彼の絵を基に制作されたものですし、映像も孫毅さんが撮ったもの。この作品は、完全に孫毅さんのものだと言えるでしょう」

撮影が順調に続けられていた矢先に、リーは孫が行方不明になったという暗号化されたテキストメッセージを受け取る。孫は逮捕され、これまで誰も認識しなかったレベルの危険にさらされていた。当局は彼を追跡し、電話を押収。電話にはこの映画に関する極秘情報が入っていた。馬三家でずっと一緒だった看守と囚人へのインタビューを計画していた時であった。また「黒監獄」と「洗脳センター」を暴露することを望んでいた。労働教養所は閉鎖後、「黒監獄」と「洗脳センター」に置き換えられ、労働教養制度を廃止したという声明にもかかわらず、今日も存在している。

孫の状況を危惧し、リーは撮影を即刻やめるように勧めた。制作を停止すること、そして孫にとって家から離れることは考えられないことであったが、リーは孫の出国を助けた。インドネシアで安全を確保した孫に、ようやくリーは会うことができ、撮影は続行された。SOSの手紙を受け取ったジュリー・キースも孫に会う機会に恵まれた。リーもジュリーもこれが孫との最後の出逢いになるとは予想もしていなかった。リーが連絡した中国人のうち、中国入国の際に尋問された者がおり、『馬三家からの手紙』が中国政府にマークされていることは明白である。

本作では終幕の直前、思わず絶句してしまう事実が明示される。リー監督は、ちょうど作品の編集中に、その一報を受けることになった。「(当時のことは)今でもはっきりと覚えています。その知らせを受けて、私はこの世界のことが理解できなくなりました。一体、どうしてこんなことになったのでしょう……」と述懐。その出来事から、当初想定していたラストシーンを変更。膨大な素材のなかに唯一あった“孫毅が英語を話しているシーン”を採用している。

レオン・リー監督:「今の中国をどう思いますか――よく友達にも聞かれることですが、私は希望が残っていると思います。何故かというと、毎回このような事件が起こった際、政府の処置に対して、今まで政治に無関心だった層が興味を抱くようになってきたからです。まるで“目が覚めた”ように、中国を再認識し始めている。それがごく一部の人々だったとしても、この“気づき”を積み重ねていけば、中国は変わるはず。時間が全てを証明すると思います」

参考資料:映画.com ニュース馬三家からの手紙

参考動画1:『馬三家からの手紙』命がけで撮影したドキュメンタリー映画【禁聞】
参考動画2:ドキュメンタリー映画『馬三家からの手紙』日本でも大きな反響

編集後記:「信念のためには苦難もいといません」という孫毅さんが残した言葉がいつまでも心に響いている。中国で続いている残虐な迫害が地上から消え去ることを望む。